第1658話・天と地と……

Side:足利義輝


「勝手極まりないオレが言えることではないが、院にも困ったものだな」


 武衛、弾正、師と絵師殿の五人で茶にしておるが、遥か南の久遠諸島を思うと、ついつい左様な言葉が出てしまった。


 思いも願いも察するに余りある。されど、政どころか僅かな公卿以外は拝謁すら叶わぬお方だ。世の流れと政の難しさ。御身の覚悟がいかに周囲を困らせ、世を乱すきっかけとなるか理解しておらぬ。


 近衛殿下は院と共に尾張におり、目を離すべきではなかったな。今にしてみるとそう思えてならぬ。


「朝廷と都。変えねばならぬのも事実でございましょうが、今はその時ではございませぬ」


 弾正の言う通りだ。こちらが新たな国の礎を整え、東国を制してこそ西に目を向ける必要がある。まさか他ならぬ院がそれを待てぬとは。


「院は、新たな仙洞御所での儀式を一旦取りやめにせよと命じておる。いかにやら三関の一件、お耳に入ったようでな。少々お怒りのようだ」


「それは初耳でございます」


 武衛らが驚いた顔を見せた。オレもついさっき観音寺城からの知らせで知ったばかりだからな。


 譲位に際した警固固関の儀。思えば、これが尾張と朝廷の誼が変わり始めた頃だ。都でもこの件に関して話しておるところ。主上からか公卿からか分からぬが、誰ぞが院のお耳に入れたのであろう。


 お戻りになられることに変わりはないが、それを口実に公家衆があれこれと諸国に配慮をせぬことをするのではと案じておるとのこと。


「院は公卿を信じておらぬということでございましょうか?」


「さてな。そこは誰にも明かされぬであろう。ただ、一馬と院が話した内容は漏れておらぬのであろう? ならばそう受け取っても差し支えないのかもしれぬ」


 無言だった絵師殿の問いに皆が事の難しさを痛感する。院は一馬にお会いになられて内裏の外を知りつつある。公卿とて難しき世にて朝廷と己が家を残すために生きておるが、日ノ本のためと思い動く者はまずおらぬ。


 当然といえば当然だ。己が家こそ第一なのだ。武士公卿問わずな。世のためなどと口にする者に限って、己の家あっての世だと考えておるほど。


 院はあり得ぬはずの世のために動く唯一の男を知ってしまった。それが院を動かしつつある。


 院や帝が公卿ではなく武士、それも日ノ本の外の者を信じることになろうとはな。いかになるのやら。




Side:久遠一馬


 大武丸と希美のお披露目は楽しかったなぁ。島の人たちと触れ合う。これオレも経験がないことだからな。注目を集めて人を従えるのは未だに慣れないけど、そこを割り切ると本当にいい故郷だなって思う。


 個人的にはもう少し島の代表くらいの立ち位置が理想なんだけど。まあ、時代を考えると無理があるしね。みんなが安心して暮らせるなら構わないだろう。


 来客の皆さんの見学も順調だったようだ。止まった高炉と移り変わる産業、その一端をお見せ出来た。まあ、尾張で高炉が災害や事故で止まることになると困るので、当面は維持するという体裁でしばらくは残すけどね。


 地域や立地により産業の差別化と多様化は今後の課題だ。ウチの島は長期的には技術中心のものづくりに移行するべきだろう。


「殿、山科卿が少し気落ちしておるやもしれませぬ」


 夕方になり来客の皆さんと同行していた資清さんが、そんな報告をしてくれた。


「察するにあまりあるんだけど、本音が分からないのと立場があるからね。お互いに」


 全体として見知らぬ土地での視察を楽しんでいただいたようだけど、ひとりだけ立場が違うのが山科さんだ。少し居心地が悪そうなんだよね。屋敷の図書室でもちょっと落ち込んでいたようだし、気持ちは理解するけど。


 みんなで国を豊かにしよう。北畠、六角、北条も追いつき追い越せという感じだ。ところが朝廷はね。決して悪い状況じゃないし、ちょっとずつ変わり始めている。凄く頑張っていると思う。


 ただし、この島と織田家の皆さんを見ていると不安が増すだけなんだよね。多分。


「決して他では口に出せませぬが、いささか来るのが早かったのではと思えてなりませぬ。ご本領を知ることで、朝廷は日ノ本の今の世を見誤る恐れが……」


 資清さんにしては珍しく直接的な懸念だ。それだけ山科さんにこの島を見せるのはリスクがあるということだろう。


「近江より西は尾張とは違う世と思うべきだしね。言いたいことは分かる。まあ大御所様とも話して帰るまでに落ち着いてもらうべきだろう」


 尾張が変わるスピードは早い。ところが西は尾張の影響はあれど、基本的には室町末期と戦国期のままなんだ。


 義輝さんはもう近江に腰を据えて、こちらが動くのを待っているくらいだし構わないけど。朝廷が下手に焦ると近江より西が荒れる原因になりかねない。


「蔵人の件が尾を引いているからね」


 同席するマドカが苦笑いを浮かべた。医師という立場上、毎朝、ひとりひとりと話して診察するからなぁ。皆さんの空気を敏感に感じるんだろう。


 山科さんは信用出来る。でも公卿は? そうなると皆さん返答に困るだろう。これは晴具さんを含めて朝廷との厳しい折衝経験が多くないからだろうね。そういうノウハウがあるのは幕臣としての経験がある京極さんくらいか。


 細川京兆くらいに、常に朝廷とやりあっても戦まではしないくらいに政争慣れしていると違うんだろうけど。


「まあ、懸念ばかり持っても仕方ないよ。きちんと話してこっちにいる間はもてなしてさしあげよう」


 朝廷の存在が、あり方が揺れ始めている。時代の変わり目にはあることだろう。こちらとしては粛々と前に進むしかない。


「左様でございますな」


 今夜は皆さんを歓迎した宴だ。信長さんはなにもしなくていいとまで言ってくれたけど、そうもいかない。山科さんにも今夜は楽しんでもらおう。


 ああ、京極さんと姉小路さんには、山科さんの様子を伝えて話し相手にでもなってもらおうかなぁ。無論、オレも声を掛けるけど、立場上山科さんとだけ話をしているわけにもいかないしね。


 窓から見える庭では、洋服姿に着替えした子供たちと吉法師君とお市ちゃんたちが遊んでいる。吉法師君は初めての洋服だけど、喜んでくれているみたいだね。


 そろそろお腹が空いたと言いそうだ。



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