第1662話・その島は久遠諸島・その十
Side:久遠一馬
四日目、今日は牧場の視察だ。夏日といってもいい暑さと少し涼しい風が気持ちいい。木陰で昼寝でもしたら気持ちよさそうな天気だね。
放牧地には馬や牛の姿が見える。この光景だけならば尾張でも見られる。ただ、尾張にはいない品種の馬や牛もいるけどね。
「争いがないとは、かような国になるのであろうな」
山科さんがそんな景色を見つつ、独り言のように呟いた。
争いを望まない公家ですら争わない世が分からない。難しいよね。史実では長い争いを経て、徳川幕府という統一政権が出来るまでは不安定だったからなぁ。江戸時代ですら安定したのは綱吉の治世以降だろう。
そう考えると尾張の現状は奇跡かとオレですら思える。
「争うほど大きな島ではないですからね」
島では刀や槍どころか脇差しすら持ち歩く人は見かけない。家には各家に伝わる刀や脇差しはあるそうだが、守り刀として大切にする程度らしい。
「それだけではあるまい? 荒れる日ノ本を知ればこそ、皆で力を合わせて生きておったのであろう? 日ノ本では、長き戦乱で責めを負うべき者はすでに生きてはおらぬ。いや、日ノ本が荒れるということ自体の責めがあるとすれば……」
山科さんは、オレたちが日ノ本を反面教師としていたと見たようだ。まあ、否定するほどでもないだろう。ただ、山科さんは続けてなにかを言いかけて言葉を飲み込んだ。
誰が責任を負うべきなんだろうね。それはオレにも分からない。歴史の積み重ねであり、その時々の人たちだって必死に生きていたはずだ。極論を言うならば、中世という時代に太平の世を創ること自体が夢物語なのかもしれない。
「あれは……」
「象でございますよ」
そのまま牧場を見物しつつ歩いていると、放牧地から動物の飼育場所に来ていた。珍しい動物などを集めたところだ。
「まことにあのような大きな姿だとは……」
「書物で見たが、己の目で見るまでは信じられなんだわ」
織田家中の皆さん。実は象を知っている人が多い。動物図鑑と言っていいのか分からないが、数十種類の動物の写実画が描かれた図鑑があって一時期流行ったんだ。
前回信秀さんたちが来た後だろうか。ここで虎や象を見たと聞いた人たちが、どんな動物か知りたいと話題になった時に、学校にあった図鑑を借りて見ている。ちなみに原本はメルティが制作して、写本は慶次と留吉君がしているので学校にある貸し出し用はふたりが写本したものだ。
あまりに需要が多いんで、尾張では元絵師で写実画を学んでいる人が数人いて、最近は絵の写本専門で働いている人がいるけど。
鳥獣、草木、魚介などの図鑑をウチが学校に寄贈しているからね。描かれている種類は時代相応でそこまで多くないやつだけど。
「あれが虎か!?」
人気なのはやはり虎だね。子供たちもびっくりしたように見ているけど、大人たちもその迫力に見入っている。
他には猿や熊や狼など、日ノ本で見かける動物もいろいろといる。この辺りは前回より増えたものだね。
「久遠では虎も食うておるのか?」
「いえ、食べませんね。皮が高価なので育てて増やせないかなと試しているところです。実はあまり上手くいっておりませんけどね。今はどんな暮らしをして、なにを食べるかなどを調べているところですね」
晴具さんの問いに驚いた顔をするところだった。この時代の人、なんでも食べちゃうからなぁ。ウチも那古野の牧場は基本食用ばかりだから、そう考えても無理はない。
ウチの最新の学問というか研究のひとつだと知ると、皆さん興味深げに虎を見ている。
「もう少し言うと、生き物の生態。なにを食べてどうやって暮らしているか。それも当家では学問のひとつなので。珍しい動物は捕まえて育ててみることはしますね。病なんかを運んでくることもあるかもしれないので、ここに持ち込んだのは事前に他の地で育ててみたものだけですけど」
子供たちはいろんな動物を見られて楽しそうだなぁ。虎や象ばかりじゃない。熊や狼とか鹿とか兎とかも本物を見たことがないからな。
まあ、動物の数は少ないけど、元の世界の小さなこども動物園みたいなものかな。お市ちゃんとかは前回も来ているから、皆さんに説明するようにしていて微笑ましい。
あとは昼食を挟んで牧場の様子とかも見せようか。
Side:山科言継
上手くいっておらぬ。それを隠すことなく認め、さらに上手くいくように励むという。内匠頭は当然のように言うておるが、久遠家の強みよの。
この男をまことに従えるなど出来るのであろうか? この地を見ておると愚かとしか思えぬわ。
「そういえば久遠家では犬も賢いと評判でございますからなぁ」
「ああ、ロボの子たちであろう? あれには驚いたわ」
ああ、あの久遠家の飼い犬か。確かに大人しゅうて賢い。つまり犬も久遠の知恵により育てておるということか。
町、畑、学校、病院。すべてに通じることじゃの。
利になるかならぬか関わりなく、学問、知恵を形としていく。久遠は学問を一から創り出してしまうのじゃ。織田の者は久遠ならばと納得しておるが、この事実の価値を理解しておるのは幾人おるのであろうか?
若武衛と尾張介と
ただひとつ、内匠頭はやはり人なのであろうな。それだけは確と分かった。多くの積み重ねの上に今があるのは確かじゃ。
にしても、人だということはさらに難しゅうなる。朝廷でさえも、この男を従えるなど出来るとは思えぬ。当人に野心がないとはいえ、家と民を抱える身であることに変わりはない。
院にはいかに話すべきか。噓偽りなど言えぬ。とはいえ、久遠に倣うというのは、言うは易く行うは難しというところ。
「おっきいうま!」
「おっきい!」
ああ、楽しげな子らがなんともいいの。こちらから刃を向けぬ限り、内匠頭は我らに刃を向けまい。それを知れただけでも良しとせねばならぬな。
もっとも内匠頭の実子のみならず、猶子とした子や家臣の子らも扱いは気を付けねばならぬが。この男は己の配下や民を害されることを誰よりも気にする。特に子は逆鱗と見るべきじゃの。
ふと見渡すと、皆それぞれにこの地を見て、学び考え悩んでおるようじゃ。
一戦交えて従えて所領を治めさせる。当たり前のことをせぬ内匠頭は誰よりも慈悲深いが、一方で誰よりも難しい男よな。
「山科卿もよろしければ少しお乗りになられますか?」
「うむ、頼もうかの。かような大きな馬など初めてじゃ。いい土産話になるわ」
内匠頭の勧めで吾も日ノ本にない馬に乗せてもらう。馬には乗り慣れておるが、見える景色の高さは日ノ本の馬とまったく違うの。
よき地じゃ。心からそう思う。この地を乱世に巻き込みたくない。武衛や弾正の強い意志のわけも分かった。
共に生きる道を必ず見つけてみせようぞ。
吾に出来るのはそれくらいじゃからの。
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