第1660話・その島は久遠諸島・その八

Side:久遠一馬


 滞在二日目、この日は畑と果樹園の視察だ。


「ご存知でしょうが、場所が変わると暖かさや寒さが変わります。この地は雪が降らず冬も尾張と比べると暖かいでしょうか。当然、作物もまたその地により変わることになります」


 島ではすでに馬鈴薯の収穫も終わっており、夏野菜や果物などの畑が見られる。また果樹園では南国の果物が前回来た時より育っているね。


 この辺りは三河の本證寺跡地なんかと同じく大規模農園になるので、景色としては広大な畑にも見える。


「いろいろと植えておるようじゃの」


「はい、島で必要なものや新たに試している作物もあるはずです。大根などと同じになります。そこらにあって見慣れたものでも、育てたりすると作物として有用にもなる」


 大御所様は少し汗を拭い、見渡す限りの畑をご覧になられている。今日は少し暑いくらいだけど、真剣そのものだ。農業は国の礎であるし、農業改革は伊勢や近江で試みている最中だからね。


「ちーち、てつだう!」


「おしごと?」


 ああ、大武丸と希美が畑を見てやる気を出しちゃったけど、今日は違うんだよな。すずとチェリーが違うからと教えてあげるようだ。子供たちは別行動にしようかと思ったけど、島を見せてあげたくてね。せっかくだから連れてきたんだ。


「見たこともない作物がこれほどあるとは……」


「まことじゃの。野の草木とて知恵の試しで変わるか。吾も多少は知りうるのじゃが……」


「探せばもっとありますよ。この島では育てられない作物もありますから」


 蒲生さんと山科さんは見慣れぬ作物と果樹の多さに驚いている。山科さんあたりは自分で薬の調合をして分け与える人だからなぁ。独自に勉強もしたんだろう。新しい作物の難しさも理解してくれているようだ。


「これは……」


 久遠諸島名物、硝子の温室。これは宗滴さん、蒲生さん、山科さん、幻庵さん、氏尭さんたちが初めて見るようで固まっている。那古野の屋敷にもあるが、ここは規模が大きいから他の人も驚いているけどね。


「わーい!」


「あちゅい!」


 ウチの子たちと吉法師君は温室に慣れているから楽しそうだ。


「さあ、尾張では食べられない生の果実でございます。召し上がってください」


 温室で待っていたのはアルテイアだ。


 以前、ここの管理をしていたプリシアが今は那古野の牧場にいるので、現在管理している中のひとりが彼女になる。医療型アンドロイドで、設定年齢は十七歳。現在は二十六歳になる。コーカソイド系美人で細菌学などが得意なんだ。


 ただ、最近は植物の品種改良とかも興味を持ったみたいで、島の医師として働きつつ、学校で教えたり果樹園の管理をしたりもしている。


 彼女は皆さんに果物の試食をしてもらおうと待っていたんだ。バナナとかマンゴーとかパイナップルを皆さんに試食してもらう。


「なんと美味いものだ」


 義信君が切り分けたバナナを一口食べて驚いた顔を見せた。立場上、あまり人前で驚いた顔とかしないようにしているはずなんだけど。さすがに驚いたか。


「甘く瑞々しいの」


 山科さんも昨日の宴が良かったのか、今日は表情もいい。エルが昨夜、ショックだったのは風土記ではないかと言っていた。かつて朝廷や公家がしていたことをウチが当然のようにすでにやっていたことがプレッシャーなのは分かるからね。


 ただ、今日はいい意味で開き直ったかのようにマンゴーを頬張って笑みを見せている。先ほどまでは硝子の温室に唖然としていたんだけどね。


「若殿が尾張で食したと聞く南蛮瓜とやらとも違うようじゃの。この世のものとは思えぬ味であったとか」


「あれならば某、牛の乳に入れたものを一度若武衛殿の婚礼で頂いております。まことに美味しゅうございました」


「なんとも羨ましき限りじゃ」


 止まらないんだろう。立ちながらの試食のはずが、手が止まらず次から次へとお皿に盛った果物がどんどんなくなっていく。


 ただ、幻庵さんと氏尭さんの会話に思わず笑いだしそうになってしまった。新九郎君が元服前に尾張でメロンを食べた話が、北条家ではそんなに知られていると思わなかった。


 あれね。今でもウチと贈答品で精一杯だからなぁ。


「あのすっぱい果実はないのですか?」


「すっぱい? ああ、最初に来た時に食べたあれですか。ありますよ」


 そんな和やかな雰囲気のままお皿の果物があっという間になくなると、遠慮がちのお市ちゃんが食べたいと言い出したのはパッションフルーツだった。でもあの時はたしか完熟する前のやつ食べたよね?


 アルテイアが少し探して持ってくるとみんなに切り分けていく。まだ表面に皺がなく、少し完熟前のやつがちょうどあったようだ。


「これです!」


「ほう、酸っぱいが美味いの」


 嬉しそうに満面の笑みでお市ちゃんが食べると、他の人も食べ始めた。酸味に少し顔をしかめる人もいるが、それでも美味しいとみんな食べている。


「しゅっぱい!」


「ちーち!」


 ああ、子供たちはまだ駄目みたいだ。ふたりともびっくりしたようで抱き着いてきたのでなだめてあげないと。吉法師君たちも同じような反応で、吉法師君と吉二君は政秀さんに慰められているね。


「市も大きゅうなったな。あの時は騒いでいたというのに」


 あの時を知る信長さんは、少し目を細めて嬉しそうにお市ちゃんの成長を見ている。


「もう一度食べてみたかったのでございます」


 まだ幼かったお市ちゃんがあの時のことを覚えていて、再び来たこの日に同じものを食べたいと楽しみにしていた。それがなんか嬉しい。


 思い出はお市ちゃんの中で生きている。そんな感じかな。




Side:曲直瀬道三


「医師であるお方様が本領では、かような役目をされておるとは……」


「曲直瀬殿、何事もやってみるべきなのよ。医師としても勤めているし、学校でも教えているけどね。こうして作物や果実を育てることもまた勉学と同じなのよ。まあ、本音をいえばやってみたかっただけなんだけど」


 尾張でもジャクリーヌ様は雷鳥隊を教え導いておる故、そこまで驚いておらぬが。久遠家では己の技や知恵と違うことも率先して行う。


 アルテイア様とは幾度か話をしたことがある。時折尾張に来られた際には病院にて姿を見かけることもあっての。


「多芸と言うのは気を悪くするかもしれぬが、久遠家の者は多くのことをするの。慶次郎などもそうじゃ。それもまた良きことがあるのであろうな」


 島での暮らしを少し聞いておると、平手様が感心されたようにアルテイア様に声をかけられた。


「いえ、気を悪くするなどございませんわ。少しわがままを言っているだけですので」


 元来、殿は人を縛ることをあまり好まれぬ。役職や仕事などあれど、各々が望むことをさせておると考えてもおかしなことはない。


 御家で仕えておると分かるのだ。己の知らぬことを知り、やったことのないことをするのは決して無駄ではない。


 異なる役目の者と話すことで、新たな学問や知恵の基となることすらあるのだ。医術すら未熟なわしがあれこれとするのは良うないと思うが、それでもやってみたくなることはある。


 実のところ畑の世話などは、牧場にて、この歳になって初めてやった。あれもまた楽しきものでな。アルテイア様の心中は分かる。


 ふと山科卿が目に入った。都におる弟子は息災であろうか? 懐かしむところはあるが、戻りたいとはまったく思わぬな。


 御家では殿が本領に戻ると言うてもいいように、皆で日ノ本を離れる覚悟をしておる。わしもそのひとりよ。いずれ殿と共にこの地で暮らすのも悪うない。そう思える。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る