第1659話・その島は久遠諸島・その七

Side:斎藤道三


 もうじき日暮れとなる頃、図書権頭殿と屋敷の庭で少し話をする。


「ここはよいの。身分ある者でもひとりで町に出られる。尾張に来た頃、内匠頭殿らが警護の者も付けずに町に出ておった理由が分かったわ」


 日ノ本という地獄から久遠という極楽に来たと言えば言い過ぎであろうが。この国から尾張に行った内匠頭殿は、いかな思いで我らを見ておったのであろうな。


「やはり山科卿に見せたのはまずかったとしか思えぬ」


 図書権頭殿が言い切るのは珍しきことよの。されど、わしも同意せざるを得ぬ。内匠頭殿らは山科卿を信じておるようだが、信じた者も明日になれば裏切ることなどようある。我らはかような者を幾人も見てきた。


「帝と院の御為となれば、なにをしても許されると思われるとの」


「今はいい。だが、都に戻られてから心変わりせぬと言い切れまい?」


 そこが懸念じゃの。長きに渡り続く朝廷と帝のため、久遠の秘することを朝廷のために使い始めるのではあるまいか?


 いっそ、わしが泥を被って……。


「いかがされましたか?」


 そこまで考えたところで、大智殿が近くを通りかかったので呼び止めた。良い機会だ、懸念は懸念として伝えるべきであろう。


「私たちは今までにも同じような懸念を幾度か乗り越えてきました。信じても危うい。信じずとも危うい。いずれにしても懸念は残りますから」


 やはりこの者は違うの。わしらの懸念を理解しつつ、すぐに返答を出来るとは。


「ご懸念の答えに必要なのは、朝廷も変わろうとしているということでございます。私たちはその芽を潰すことだけは出来ません」


 その言葉に図書権頭殿が驚いた顔をした。


 やはり山科卿の同行は院の意思があると見るべきか。密かに拝謁したあと、山科卿の同行を許すとなったことで察しておったが。


「このことはどうかご内密に。ただ、本当に困ったら助けを求めます。それまでは私たちを信じてくだされば幸いです」


 久遠は、いずこまで先をみておるのだ?


 されど、信じるか。危ういの。内匠頭殿も大智殿も承知のことであろうが。


 まあ、我らは今しばらく時を待つしかない。図書権頭殿と顔を見合わせてそう納得した。




Side:京極高吉


 姉小路卿と顔を見合わせた。互いに考えておることは理解する。


「あの御仁はまことに争いを好まぬな」


 内匠頭殿から山科卿のことを少し気にかけてやってほしいと頼まれた。


 公卿とはいえ単身ではいささか肩身が狭いのも事実。厳密には北畠の大御所様と姉小路卿も公卿ではあるが、立場が武士寄りとなる。ただひとり京の都の公卿ということで、皆が腫れ物を触るように扱うておるからの。


「よき風が吹いておるわ」


 今宵は外での宴か。尾張では久遠焼きと言うておる。これは尾張でも時折あるが、もとは久遠の流儀のもの。作法や形式にこだわらず皆で楽しく飲んで食う。まさに久遠殿らしい宴と言えような。


「さあさあ、皆の衆。飲むのでござる!」


「お酒はたくさんあるのですよ~」


 刀殿と忍殿が皆に酒を配っておられる。内匠頭殿の奥方は変わった御仁が多いが、侮るとろくなことにならぬ。このお二方もな。広域警備兵にて数多くの武功を挙げ、賊殺しとして恐れられておる。


「山科卿は、ちょっと違う麦酒なんかいかがでござるか?」


「違う麦酒か。では頂こうかの」


 ほう、新しい酒を山科卿にお出ししたか。酒好きな御仁だが、遠慮してかあまり飲んでおらぬからの。相も変わらず気遣いをするわ。


「ほう……、これはよいの!?」


「遥か西の国ではその麦酒が飲まれていて、ひと味違う苦みと爽快さが特徴なのです!」


 気になってわしも同じものを頼み飲んでみるが、確かにこれはよいの。麦酒も悪うないが、この癖がなんとも良い。気落ちしておられた山科卿も楽しまれるわけか。


「はふはふ、これがまた美味いわ」


 煉瓦を組んだ焼き台で焼いた魚が、また美味い! 焼けた魚を熱々のまま頬張ると、程よい塩加減と焼けた皮目に、中のふっくらとした身が口の中に広がる。これがたまらぬ。


 ふむ、この新しい麦酒ともよう合うわ。


 毒見だなんだと冷めた飯を食うより、温かいまま食うほうが美味い。礼法や形式を疎かにするわけではないが、宴くらい好きなように美味いものと酒を飲み食いするのが良いのかもしれぬと思うわ。


 ああ、この地では久遠の流儀が正しき形。これが礼法とも言えるの。ならば誰憚ることもないわ。


 どれ、山科卿の話し相手になってやるか。互いにこれ以上溝が出来ると良いことなどないのだ。酒を飲みながら酒の話をするならばわしも悪うない。




Side:久遠一馬


 オレはみんなに料理やお酒を届けている。今日は新しいお酒がある。ホップを使ったビールだ。少し冷やしてお出ししているからか大人気だね。


 麦酒そのものは安酒として売り出したのでエールにしてあるけど、今後はホップを使ったビールを、少し高級な麦酒として出してもいいかなと思っている。


 あとは島の果物を使った果実酒。これは以前の時にも出しているけど、島の外に流通させてないんだよね。島の名産として味わってほしい。


 料理はバーベキューだ。これシンプルだけど評判いいんだよね。


「ああ、若様。熱いですよ。お気を付けて」


「あちっ、でもおいし!」


 子供たちは一緒のテーブルで食事をしているけど、ここもいい食べっぷりだ。吉法師君が魚にかぶりつくと笑みを見せてくれている。信長さんも我が子のこういう豪快な食べっぷりを喜ぶんだよね。


「あら、大御所様。果実酒はいかが? 島の名産よ」


「ほう、いろいろあるの。これは迷うわ」


 あちらではアラブ系の顔立ちに白い髪をしたシェヘラザードが果実酒の水割りを作っていて、大御所様が興味があるのか見に来ていた。この島ではいろいろと果物を育てているので、それを使った果実酒が結構あるんだよね。


「知恵とは良いものよな。高徳な仏の教えとやらはわしには難しゅうてならぬが、こうして美味い酒と飯を生み出すと言われると学びとうなるわ」


「もう~、戯言がお好きなこと。大御所様ほど徳のあるお方はそうおりませんわ」


「戯言ではないぞ。久遠の知恵は目に見える実りがある故、面白うての。わしはこの歳で天竺殿に学んでおる弟子でな」


 晴具さん。本当にウチの妻たちに慣れたなとシェヘラザードとの会話で思う。挨拶以上はしたことないはずなのに。


「いやはや、今川家の太原和尚と久遠殿の本領にて、ゆるりと飲めるとはの」


「日ノ本の外。かつては遥か天竺に足を運びたいと思うたこともございます。されど出来るはずもなく、この歳になり日ノ本の外に出られるとは思いませなんだ」


 ああ、あまりお酒が飲めない。というか医師から制限がある宗滴さんと雪斎さんは、端のほうで一緒に舐めるようにお酒を飲んでいた。


 実質隠居組だからなぁ。ふたりとも。


「この地をいかが思いまするか?」


「さて、拙僧にはまだ分からぬというのが本音。分かるのは、己が御屋形様より与えられた身分で甘えておったということでしょうか。学問も政も仏の道も、もっと精進するべきでございました」


「そこまで言われるな。それを言うなら皆同じであろう。乱世を生き、御家を残すべく尽力され結果を残した。立派なこと。家を残すことこそ武士の務め。わしなど道半ばでこうして病で療養の身じゃ」


 うーん。ここは渋い会話だけど、表情は悪くない。こうして胸の内を晒してお酒を飲める。それもひとつの宴の姿だろう。


 あまり会話に加わる必要もないし、一声かけてお酒と料理を届けるだけでいいか。


「師と爺とこうして飲むのは久方ぶりだな」


 さてと、お酒と料理が足りない人を探していると、信長さんが政秀さんと沢彦さんと一緒に飲んでいた。


 もともとあまりお酒は強くないけど、昔よりは少し飲めるようになったんだよね。それでも晩酌程度だけど。


「お忙しい身となられましたからな」


「我らが歳を取るわけじゃの」


 ここはなんというか。久方ぶりの休暇という感じか。少し昔を懐かしむ沢彦さんと政秀さんに、信長さんは嬉しそうにしつつも少し恥ずかしげでもある。


 これはあれだな。このまま昔の話で盛り上がるな。水を差す必要もないね。ゆっくり楽しんでもらおう。


「山城守殿はよう決断されたと思う。我が身となると難しゅうてな」


「わしは六角家ほど地位も余裕もなかっただけじゃの。追い詰められておっただけのことよ。余裕があれば見誤ったかもしれぬの」


 こっちは蒲生さんと道三さんだ。そういや、元から隣国だったし互いに名前くらいは知る関係か。


 蒲生さん。彼も山科さんほどじゃないにしても、六角家の代表として気を使っている。ただ、宴や見学では楽しみつつ学んでいるんだよね。あまり心配いらない感じ。立場的に味方として信頼もあるからだろうけど。


 義輝さんもいるし、義賢さんとも関係は良好だからなぁ。


 他にも幻庵さんと信虎さんとか、歴史を知ると面白い組み合わせでお酒を飲んでいる。この光景だけで歴史が動いたなんて実感する。


「殿、殿も少し落ち着いて召し上がってください」


「ああ、そうだね。ありがとう」


 今回、オレは皆さんを歓迎する側だからね。頑張って働いていたが、ソフィアさんに止められてしまった。


 まあ、島にいる妻たちとか長老衆も同席していて、働いたり皆さんに声をかけたりしているしね。もう少しお酒が進むと腹を割ってみんなで騒げそうだ。


 オレも少し楽しもうかな。こういう時はそれもまた大切だ。


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