第1667話・帰りの途中で

Side:久遠一馬


 船は寄港地である伊豆諸島神津島に到着した。


 行きは早かったこともあり上陸しなかったけど、帰りは行きよりは時間が掛かることと神津島の視察もしたいので上陸する。


「無事の御到着、祝着至極でございます」


 代官である三雲さんたちが出迎えてくれた。元気そうでなによりだ。緊張しているのがありありと分かるけど。


「ご苦労様。大変だろうけど、よくここまでやったね」


 行きの際も見たけど、港は立派なものだ。道中幻庵さんが羨ましいとこぼしていたほどだ。ちゃんと検疫もやっているし、港として機能している。


 こっちも本気で開発したけど、武士である三雲さんが差配してこれだけの港を造ったというのは、ウチとしても得るものが多い。


「久しいな。三雲殿」


「蒲生殿。お久しゅうございます。皆々様のご配慮により、こうして生きて務めを果たせておりまする。どうか六角の御屋形様にも良しなにお伝えくださりますよう、お願い申し上げます」


 一通り挨拶と検疫を済ますと、三雲さんは蒲生さんに深々と頭を下げた。三雲家は近江を追放された身分だからなぁ。難しい立場なのは変わらない。


「我が御屋形様もそなたの活躍を喜んでおられた。いろいろあったが、かつて仕えた者であることに変わりはない。ただ、武衛様や弾正殿、内匠頭殿の温情は決して忘れてはならぬぞ」


「はっ、畏まってございます」


 まあ、そんなに悪い雰囲気じゃない。けじめは必要だというだけだ。


「そういえば温泉湧いたんだよね? 入れる?」


「はっ、本日の宿として温泉をご用意しておりまする」


「それは良かった。皆様方に疲れを癒してもらいたいんだ」


 ざっと見た感じだけど、伊豆と駿河の船も来ているようだ。神津島は開発をしているものの、自給自足を考えたものじゃないからね。金払いのいい上客だからか、相応に商人が来るようだ。


 まあ、ウチと織田家以外だと船そのものがむしろ帆であり、安全性も考慮してない和船なんだけど。ただ、それでも利になるんだろう。


 さて、どんな温泉かなぁ。オレも楽しみだ。




Side:蒲生定秀


 これが流刑地の島じゃと。船から見えるのでおおよそは分かっておったが、上陸すると湊と町に驚かざるを得ぬ。なにより代官が三雲新左衛門尉であることに驚きを禁じ得ぬわ。


 北条が険しき顔で来るわけよの。なにやら誤解をしておったようで次第に穏やかになったが。久遠に与えた島がかように様変わりしては、力の差を感じずにはおれぬ。


 滝川望月ほどとは言わぬが、与えられた役目を見事にこなしておる。これは三雲の才と功と見るべきであろうか? それとも久遠の政が優れておると見るべきか? 双方あると見るべきかの。


「おお、海を見ながら温泉に入れるとは。なんとも風情があってよいの」


 案内された温泉地は、伊豆や駿河からの旅の者や織田と久遠の船の者がおる様子。立派な温泉がある旅籠があり、我らはその中でも特に立派な屋敷に入るようだ。


 すぐに目の前には海が見えて、岩場の中に広々とした露天風呂がある。山科卿もその様相に驚きと喜びの声を上げたわ。


 少し濁った湯に入ると、体の芯から温まるようじゃ。険しいと聞いておった船旅もさほど苦にならず、久遠諸島に至っては極楽かと疑わん地であった故、疲れなどないが。にしてもこれほどの湯と眺めをお目にかかれる機会は滅多にない。


「冷やした酒でもいかがでございますか?」


 なんと!? ここで冷やした酒じゃと? そういえば久遠では夏場に氷菓子を振る舞うと聞くが。


「ああ、なんと美味い酒よ。熱い湯に冷えた酒がかように良いものだとは」


 いかんな。つい本音が出てしもうた。されど、これこそまさしく贅沢の極みではあるまいか。夏場に温泉に入り、冷たい酒を飲むなど。


「おんせん!」


「あったかいね!」


 吉法師殿と大武丸殿もご機嫌なようだ。ふたりは酒ではなく果実の絞り汁のようだがな。


 なんとも良い心地よ。すべて忘れてしまいたくなるわ。




Side:お市ちゃんの乳母・冬


「ああ、なんとよい景色と湯でございますね」


 男衆とは別に温泉に入れるということで、私も姫様の供として入ることを許されました。エル様方がご配慮くださったのです。


「花と種も温泉が好きなのですね」


 姫様はお連れになった花と種の二匹と希美様と共に温泉を楽しんでおられます。


「犬は湯を嫌う子もいるんだけどね。ウチの子たちは結構好きね」


 まあ、左様でございましたか。マドカ様のお言葉に驚かされます。織田家でもてうつきとその子らがいますが、皆、お湯を喜びますので知りませんでした。


「それにしても、あの速鰐はやわに船とは凄い船でございますね」


 巷ではあの船を白鷺の船と呼ぶとか。織田家では速鰐船と命名しておりますが、白鷺が止まったことで一躍名が知れた船でございますので。


「現状では当家でも、あれ以上の船は難しいですから」


 エル様のお言葉に自信のようなものを感じます。もとより久遠家の船は他の船とは比べようもないほど優れておりますが、姫様のお供として幾度も乗っている私でさえも此度の船は驚きました。


「もっと速い船を皆で考えましょう! さすれば一馬殿やエル殿はもっと本領に戻れるようになります」


「ええ、そうでございますね。姫様。常に新しいものを考えておくべきですので。当家でも考えておりますよ」


 ああ、姫様はあれほどの船を知りつつも、もっと速い船をと思われるのでございますか。ただ、エル様はそんな姫様に嬉しそうにお答えになられました。


 やはり久遠家に輿入れするとなると、姫様を置いて他にはいないでしょうね。誰よりも久遠家のことを理解しておられます。


 お清殿と千代女殿が名を上げたことで、久遠家に輿入れするには相応の才がいる。織田家中ですらそう言われております。


 もっとも、大殿は一言も姫様を久遠家に輿入れさせるなど言うておられませんが。


 若い者には思うままに生きる時を与えたい。内匠頭殿のお考えであり、久遠家において婚姻に苦労をしている理由だと伺っております。


 こればかりは理解出来ぬという者も多くおりますが、姫様の乳母として関わる機会の多い私は少しだけ理解しております。


 好きなことをさせて才を見つける時を与えたい。左様なお考えだと私は受け止めております。現に一族や重臣の幼子を集めることがある姫様は、家中でも一目置かれることがあるほど。


 久遠の知恵の根源のひとつだと思います。


「いいお湯でござる」


「このまま日暮れまでのんびりするのです」


 うふふ、すず様とチェリー様のお顔を見ているだけで気分が良くなるようでございますね。私もゆっくりと温泉に入ることが出来て幸せでございます。



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