第1651話・久遠諸島への道・その五

Side:エル


 速鰐船と命名したこのクリッパー船。巷では白鷺船とも呼ばれていますが、同時代の船とはやはり比較にならないものになります。


 造船技術も違いますが、衛生観念や食事などに対する知識も違うことで、そちらも考慮した設計になっています。


 船内の調理場にて今日の昼食を作ります。航行は順調で夕暮れまでに島に到着しますので、これが船内での最後の食事になるでしょうか。


「はーは、さかな?」


「たべるの?」


 暇をしている者たちが偶然釣った魚があるのでこれを使いましょう。少しお腹が空いたのでしょうか。子供たちが待ちきれないと言わんばかりに見ていますね。


「ええ、そうよ」


 本来は釣れない海域のはずが大きめのメバチマグロも釣れていますね。すぐにヅケにして味を沁み込ませているものがあります。今朝から用意していた小麦粉を練った生地を広げて、ヅケを盛りつけて醤油タレとチーズを加えて焼くと一品目になります。


 生地は厚手にしておきましょう。食べ応えがあり腹持ちもよくなりますからね。船上ですから食べやすいように包みましょうか。カルツォーネを柔らかくした感じになるはず。


 あとはトマトの瓶詰めと馬鈴薯、白身魚を合わせたものにしましょうか。こちらはチーズと香草を加えると、元の世界のイタリアンのような味わいになります。


 


 野菜の酢漬けとみかんのシロップ漬けを出せば栄養価も十分です。


「える、おいしそう!」


「うふふ、船では味見は駄目でございますよ」


 ああ、若様は食べたいと言いたげですね。すぐに出来るのでお待ちいただきましょう。


 ちなみに今回の船員はバイオロイドと人間の混成です。彼らの分も調理します。現状では、食事は量も質も同じ。同時代を含めて他では立場により変えることが当然ですが、長い目で見ると食事における待遇の差は難しい問題になります。従って、今のところは同じということにしています。


 違うのは、船員たちは交代で食事を取ることでしょうか。あとの者たちの分は仕込みだけしておきましょう。


 さて、食事にしましょうか。




Side:安藤守就


「意地を張るというのは難しきものよな」


 臣従を請われてもおらぬ織田に降るなど出来ぬと意地を張った。尾張者に頭を下げたくないという思いも強かった。


 されど、降ってしまうと織田は等しく所領を俸禄としており、今では城すら手放した者が多い。意地を張った先、張らずに降った先を思うと虚しさすら覚える。


「わしは意地を張ることさえ出来なんだ。浅井が美濃に攻め寄せようとしておるというのに、見ておるだけなど亡き父や兄たちの無念を思えば許されなんだ」


 稲葉殿はそうであろうな。織田は国人に戦働きを求めぬ。浅井との戦場に立ちたければ、織田に臣従し願い出ねばならぬ。それをせねば見ておるだけとなり、一族や家臣から父と兄らの無念を忘れたかと言われる。


「織田は織田の意地と悩みがあり、久遠もまた同じ。戦による治世を変えようとしておる久遠殿の心情は察するに余りある」


 少し楽しげなのは不破殿だ。久遠家の本領にもうすぐ着くというのが待ち遠しいらしい。心情はよく分かる。それはわしも稲葉殿も同じだ。少し昔を思い出して渋い顔をしてしまうが、心が浮かれておるのは変わるまい。


「確かにの。いかに強かろうと、かつてのままではいずれ戦となり荒れる。それはわしにも分かる」


「ああ、左様であるな」


 飼い殺しにするのかと思うたが、役目も与えられた。稲葉殿もわしもかつての立場と思いがあれど、今では織田家中でも新参者と言えぬ立場となった。ここまで来ると斯波と織田の天下を支えて日ノ本を統べたいとさえ思う。


「皆様、昼餉の支度が調いました」


 慶次郎殿の妻であるソフィア殿が知らせに参った。我らは久遠絵札を止めて皆が集まる船内の大広間に向かう。


「これまた見たことがないものよの」


 山科卿も楽しげであるな。酔狂な御仁であると聞いておるが。さらに幾人かの者が運ばれる料理に驚きの声を上げた。


「遥か西の国で食べられております。パンなる料理を基に当家で作ったものになります」


 ああ、以前食したことがあるあれか。見た目も違うが、同じ料理でも見た目も味も違うのは久遠料理では珍しゅうない。


 大人は金色酒と共に食うようで、子らと酒が苦手な者は紅茶のようだな。


 この料理は丸く焼いたものを切り分けて食うようだ。どれ、さっそく一口。


「おおっ!? これはまた……」


 焼き目があるがかぶりつくと、白く柔らかい下地の上に言い現わせぬ味の具材がのっておるわ。これは肉か? いや、それにしては味が違うが……。


「それは今朝、どなたかが釣られたしびでございます。当家ではよく食べる魚になります」


「おお、安藤殿が釣ったあれか!」


 大智殿の言葉に思わず吹き出しそうになった。やることがないことで幾人かと魚を釣っておったのだが、偶然釣れたのがしびだったのだ。本来ならば釣れぬはずだと言われ驚かれた。下魚ということであまり喜べるものでもなかったのだが、まさかかような料理となるとは。


「かような美味い物を食えるとは。安藤殿には感謝せねばならぬな」


「いや、某は借りたまま釣りをしたまで。感謝などとてもとても……」


 かようなことで皆に礼を言われるとは。喜んでいいのやら、なんと言うていいのやら。


 されど、美味い。これはいかなる魚を釣ったとて、美味く料理してしまうのではあるまいか? 久遠の知恵とやらの恐ろしさよな。


 美味いものを食うと皆の顔が緩む。船でかような飯を食えるのは明や天竺でもないのではあるまいか? ふとそんな気がした。




Side:平手政秀


「じい! おいしいね!」


「左様でございますな」


 料理を頬張る若に思わずわしの顔もほころぶのが分かる。


 相も変わらず、久遠家は身分も歳も問わず皆を美味い飯で虜としてしまうの。もっともその苦労もわしは存じておるが。


 公卿・武士・僧とこれほどの者を船でもてなすのがいかに難しいことか。


「これはよいの。食欲がさらに出るわ」


 にしても、しびのほうも美味いが、この馬鈴薯と赤実のものも美味い。握り飯のように食いやすいというのに、程よく柔らかく久遠料理らしい旨味がよう出ておる。赤実の酸味と馬鈴薯と白身の魚がよう合うわ。


 昼から酒など褒められたことでないのじゃが、船では水を残すために酒も飲む。これはこれで悪うないの。


 さらに病に罹らぬようにするために様々なものを食うべきだというのが、久遠医学の教え。船の上でも変わらぬらしい。


「この酢漬けもよいの。これと金色酒だけでもよいわ」


「確かに。甘いみかんもあり、至れり尽くせりというところか」


 あちらこちらで話す声が聞こえる。北条の方々もようやく落ち着いたか。北畠の大御所様と山科卿があまり形に拘らぬことで、皆がゆるりとしつつ船旅を楽しむ余裕すらある。


「ごちそうさま!」


 早くも食い終わった若の言葉に、北条家の者などが少し驚いた顔をした。『いただきます』と『ごちそうさま』とは久遠の作法じゃ。先ほども『いただきます』と言うておったのだが、見ておらなんだのであろうな。


「若様、お腹いっぱいになられましたか?」


「うん!」


「左様でございますか。ようございました」


 エル殿が声を掛けると若は嬉しそうに笑みをお見せになり、手伝うべく食い終わった者の食器を集めようとされた。


「若様、この場では左様なことをなさらずともよいのですよ」


「かじゅ、まかせろ!」


 久遠家の子の育て方にて、若は下働きの者の役目まで多くを学んでおられるからの。一馬殿が止めようとされたが、若にとってはこれもまた楽しきことなのじゃ。


 身分があろうと自ら働くことを学ぶ。若の将来が楽しみで仕方ないわい。



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