第1652話・その島は久遠諸島
Side:北畠晴具
「本領の船が見えたぞ!」
伝声管とやらから聞こえる声の様子から吉報だと分かる。神津島を出て以降、陸地が見えぬままであったが、もう久遠の本領が近いということか。
皆が甲板に出るようでわしも向かう。一面に広がる海には黒い船と白い帆の船が見えるの。
「あれはなにをしておるのじゃ?」
慌ただしく動く者らの中で、今までにない動きをしておる者がおる。柱にある綱になにやら派手な旗を揚げておるのが見えた。
「こちらのことを知らせております。主が乗っていることや客人がおられることなど。敵味方の識別も兼ねておりますわ」
白い着物を着た六花殿が近くにおるので問うと、なるほどと思い知らされる。黒い船は他にはないと聞き及ぶが、用心に越したことはあるまいからの。
我らの住まう地は丸いという。西へ西へと向かえば、やがて東の地へと戻ってくるとか。この世は広い。果てというべきところもあるとはいえ、地獄に通じておるわけでも極楽に通じておるわけでもない。
ふと、さようなことを思い出した。
「島だ!」
ああ、わしにも見えるぞ。あれが久遠の本領。かの者らの地。帝の治める地ではない。まことの
「
近くで市姫が海を見渡し海豚を探すのが見えた。
「市姫よ。ここには海豚がおるのか?」
「武士が馬と友であるように、久遠家では海で海豚と友なのでございます!」
ほう、面白きことを聞いたわ。海に生きる民は違うということか。
「思うたより良き旅路であったなぁ。前に来た者は辛きこともあったと聞き及ぶが」
「かかる日数が違うからな。今までの半分にも満たぬ速さで来るなど、あり得ぬとさえ思えるわ」
周囲では皆が、徐々に近づく島に心躍らせておるわ。尾張を知れば誰もが望むだろう。久遠の地を見たいと。武士であろうが坊主であろうが、領地は変わらぬというのが政というもののはずであった。
それを変えてしまったからの。織田と久遠は。
ふと山科卿が目に入った。穏やかな笑みを浮かべておる。自ら争いを望み敵となるとは思えぬ男よ。されど、……帝と朝廷のためならば平然と嘘を吐き裏切っても驚かぬ。
この旅で少し釘を刺しておいたほうが良いかもしれぬ。都の者というのは己らの都合を最後は優先するからの。
「ああ、あれが……」
相も変わらず速い船よ。少し考えておるうちに間近と迫っており、湊に入る支度をしておる。
港の様子は蟹江に近い。煉瓦の蔵や建物が並び、湊には黒い船が幾つかおる。この湊を見慣れた者が尾張に行ったのだ。日ノ本はさぞ鄙の地に見えたのであろうな。
「礼砲撃て!」
海神殿の命で数門ある金色砲を放つと、胸の奥に響くような音がする。湊はさらに人が集まり賑やかとなるの。
ああ、早う上陸したくてうずうずするわ。いかなるものが待っておるのであろうか。
Side:湊屋彦四郎
旅路は楽しいものであった。皆、海を恐れず本領の話で盛り上がる。一昔前ならばあり得ぬほどのことであろう。
「良き湊だ。これほどの湊があらば、商いもはかどるであろう」
大きな御家の船が幾隻も泊まれる桟橋と数多の蔵があり、大湊の者らが見れば羨むであろうなと思う。
「遠路はるばるお越しいただき、恐悦至極に存じます」
幾人かのお方様と長老衆が出迎えとして待っておられた。事前に到着する頃が分かっておったことで支度をしておられたようだ。
「世話になる。ああ、あまり仰々しくせずともよい。我らはこの地を見聞に参った故、久遠の地では久遠の掟に従う」
若武衛様が挨拶をお受けになられたが、相も変わらず謙虚なお方よ。秘するところでは対等な同盟とはいえ主家は主家だ。されど、この挨拶は北畠の大御所様と示し合わせたものでもある。
主に山科卿への釘を刺すためだと、船内で北畠の大御所様が指南しておられた。敵になるお方ではないが、気を許し過ぎるなと我が殿も教えを受けておられたからの。
「湊屋殿、久しいの」
「ああ、お久しぶりでございます」
島の長老衆は稀に日ノ本に来る以外は会うことがない。とはいえ日ノ本に来た折には、交易についていろいろと話したことがあるのだ。八郎殿や我らは検疫を終えると、すぐに島の者らと滞在中のことを話しておかねばならぬ。
Side:山科言継
言葉にならぬとはこのことか。なんという湊じゃ。大きな蔵が数多並び、湊にはあの大きな船が幾隻も泊められる広さがある。
「前に来た時より湊が広うなったな」
「はい、船も増やしており、港も必要に応じて整えております」
尾張介殿と大智殿の話が聞こえると、僅かに身震いする。我らは尾張の変わりようにただ驚き見ておるしか出来ぬというのに、尾張は久遠に倣い、久遠は尾張よりもさらに変わるのが早いのではあるまいか。
左様なことにここで気付かされるとは。
「検疫か。これも吾らにはないものじゃの」
菌と言うたか。穢れの一種と思わしきものを入れぬようにと、久遠では吾らの知らぬことも数多あるうちのひとつか。かような知恵は久遠の不利にならぬならば学びたいところじゃの。
「ご不快かもしれませんが、何卒お願い申し上げます」
「いや、不快などと思うておらぬ。身を守るのは当然のこと。朝廷でもそなたに迷惑を掛けぬ程度に活かせぬかと思うての」
こちらを窺うような内匠頭に、吾は努めて笑みを浮かべ慎重に答える。若き身の上で謙虚なのは良いのじゃが、この男と話す時は常に武衛や弾正と話すつもりでおらねばならぬ。いや、今は北畠も同じか。
吾の一言で世を揺るがすなどもっての外。特に北畠卿が吾を気にしておるからの。南朝の大将軍再びなどとなっては朝廷にとって百害あって一利なし。
「都も変わりつつありますよ。人の亡骸を捨て置かぬことも良いほうに変わったと思います。穢れとの関わりまで明言出来ませんが、あれが病を広めていたのは確かでございますので」
「なるほど。あれも同じ理か」
出来ることはある。いや、すでにしておるということか。図書寮のこともある。随分と知恵を絞っておるのは確かか。内裏の修繕まで求めるべきでなかったのかもしれぬの。今さらなことじゃが。
「刀も脇差しも持っておらぬの」
「はい、この島では日頃から身に着ける者はほとんどいませんね。刃傷沙汰は滅多にありませんので。各々で代々持っている刀や脇差しはありますが」
周囲を見渡せば、日ノ本と同じ着物を着ておる者もおるが、見たことがない装束の者もおる。草鞋よりは下駄やそれに似たものを履き、刀どころか脇差しすら持たぬ。
ああ、尾張と同じく身綺麗にしており笑みを浮かべる民が多いの。荒んだ顔をした都の民を思うと、あまりの違いにただただ悲しゅうなる。
やはりこの男から見ると、都など蛮族の都に見えるのではあるまいか? 今日ほど恥ずかしゅうなることは生まれてこのかた初めてじゃ。権威やら礼節やらと上から見下ろしておった相手の国がこれほど違うとは。
こちらの都合で官位を与える故従えと勝手に命じて、怒らぬことがあり得ぬとさえ感じる。武士を毛嫌いして見下す愚か者どもと吾も同じということか?
争いばかりしておった代々の者らのツケということであろうの。それでも吾はこの地で学ばねばならぬ。
頭を下げ、吾が身を下賤の者と同じくしてでも。
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