第1655話・その島は久遠諸島・その四

Side:エル


「エル、オッケーだよ。異常なし!」


 客人の皆様の診察をしていたマドカの報告に安堵しつつ、今日の予定を確認します。移動日数が少なかったとはいえ、若くない方々が多く、特に雪斎殿と宗滴殿はケティたちの治療により健在ですが、史実だとすでに亡くなっている歳です。


 あまり無理をさせないようにしましょうか。


「はーは! まーま!」


「ただいま!」


 大武丸と希美がはなたねの散歩から戻ったようです。本当はふうみのりも連れてくるつもりでしたが、実が妊娠しているので今回は花と種だけ連れてきています。


 初めての本領で、市姫様や吉法師様たちと一緒の散歩もなかなか楽しかったようですね。


「ふたりとも手洗いとうがいはした?」


「うん!」


「した!」


「じゃ、朝ご飯のお手伝いに行くよ!」


 楽しげなふたりをマドカが連れ出してくれました。私はもう少し仕事がありますから。


「やっぱり外を歩くことになるのね」


「ええ、それが一番いいわよ。あの子たちもここで黙って訪問を受けると退屈しちゃうし。お散歩好きだから」


 アイムが急遽まとめてくれた、大武丸と希美のお披露目案を検討します。すでに帰島は知らせてあるので、今日の午後に近くの町を練り歩くことにしましょうか。これならすぐに実行可能です。


 様子を見て後日もう一度するか決めましょうか。




Side:とある島の子供


「おっ父! 港に行ってから学校に行く!」


「おう、遅れるなよ」


 目を覚ますと青空だった。港には領主様の新しい船が来たというので、近隣の奴らとみんなで見に行くんだ。


「うわぁ」


「すげえ!」


 みんなで走っていくと、今までと違う船が三隻、中央桟橋に並んでいた。


 今までの船よりずっと速いとアルテイア先生が教えてくれた船だ。これで日ノ本と島の行き来が楽になるって喜んでいたなぁ。


「おい! あれ!!」


 しばらく港で船を見ていると、刀を差した若い武士がふたりいた。この島で刀を二本も持ち歩く奴はいない。昨日到着された領主様のご家来衆か、客人だろう。


 着物からして違う。この時期に袴を履くやつなんていねえからなぁ。


「そなたらはここらの子か?」


 驚いたことに、ふたりはこちらに声を掛けてきた。


「はい!」


「ああ、控えずともよい。オレらは供として参っただけだ。勝手な振る舞いはするなと命じられているんだ。ただ、話がしてみたくてな。久遠様とお方様がたに世話になっているからな。ご本領がどんなところか見たくて朝から出てきたんだ」


 とっさに返事をすると学校で習った礼儀作法のままに控えるも、驚かれてしまった。前田又左衛門様と丹羽五郎左衛門様というお方らしい。


 あまり島に戻られない領主様と奥方様がたのことを教えてくれて、オレたちがここではなにをして暮らしているのかと問われた。


「あの、オレたちは学校で学問や武芸を学んでおります。忙しい時は畑や漁を手伝うけど」


「やはり久遠様の教えのままだ」


「歳の割に賢くしっかりとした子らだ」


 学校では叱られることもあると教えると、同じだと笑っておられる。島に来る方は水軍と海軍の船乗り以外だと珍しいからなぁ。武士にお会いしたのは初めてだ。


「手合わせしてみたいけど、若殿にお叱りを受けるしなぁ」


「あとで頼んでみるか」


 オレたちより幾つも上のお方たちだ。手合わせしても相手にならないと思うけど。ただ、島の武芸について身を以って知りたいと言われた。


「そなたたちは羨ましいなぁ。久遠様の家臣や民は別格だからな」


 丹羽様というお方に羨ましいと言われるけど、なんとお答えしていいか分からない。日ノ本は争いばかりで厳しいと学校で教わったし、飢える者や争いで亡くなる者が多いとも教わった。他にはオレたちは恵まれているんだと、おっ父にも教わったけど。なんとお答えしていいかまで教わってないなぁ。


「ああ、呼び止めて済まぬな。いい話が聞けた」


「はい!」


 そろそろ学校に行かなきゃと思っていると、ようやくお二方との話が終わった。教わった通りの礼儀作法で話せたかなぁ。学校に行って先生に聞いてみよう。


 みんなで急ぐ中、羨ましいという言葉が嬉しかった。




Side:朝倉宗滴


 海が見える。越前の海と通じると聞くが、同じ海に見えぬほど青く澄んだ海に見えるのは気のせいであろうか?


 改めて屋敷の中を案内してくれるというので見ておるが、日ノ本の屋敷などよりは天井が高いというのがすぐに分かる。この地では床に座るのではなく、椅子などに座ること故に屋敷の造りが違うと教えられるが。なんとも面白きものよ。


 あまり贅を凝らした屋敷ではない。硝子が至る所にある以外は、絵師殿の絵が数点飾られておるくらいか。


 久遠家では酒や料理などは贅沢と思えるものを好むが、屋敷や着物などはあまり頓着せぬ。さらに周囲の者や民にでさえ良いものが食えるように腐心する。食こそ医術の第一歩というのが薬師殿の教えであろうからか。


「おお、ここにも書物が多いの」


 北畠の大御所様が驚かれたのは書物を置かれた部屋だ。数百はあろう書物はそこらの寺では及ぶまい。


「日ノ本で手に入れた書物の写本もございますよ。これなどは幻庵殿から頂いたものを当家で写本しました。複数の場所に写本を残すことで、火事などがあっても失われることがないですからね。島では学校にある図書館に一番本があるでしょうか」


「おお、あの写本か。役立てておられるとは、なんとも嬉しきことよ」


 内匠頭殿の話に幻庵殿が笑みを見せた。織田の者が多く少し遠慮がちであったが、長きに渡り誼を結び、本領に北条から送られた書物があるというのは幻庵殿の功を皆に知らせるには十分であろう。


 久遠家の者はかようなさりげない配慮をする。


「書物か。図書寮、あれもまた内匠頭殿の献策と聞き及ぶ。皆の利となり、後の世のためにと言うてくれたというのに。吾らは生かせておらぬの。申し訳なくなるわ」


 気になる書物は読んでも構わぬということで、皆でいかなるものがあるか見ておると、山科卿が少し気落ちした様子で一冊の書を手に持っておった。


 『尾張風土記・天文年間』と書かれた書物のようだ。言い伝えや日々の暮らしの様子など、当たり前のことを残す書として太田殿が編纂したひとつになるという。


「かような当たり前のこともな。残さねば失われてしまうのだ。吾らとて古のことは詳しく知らぬであろう? 今の知恵や生きた者を次の世に残す。本来は朝廷がすべきことであるというのに。今の朝廷と公卿は……」


 中を見た山科卿は驚きと共に朝廷の現状を嘆いた。いや、批判したとも思える。そのことに幾人かの者が驚き静かに見入っておる。


「生きるだけで難しい世でございますので致し方ありませんよ」


 少し静まり返ったことで内匠頭殿が優しき言葉を掛けるが、最早、久遠は公卿より上の身であると示したようなものじゃの。


 己の責にて領地を治めておる者の覚悟と力。申し訳ないと思うが、今の朝廷で対峙することが出来るとは思えぬ。まだ自ら諸国を歩き、世を知る山科卿なればこそいいものの、おかしな公卿がくれば不興を買うてしまうだけであろう。


 何故、同行したのかと思うておったが。内匠頭殿の力を借りるためか? それとも久遠の地を見て学ぶためか? いずれにしても織田と斯波がよう許したものよ。



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