第1663話・その島は久遠諸島・その十一
Side:久遠一馬
滞在五日目、午前中は信長さんたちとは別行動で仕事だ。もともと日ノ本の外に関連する仕事も表向きなことは尾張でしていたし、それをしているだけになるけど。
「しかし、商人の勢力圏じゃないよね。今更だけど」
北は蝦夷、樺太、大蝦夷と仮称している史実のウラジオストク以北のシベリアは事実上の領有と言ってもいいだろう。少なくとも将来的に領有を主張出来るだけの仕込みは終わっている。
南は大東諸島、台湾、フィリピンに入植をして定着している。大東諸島は無人だったことから領有と言っていいだろう。
東は大和大陸と仮称している史実のアメリカ大陸に、瑞穂大陸と仮称しているオーストラリア大陸も入植が進んでいる。さらにハワイ諸島は完全に領有化したようだ。
「日ノ本からの流民もそれなりに入っています。このまま領有の既成事実化するべきですね。一部は私たちの恒久的な領有が必要です」
欧州の世界進出はほぼ頓挫している。当然ながら現在の情勢と今後の見通しからオレたちの方針も変わる。
「やっぱりそうなるんだろうね」
エルの言葉に少し渋い顔をしているだろう。正直、先のことはいろいろと難しい。
「子どもたち、子孫たちを日ノ本の政治から切り離したいならば特に必要ですよ。勢力圏が広すぎます。どのみち海外領は連邦制国家のようにしないと維持出来ません。さらに相応の経済力と軍事力は維持しないと平和など守れません」
オレも変わったのだろうが、エルも変わったと思う。もともと強硬路線はあまり好まなかったんだけどね。
「仕方ないね。硫黄島にある宇宙港の南洋移転も承認しよう」
恒久的な領有。これは避けられないことだな。この方針転換、これ以前から報告が上がっていたんだよね。それに関連して硫黄島にある宇宙港を北マリアナ諸島に移転して、硫黄島は小規模な宇宙航空の拠点を擬装して残す以外は普通の島として開発することにする。
実は水軍関係者が荷物運びのために母島にも行っていて、硫黄島も遠くないうちに解禁する必要がありそうなんだ。
海外領、これ信秀さんたちとも何度か話しているけど、オレたちが生きている間に出来るのは日ノ本の一部と公式記録を残すことくらいだしね。実効支配と統治は、どのみちオレたちがしばらく手助けして管理する必要がある。
「すでにグアムを南方の重要拠点として開発している最中です。今後はあちらも水軍に公開する前提で動くべきでしょう」
織田家の海外進出が思ったより早いんだよね。すでに蝦夷、大蝦夷の西南大蝦夷港。史実でいうウラジオストクには、水軍関係者とウチの家臣がウチの船で行っているからな。
やれることはやっておきたい。平和を唱えるだけで平和となる世界なんて存在しないんだから。
Side:姉小路高綱
この日は内匠頭殿が仕事のため同行しておらぬが、我らは船と海戦の鍛練を見せてもらっておるのだが……。
「おおっ!」
「あれが鯨か!!」
偶然にも鯨漁を見ることが出来た。なんとも凄い。わしのように海のない地で生きた者からすると鯨は信じられぬ大きさだ。
この地の者にとって鯨漁は喜びであり、生きる糧でもあるのだそうだ。
「人とは変わらぬものだな。飛騨の地でも山で獲物が獲れると皆で喜んでな」
海と山。まるで違うが、人の様子とは似ておるように見える。時として恐ろしくさえ思う久遠の者らも鯨を見つけて喜ぶ様は変わらぬのだ。
「同じなのでござる」
「喜びもすれば悲しみもするのですよ?」
刀殿と忍殿がなにを今更と言いたげに首を傾げると、思わず笑うてしまう。
「わしのような者からすると、久遠の者はあまりに優れ、高徳に思えてな」
内匠頭殿らが苦労をしておるのは見ておる。されど、それでもあまりの違いに己の不甲斐なさを見せつけられるような気がするのだ。
「そんなことないわよ。出来ないことも多いし、助けられない人も多い。武士が戦で手を抜かないように、私たちは常に手を抜かないで生きているだけ。人の本質なんて同じだもの。手を抜いて気を抜いた先にあるのは……」
静かに海を眺めておられたマドカ殿の言葉に周囲の者が見入った。
飛騨の地で家臣を恐れ、三木を恐れ。恐れから逃げるように織田に降った。左様なわしと同じだと言うのか?
「違うとすれば、少しばかり知恵の使い方を知っておるくらいであろう?」
「左様でございますわ。若殿」
いつの間にか織田の若殿が近くにおられた。ああ、そうか。ほんの僅か優れておる。それが埋まらぬ差なのかもしれぬの。
わしは人の上に立ちたいとあまり思わぬ。今のままで良いのだ。程よい地位で家を守れればな。それもまたひとつの道であろう。
偶然とはいえ、苦労をしておられる山科卿を見ておると織田に従うて良かったと思うわ。
自ら朝廷のために働くより、与えられた命をこなしておるほうがよい。
山科卿の真似は出来ぬし、したくもない。帝や院には申し訳ないがな。
Side:太田牛一
図書館というものが本領にはあると聞いておったが、ここは凄まじいな。あらゆる書物があると言うても過言ではあるまい。ただ、気になるところがあるとすると、殿や先代様を含めて、代々の当主に関する書物がないことか。
唐天竺や南蛮の書物ばかりか、御家の学問、知恵、試行錯誤の証となる書物はこれほどあるというのに。
「殿は、まことに御家とご自身の名を残すおつもりなどないのだな」
民の暮らしや人々の営みすら残されようとするお方だ。残すことが知恵となる。わしも御家に仕えて、それがいかに大切であるか知った。
ところが殿が命じるのは織田家や斯波家、民の暮らしや今ある知恵を残すことだ。ご自身のことと御家のことは望まれておらぬ。
それ故であろうな。同じ織田家中の者ですら、殿が仏の化身ではないかと思うわけは。私心を持たぬように見える。
その理由をわしは知っておる。殿は権威というものをあまり好かれぬ。口には出されぬが、人と違う立場となるのも喜ばれておらぬのだ。
政、人の上に立つことですら望んでおられぬからな。大武丸様らにも、さような身分と立場を残さぬように考えておられるほどだ。
「お叱りを受けるのかもしれぬな」
ただ、わしは殿と御家の証を残したいと思うておる。
命じられておらぬが、殿とお方様がたのご活躍とご苦労を後の世に残したい。そう思い、密かに書き留めておる。
無論、殿が破棄せよと命じるならば消し去るのみ。されど、残してもよいと言われるならば残したい。
たとえ殿の子や孫が市井の民となったとしても、殿の功と果たした功は消えぬはずだ。正しき記録は、必ずや久遠家のお役に立つはず。
一介の臣下でありながら、出過ぎた真似だがな。
されど本領へと来て、わしは己の考えが正しいのだと、一層確信を深めた。
役目の合間にするならば構うまい。尾張に戻る前に、もっと本領の者らの話を聞いておくか。
◆◆
『久遠家記』の著者である太田牛一は、久遠家記の冒頭にこれを残すべく考えた理由を述べている。
自身のことよりも、多くの知恵や人々の生きている姿を残すように命じた久遠一馬と奥方たちのことを、なんとしても残したくなり牛一が独断で始めたことだとある。
世のため人のため、なによりも久遠家の子々孫々のためにきっと役に立つはずだと残した牛一の『久遠家記』により、多くの事柄が後世に残っている。
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