第1671話・夢の国を見て
Side:武田信虎
「凄かったぞ。久遠の本地は。山科卿の顔が青くなるほど、あの地は先をゆくのだ」
倅らに久遠の本領について話して聞かせておるが、あの地を見たことのない者に教え導くことが、かように難しく面白いとは思わなんだ。
「豊かな島ということでございましょうか?」
「いや、違うの。島はいずこにでもある島であろう。周囲に陸はなく攻められる恐れがないのは利となるが、同時に生きるのに苦労するはず。恵まれた本領を抱えて成り上がったのではない。知恵と力で今がある」
貧しき甲斐故に苦労をした。倅もそう思うておったのだろう。わしも似たようなものじゃがの。されど、あの地を見て理解した。生まれ育った土地の良し悪しがすべてではないと。無論、内匠頭の先代らがここに至るまで語れぬほどの苦労があったのは察するに余りあるがの。
「久遠の知恵は、朝廷をも超えると?」
「無論、朝廷や京の都が日ノ本の中心であり頂きにおることに変わりはない。数多の知恵もあろう。されど、秘して出さぬ知恵など、我らには知恵は無いのと同じではと思えるわ」
「父上!?」
典厩は、久遠と日ノ本にいかほど差があるのか知りたいようじゃの。思わず本音を漏らすと周囲を見渡し諫めるように声を上げた。
朝廷の力と知恵。軽く見るわけではない。されど、秘するばかりで、外に、特に東国になど出さぬではないか。都のことは都で。東国のことは東国ですればよい。今までと変わらぬ。
「まあ、戯言はいいとして。久遠と対峙するとなると、朝廷か公方様でなくば無理であろう。そもそも海を渡れぬ以上、戦も出来ぬのだ。日ノ本に引き込むことをせねば、対峙すらも難しいがな。誰が立つ? 管領殿ではいささか力不足だ。織田は安泰よ」
武衛様と大殿は東国を束ねるおつもりだ。そして足利家の下で新たな治世を目指す。公方様がその中心におられるとすると、最早、敵はおらぬ。
朝廷が騒ぐはずよ。世が変わるという瀬戸際にて朝廷はいかになるのか。己らで決められぬのだ。
「左様でございましたか」
「頼朝公の頃より続く東西の対立を終わらせる時が来たのかもしれぬ」
致し方ないことではある。大陸に近い西のほうが新たな知恵や品物が手に入りやすい。それが集まるのが畿内であり、都だったはず。すべては朝廷の権威の下で動く故、そうなっておったのだろう。
もともと豊かな地であり、多くの人が生きられる食糧もあったのだろうがの。
ところがだ。尾張より南に、大陸に匹敵する力ある者が密かにおり、己の力を蓄えておった。今度は尾張から新たな知恵と品物が日ノ本に入った。なんということはない。西が尾張に変わっただけ。
その変わっただけという地が東であったことが、朝廷にとって不幸と言えような。東夷、鄙の地。さように見下しておった地だ。栄えると面白うはずがない。古の世ならば征夷大将軍でも差し向けるのであろうが、今の朝廷に左様な力はない。
かと言うて、今の尾張が畿内や都に知恵や力を差し出す利もあまりない。朝廷に力を与えてこちらに刃を向けぬと言えるほど信などないのだ。東国にはな。
「甲斐も変わろうな。そなたは甲斐を変えた者として名を残すのやもしれぬ」
織田に降る。それは倅にとって致し方ない決断であったはず。とはいえ結果がすべてだ。勝てば功となり負ければ罪となる。東国一の卑怯者という謗りを変えることになるやもしれぬ。
それだけは安堵するわ。
Side:久遠一馬
鉄道馬車は大人気で行列が出来ているらしい。地元の人や津島天王祭の花火見物に来た人とか、いろいろな人が一度乗りたいと賑わっているようだ。
運賃はそこまで安くしていない。馬や馬車の維持を考えたものだ。とはいえ、話題の鉄道馬車に乗れるということで今のところ人が途絶える様子はない。
「更なる延長をと望む声はすでに出ておりますな」
「清洲ならいいでしょうね。ただ、落ち着いた頃にどれだけ乗客があるのか確認もいるからなぁ。稼ぐつもりもないですけど、維持するのに織田家が銭を出すというのはあまり良くないんで」
清洲城の執務室で、佐久間大学さんと打ち合わせついでに鉄道馬車の話になるけど、家中の評判も上々らしいね。鉄道馬車のように分かりやすい変化は喜ばれるようだ。
「城に登城する者らが多い朝夕ならばよいのでは? 武士の屋敷が多いところは十分やれると思うが。まずはそちらを延ばしてみればいかがか?」
「そうですね。あとは運動公園までは大丈夫だと思います」
政秀さんの後任として筆頭家老になっている佐久間さんだけど、この人もよく勉強しているんだよね。決してそれを自慢したりしないから知らない人も多いけどね。
家柄や戦の武功だけでは、今の織田家において家老は務まらない。無論、オレたちも理解してもらえるように話すけど、自分でも勉強をして分からないことを聞いてくれるのがこの人の凄いところだ。
功を挙げるために努力を惜しまない。ある意味、武士らしい人だね。
「あの果実酒というのも美味いの。甘美なうえ、ひとつひとつで味が違うからの。わしの妻もあれは飲めると喜んでおるわ」
「いえ、喜んでもらえたなら良かったです。あまり量が多くないのですが、また島から届き次第お贈り致しますよ」
今回のお土産は果実酒だったんだけど、評判はいいね。お酒はもっと売る種類を増やしてもいいんだけど。ウチだと金色酒・金色薬酒・澄み酒・麦酒・梅酒で十分売れていて、種類を増やしても結局ウチのお酒の総販売量は変わらなそうなんだよね。
「ともあれ、あと少しだな。院が無事に御還御されれば一息つけよう。懸念は続くのであろうがな」
「ええ、なにはともあれ、御幸を無事に終えることが大事ですね」
約一年に亘る上皇陛下の御幸。この影響と波紋はこれから広がるだろう。ただ、今は無事に御幸を終えることが第一だ。
帰りの道中を含めてすでに調整は始まっている。大きな問題はないんだけど、楽観出来るほどでもない。
「山科卿にそなたの本領を見せた件も注視せねばなるまい?」
「ご面倒をおかけします。大きな懸念にならないように話してはありますが……」
「山科卿は良かろう。されど、そなたと尾張をよく知らぬ者らがいかに思うか。観音寺城からも、その件は今後も緊密に話すべしと書状が届いておる」
義輝さんの意向もあって、ウチのことも幕臣が結構気を使ってくれているらしいね。ありがたいことだ。
幕臣、尾張に来た当初は敵になるかなと思ったんだけどね。事実、旧勢力となる者たちだし。ただ、義輝さんが味方になったことでいろいろと変わった。
彼らは良くも悪くも足利家を中心とした体制の武士なんだ。足利幕府の終焉をソフトランディングさせることが出来るのであれば、味方であり頼もしい人たちになっている。
政治体制や権力構造が変わることに大きな抵抗をする者があまりいない。個々の意識では分からないけど、自分たちの家と仕事がある以上は反乱を起こすほどでもない。
このまま新時代に官僚として残りそうだね。というか残ってもらわないと困るともいう。中央での政治経験者は喉から手が出るほどほしいんだ。
期待している。
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