第1653話・その島は久遠諸島・その二

Side:斯波義信


 日が傾き始めておる。清洲で作ろうとしておる鉄道馬車に乗った際には、皆が感慨深げにしておった。一馬らしか見えぬ先が、ひとつ見えた気がしたからであろうな。


 父上からは蟹江の大御所様と尾張介と一馬とよう話をして、山科卿に隙を見せるなと命じられた。一馬と尾張介はあまり気にしておらぬようだが、大御所様は父上と同じく気にされておる。


 ただ、これも争うのではなく、争わぬために気を許すなというお考えだ。付け入る隙があると見せれば、朝廷の御為にもならぬと言うてな。


 我らは白い屋敷に入った。二階建てで城かと疑うような見事な造りの屋敷だ。されど、堀もなければ土塀もない。尾張ならば危ういとさえ思うほど守りに欠ける。


 ああ、よくよく見ると、清洲城にある南蛮の間に少し通じる造りだ。ここを見ると尾張の大工はようやったと誉めねばならぬとさえ思う。


「賑やかじゃの。当主と嫡男が戻ったことを皆で喜ぶ。正直、羨ましきことよ。わしなどが戻りても、あれほど心から喜ぶ者はおらぬ」


 屋敷の中でさえも聞こえてくるほど民が喜ぶ声に、大御所様は硝子の窓から外を見ながら呟かれた。ここに着くまでにも沿道には多くの民がおって、一馬らと大武丸と希美が戻ったことを喜んでおった。


 大武丸と希美は初めて戻った故、皆も祭りだと喜んでおるように見えた。


「人を治め、国を治めるとはいかなることか。内匠頭殿は、我ら武士とも公卿の方々とも違うものを見ておる。ここに来て、それが改めて分かった気が致しまする」


 山城守の言う通りであろう。権威や名や力で従えるのが日ノ本だが、一馬は信じさせることで人を従える。いや、従える者と向き合うことで治めると言うべきか。


 常に弱き者、己を頼る者を守り食わせることを考える男だ。力ある者、権威ある者には義理以上に関わることを望まぬ。己の力なり権威なりで生きろというところか。


「民とて愚かではない。いずれに従うて生きるか。自ら選ぶものよ。上の者の面目も関わりないことじゃからの」


 大御所様は少し言葉が厳しい。おそらく話に加わっておらぬ山科卿に対する言葉であろう。いつまでも朝廷の権威で人を従えて、世を動かせると思うなよというところか。


 厳密に言えば違うのであろうがな。未だ公方様や朝廷の権威と力は絶大。ただ、それ故に朝廷は、一馬を己らの権威を維持して上に立つために働かせようとする。それをすれば民がいずれ牙を剥くと言いたいのであろう。


 肝心の一馬らがこの場にはおらぬ。屋敷に集まっておる民に子らを見せるのだと言うて出ておるからの。少し重苦しい様子ではある。


 そういえば父上も言うておられたな。朝廷とて力なき身となれば一切助けてくれぬと。尽くしたとて朝廷の下人として使われるだけだとな。武士である以上、敗れるほうが悪い。とはいえ勝たねば相手をしてくれぬと父上は朝廷に価値を見出しておらぬ。


 大御所様もまた思うところがおありと見える。山科卿や朝廷が我らの忠節と力を望むならば、まずは一馬ではなく父上と大御所様を納得させるべきであろうな。




Side:滝川秀益(慶次郎)


「大武丸様と希美様だ!」


「ようお戻りになられたの。良かった良かった」


 大武丸様と希美様を一目見ようと多くの民が集まっておる。殿はそんな民のために旅の疲れも厭わず皆の前に出てきた。


「あーい!」


 お二方が集まりし者らに手を振り笑みを見せると、民は嬉しそうに笑い喜ぶ。尾張でも見かける光景なれど、中には涙を流すほど喜ぶ者もおり驚かされる。


「いたいの?」


「いえ……、滅相もございません。お戻りになられたことが嬉しゅうございまして……」


 地に膝をつき涙を見せる者に驚いた希美様が声を掛けると、その者もまた驚きつつ笑みを見せておる。尾張では殿が皆に囲まれるのはようあるが、さすがに泣かれることはないからな。


「後日、みんなと会う機会を設けるから。今日はこの辺でね」


 続々と人が集まるが、さすがに日が暮れそうなことで殿が皆を帰された。我らは殿ばかりではない。この民を守り共に生きねばならぬのだと改めて理解する。


 もっとも八郎叔父上や出雲守殿などは、すでに日ノ本を離れる覚悟を決めておる。一族郎党の子らには武士に問わず御家のために働くように教え説いており、殿がいつ本領に戻ると言うても良いようにとされておるのだ。


「よい地だなぁ。オレも船乗りとなってここに住まいたいわ」


「駄目でございますよ。殿とお方様らの御為に働いてもらわねば困ります」


 ふふふ、ソフィアに叱られてしまったわ。ソフィアには日ノ本の流儀ではなく久遠の流儀で暮らすように話をした。おかげでお方様らのように見える時があるわ。


 家と家ではなくオレとソフィア。互いに身一つで向き合う。それがなにより心地よい。


 本領に戻られたからか、どこか楽しげな殿らを見つつ我らも続く。


 命を懸けて武功を挙げるでもなく生きて生きて、新たな世のために働く。我が殿は時として難しきことを望まれる。


 それもまた良いがな。




Side:太原雪斎


「ああ、雪斎和尚と無人斎殿か。畏まらずともよい。ここでは久遠の流儀で過ごすのだ」


 数日ぶりの陸地。少し体を動かそうと無人斎殿と屋敷の庭を歩いておると、織田の若殿と出くわした。吉法師様と平手殿と市姫殿も一緒だ。


 日の出の勢いがある織田家の嫡男でありながら、気配りと配慮を欠かさぬ御方だ。さらに己より力も名もある内匠頭殿を誰よりも信じ、主君でありながら自ら内匠頭殿のために動くようなこともあるという。


 織田の大うつけ。かつての通り名の意味を理解した気がする。愚か者には理解出来ぬことを考えて動くということだ。


「日ノ本の流儀で仰々しい出迎えや歓迎をするなとご命じになられたとか。この地の民にご配慮をされておられるのでございますか?」


 無人斎殿が他の者では聞きにくいことを遠慮なく問うた。守護の地位を追われて以降、駿河で生きる身故、人の心情を察するのに長けておるからの。若殿が不快に思わぬと悟りて問うたのであろう。


「大武丸と希美は初めて本領に戻ったのだ。かずと大武丸らが、島の者とこの地の流儀で共にいる時を少しでも増やしてやりたいのだ。若武衛様とも話したが、我らは大人しゅうしておればよい」


 末恐ろしいと思う。久遠の本領にて、まるで臣下の如き動きを平然とするとは。主としての立場を示すというのが武士のいや、日ノ本の者として当然であろう。だが斯波と織田はそれを心底望んでおらぬ。


 それも大殿の意向ではなく、こうして話される様子からも若殿の本心としか見えぬ。同じような年の頃でありながら、これほど割り切れるものなのか?


「敵いませぬな。我らではとても考えが及びませぬ」


「オレはこの島の者に済まぬと思うておる。かずを尾張に留め置くことになったのはオレのせいだからな。せめてこの時くらいは邪魔をしたくないのだ」


 織田と久遠の絆の強さを改めて教えられたな。親兄弟でさえ争うというのに、織田と久遠は互いに思いやり第一に重んじておる。まるで御仏のようだとさえ思える。


「では某らもそう心得ておきましょう」


「ああ、頼む」


 無人斎殿と共に深々と頭を下げる。久遠の知恵と力があまりに凄まじいので見えておらなんだが、このお方も天下に通じる。


 今川と武田。未だ新参者であり腰を据えて従ったと言い難い。故に、我らはかようなところから習い励まねばなるまいな。



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