第1669話・旅の終わり

Side:三雲賢持の母


 御家の黒い船が帆を張り、島を離れていきます。何事もなく無事に出立されたことに、ただひたすら安堵致します。


 海など見たこともなかった私たちが、甲賀から追放されて離島の代官としてこの地に来ました。それが、かような日々となるとは思いもしませんでした。


 蒲生様からは、六角の御屋形様も過ぎたることは遺恨と思わぬという、過分とさえ思えるほどのお言葉を頂きました。


 六角家や北畠家が、織田家や御家に倣い変わろうとしている。噂では聞き及んでおりましたが、実際にその様子を見るまで信じられないところもございました。


 ですが、此度のご訪問によりそれが事実だと理解しました。


「六角家も上手くいくといいのですが……」


「懸念ありますまい。殿ならば必ずや皆をお導きくださるはず」


 ふと共に船を見送る新左衛門尉の顔を見ました。いつしか立派となり、私が思う以上によき武士となったと思えます。


 今生の別れだと思い甲賀を出た時には、まだ甘えが見えたというのに。


「さて、ボクたちは牧場に戻るから。あとはよろしくね!」


「はっ、畏まりましてございます」


 少し前から滞在しておられるお方様がたは、船を見送ると牧場に戻られるとのこと。湊から採石場までの街道を整えるための縄張りをするのだそうです。


 私たちもお役目を全うせねばなりませんね。


 殿からは、伊豆諸島の更なる開拓を考えているとのお言葉がありました。伊豆大島を筆頭に僅かながら人が住んでいた島はあります。各島の島民の大部分をここに移しておりますが、それでも残っている者もいるのです。


 左様な島々をいかにするべきか。まずは島の様子を正しく把握するために人を遣わすことになるでしょう。


 受けた御恩は果てしなく重く大きい。わずかでも奉公をしてお返ししなくてはなりません。私も今以上に励まなくては。




Side:滝川一益


 もう帰りの船の上であろうか。此度、殿は父上を供としてお連れになられた。


 殿はいつも留守役ばかりなので、たまには父上を連れていこうと思われただけのようだが。父上は喜んでおられたな。


 本領と尾張の家臣をひとつとせねばならぬ。これは常々、父上や出雲守殿が言うておられることだ。我ら尾張の家臣は、本領の長老殿らより下の身分と心得よと、よく言われる。


 此度もその件で本領の者らとよく話をしてくると仰せであった。


「にしても院もおられるというのに。本領にお戻りになられるとはな」


「あまり近すぎてもよろしくないからな。このくらいでいいとわしは思う。広橋公、山科卿はいい。されどな。我が殿はあまりに院に近すぎる。今後憂いとならぬとは限らぬ。久遠家もまた本領が第一。そのくらいの姿勢を示しておいて損はあるまい」


 つい漏らしてしまった一言に出雲守殿が口を開かれた。


 我が殿は正しくは日ノ本の外の者。我ら家臣一同もそれを忘れてはならぬ。とはいえ、朝廷や公方様との関わりまで悩まねばならぬとは。わしのような者には少々荷が重いわ。


「尊いお方なのは重々承知しておるがな」


「それは皆同じ。されどな。いざ関わるとなると、それだけでは済まぬ」


 院や帝に頼りにされる我が殿が誇らしいとさえ思う。されど、いざ我らが銭や人を出して動かねばならぬとなれば、それだけでは済まぬ。いや、我が殿と本領のことを思うと止めねばならんとさえ思うこともあるのだ。


 人とは因果なものだなと思う。


 まあ、我らは留守居役として役目をこなすことこそ先決だ。津島天王祭も近い。あれこれと仕事が多くて院のことまで関わる余裕などないのだ。


 幸い、殿がおられぬことで院と関わることもないので構わぬがな。




◆◆

 永禄二年、斯波家と織田家を中心に、北畠晴具、蒲生定秀、朝倉宗滴、北条幻庵、山科言継らが久遠諸島を訪問している。


 一馬の帰郷に際して同行したものであるが、北畠晴具は自ら同行を頼んだと記録にあり、彼の行動により同盟関係のある六角家からも蒲生定秀が同行することになったようだ。


 北条家に関しては東の同盟に準ずる相手として一馬が招いたとされ、幻庵と氏尭が同行している。ただ、北条家では北畠晴具が同行することから、なにかしらの政治的な意味のある申し出だと受け取ったらしく、臣従も覚悟の同行だったと北条家の資料にはある。


 さらに山科言継、彼は後奈良上皇自らが一馬に頼んだ上での同行であった。無論、公式な記録にはそのような記載はなく、一馬が親交のある山科を独自に招いたという記録である。


 この件は『織田統一記』や『久遠家記』、『永禄二年久遠諸島訪問記』も同様であるが、他ならぬ後奈良上皇が時の天皇である正親町天皇にあてた書状が近年発見され、自ら交渉して同行を頼んだという旨が記載されていた。


 書状以外には一切の記載がないことだけに、詳しい経緯は不明であるものの、後奈良上皇の立場と朝廷と尾張の関係に影響を及ぼすことを懸念した一馬たちが、自ら私的に山科を招くという形で落ち着かせたと思われる。


 なお、織田家中においても、織田信長、吉法師、市姫、信康、平手政秀、沢彦宗恩、斎藤利政、小笠原長時、武田信虎、太原雪斎、姉小路高綱、京極高吉、稲葉良通、安藤守就、不破光治など、当時の古参新参問わず重臣評定衆が名を連ねており、先進地であった久遠諸島への視察としての同行であった。


 久遠家としては嫡男である大武丸と長女の希美姫が初めて帰郷するということで、島では一族領民が待ちに待った帰郷だったとある。


 滞在中は一馬を含めて領民と触れ合う機会を設け、大武丸と希美姫のお披露目や島の祭りを催して盛大に盛り上がったようだ。


 織田家の視察は四度目であるものの、信長や市姫など僅かな者以外は初めてであり、進んだ久遠諸島に大いに驚き、太平の世が見えたという言葉を残している者もいる。


 また山科言継はこの件を、後に永禄の世の遣唐使のようであったと言ったと伝わる。


 ただ、彼は久遠諸島の様子は一切書き残していない。具体的に見たものや聞いたものは久遠家の許しなく残すなどしないとの誓いがあったとされ、それは口伝により報告を受けた後奈良上皇を含めて徹底されている。


 旅自体はとても楽しかったらしい。伊豆諸島神津島では温泉に入るなど、久遠家としてのもてなしも多々あった。


 世は室町時代末期であり、尾張を中心に新しい秩序が生まれ始めた頃であった。この旅はそれを如実に表すような出来事であり、同行した者たちは、最早、古き世には戻らぬと悟ったとも言われている。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る