第1677話・寝顔を見ながら

Side:久遠一馬


 津島天王祭での花火見物が終わると、上皇陛下の御還御となる。具体的にはお見送りの宴などがあるものの、半月ほどで出立する。


 あまり騒がなくてもいいというのが上皇陛下の御意向になるようだけど、相応の支度やお見送りの宴は必要であり、上皇陛下の体調や道中の確認などを経ての出立だ。


 建設していた京の都の仙洞御所はすでに完成している。御所新築の苦労は凄まじかったと報告がある。こちらの資金提供も決して楽ではなかったものの、朝廷と交渉しつつ古の習わしや、すでに不可能な慣例をどうするかなど大変だったようだ。


 三好長慶さん、彼もまた史実で名を残した偉人なのだなと実感した。史実ではなかった仙洞御所建設が上手くいったのは、彼の手腕も大きかった。


 細川晴元は依然として若狭から動かないものの、朝廷や諸勢力が入り乱れている京の都は魔境と言っても過言ではない。さらに朝廷は三好よりも、尾張を見て右往左往しているんだ。そんな状況で確実に困難を成し遂げた。


 懸念があるとすると、上皇陛下のお考えになられている院政の改革だろう。これ具体的な内容はオレも知らないんだよね。上皇陛下のお心にあるだけのことなので。


 現状の体制と尾張の治世をご覧になられた結果なので、多少なりとも想定は出来るけど。まあ、オレたちが出来ることは多くない。


 それと上皇陛下の寿命。史実だとあと一年ほどなんだけど。これに関しては、ケティたちの見立てとして現状では余命一年とは言えない。余命は不明、そんな診断だった。


 無論、ケティが直接診察したわけではなく、遠目から見た感じや虫型偵察機などの情報からの診断なので確実とは言えないようだけど。


 寿命が変わった理由については、何年か前にケティが山科さんにアドバイスをした、日の光に当たることや散歩をすることなど、上皇陛下が教えたまま実行されていたことも影響していると思われる。あとは譲位による祭祀の負担、心労の軽減もある。


「あ~う~」


 お昼寝の時間、子供たちの寝顔を見つつ考え事をしていると、お清ちゃんの子である武護丸たけごまるが起きてしまった。


 ただ、抱き上げてやると泣くこともなくご機嫌な様子でホッとする。また少し大きくなったかなぁ。


「セレス、少しは慣れたか?」


「ええ、多少は。ただ、じっとしているのはあまり性に合いませんね」


 同じく子供たちの寝顔を見守っていたセレスだが、彼女は妊娠したので先日から産休に入っている。どちらかというと仕事人間だったので、のんびりというのが少し落ち着かないと言っていたんだけど。慣れたみたいで良かった。


 この世界に来て以降、無理はしていないものの、オレたちも忙しい日々だからね。長期休暇は年末年始くらいだった。もっと休むことを真剣に考えたほうがいいのかもしれないと、セレスを見て思う。


「警備兵は上手くやっているよ」


 職務代行は佐々政次さんが行なっている。セレス自身は奉行を退いて政次さんを後釜にと考えて打診したけど、辞退されたと聞いている。慶事である出産での役職譲渡は、あるべきではないというのが理由らしい。


 奉行職などの家職化はしないという前提の織田家では、役職の変更もすでにあることだけど、きちんとした理由や変更後の地位などにはみんな気を配っているんだよね。


 その代わり代行は引き受けてくれたし、任せてほしいと喜んでくれたらしいが。


 産休に関してはエルから始めたことだけど、現職復帰が織田家の常識となりつつある。面目を大切にすることや、出産をする者をみんなで支えるという概念が織田家にもあるからだろう。


「もっと早く奉行を譲ってもいいと思っていたのですけどね。私は上に立つより次席程度で差配するほうが性に合っています」


 セレスの意見は分かるし、もっともだけど。警備奉行、義統さんや信秀さんを筆頭にした身分ある人の警護から治安維持まで幅広く、また人員の配置や情報管理など結構難しいんだよね。


 あと武士階級で武功もあるメンバーでは最古参の佐々兄弟が、義理堅くセレスを支えてくれていることも大きい。


 まあ、現在は次男の孫介さんは、信濃でウルザたちを助けてくれているので今はいないけどね。あの人がいないと噓偽りなく、ウルザたちが困るんだ。信秀さんとしてもウルザとヒルザの身辺警護を一番に考えていて、彼は信秀さんの命令で信濃に入っているくらいだし。


「家中の安心感が違うんだよね。セレスと他の人だと。まあウチの名前も大きいんだろうけど」


 ケティも医務奉行を誰かに譲渡したいとたまに考えるらしいけど、今のところ候補が曲直瀬さんかウチの家臣でもある医師たちくらいだからなぁ。


 丹波さんあたりが織田家中の人だったら、医務奉行の譲渡もあり得たと思うけど。家柄と能力、それと周囲の評価。この辺りが揃わないと奉行クラスを任せるのは難しい。


 少し話が逸れたが、自分たちの警護を誰が仕切るか。そういう意味ではセレスの信頼は絶対的なものがある。私情を挟まず合理的にかつ配慮を欠かさない。そういう仕事をずっとしてきたからね。


「長い目で見ると役職の占有はよくありませんよ。仕方のないことですが……」


 セレスの場合、後継者候補を育てているんだよね。とはいえ、一定以上の役職は家職となりその人の家で継承する時代だからな。織田家の体制も固まっておらず、世代交代もまだほとんどない。これから長期政権を見越した試行錯誤が必要だろう。


 功績が大きいと大変だね。セレスの場合、女性警備兵創設の功績もあるから。今では貴人の女性警護には欠かせない存在となっている。元の世界でいうSPに準ずる者たちだからなぁ。


「家職にすると、ウチがずっと要職を独占することになるからね。それは困る」


 おっと、武護丸がいつのまにかオレに抱かれたまま眠ってしまった。起こさないように布団に寝かせてあげよう。


 家職による要職の独占。これもこの時代だと当然のことで、家としてはこれ以上ない喜びのはずなんだけど。太平の世が来て、もう少し時代が進むと、苦労の割合が増えてしまうだけだからなぁ。


 まあ、贅沢は言えないよね。北畠家と六角家だと、家中をひとつにまとめることが未だ出来ずに四苦八苦しているくらいだし。



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