第1650話・久遠諸島への道・その四

Side:久遠一馬


 航海は順調だ。先ほどスコールに遭遇するなどあったものの、波で船が揺れた際に転んだという程度の怪我人が出た以外はなんの問題もない。


 ああ、神津島を出航して丸一日を過ぎたけど、ちょっと戸惑うような幻庵さんが見られている。相応の覚悟をしてきたことには感謝するけど、他の皆さんは視察にいく程度の認識だからなぁ。


 田舎者が海外の大都会に旅行に行くようなものだろう。六角家の蒲生さんですら、他の皆さんとカードゲームを楽しんでいるくらいだ。はっきり言うと雰囲気が違う。


 ちなみに船には源平碁ことリバーシとか将棋も、駒と盤は紙製のものがあるんだけどね。船の揺れで駒が動くから不評なんだ。


 カードゲームも長くやると飽きてくるけど、昼寝をしたりしてメンバーが変わりつつ誰かがやっているような形だ。


「内匠頭、北条はなにか誤解しておったのか?」


 少し波が穏やかになったのでエルと甲板で海を見ていると、晴具さんが船室から上がってきた。やはり気づいちゃったみたいだね。


「私も聞いておりませんが、おそらくは。大御所様や六角家も来られるので良かったらとお誘いしただけなんですけど。伊豆諸島を譲り受けた恩があったので」


「奥羽の件も耳にしておろう。関東のことを話すと考えたのかもしれぬの」


「関東はまだ無理でございます。当家も奥羽で手一杯でして」


 この時代の価値観だとそう見るんだろうね。ただ、物見遊山の視察だとも言いにくいし。幻庵さんなら察してくれるかと思ったんだけど。


「変えられぬうちは手を出さぬか。一気に変えたほうが良いかとも思うが、あまりやると西が騒ぐ。難しきことよ」


 最近、状況判断とか視点が変わってきたなぁ。晴具さん。相変わらずオレたちの価値観の真偽とかすっとばして、その使い方と先を優先しているけど。


「正直、食べ物が足りません。北畠家と六角家にも貯めておくようにお願いしておりますが。北条というか関東は深刻でして……」


 具教さんと義賢さんには、戦に関係なく一定の食料備蓄をお願いしている。直轄地の一部の税を現物納付する指南も加えて。尾張や美濃における過去の穀物生産量や天災による不足分を織田家でも計算していて、現状の領地を維持するのに必要な食料などを確保備蓄する計画はだいぶ前からしている。


 北畠家と六角家にも領域の安定化のために備蓄を頼んでいるんだ。両家でも蔵をどんどん建てて米や雑穀を備蓄する方針を実行してくれているけど。


 ちなみに北条は、こちらから指摘する前から徐々に備蓄を増やしてはいる。小田原城や早雲寺など裏切ることのないところでは、兵糧ともなるので食料備蓄を大幅に増やしているんだけど。全然足りていないのが実情だ。


 千五百五十九年、史実では永禄の大飢饉が起きていて、疱瘡の流行も相まって甲斐や関東では大きな混乱の原因となった。その対策も数年前からしている。甲斐も出来る限り被害を軽減するべくあれこれと計画しているんだけどね。


 まあ、この時代ではというか、中世では食料生産に応じて人口が変化する。技術革新や豊作が続くと人口は増えて、天災などで飢饉が起きると減る。ある意味自然の摂理だけど、食料確保が統治の重要課題としてある。


 本当は飢饉を悪化させる原因でもある暴利を貪る金貸しの改革も促したいけど、これは北畠家と六角家でも当分無理だからなぁ。徳政令などの損失を踏まえた金貸しをあてにした経済構造はいびつでしかない。時代的に必要なんだろうけど。


 関東は河川の整備が進んでいないので氾濫が頻発するし、湿地なども多く史実の江戸時代以降の関東平野とは別世界のような状況だ。ちょっとした事で飢饉が起きる。


 食料備蓄が必要という意味では尾張の比ではない。


「うむ、此度の旅で少し厳しめに言うたほうがよかろうな。わしも考えておこう」


「お願い致します」


 晴具さん、本当に学校に通って授業を受けているからなぁ。ウチの統治の基本は習得している。現状で統一とか考えていそうな北条に領内のことをもっと助言する機会が欲しいのが本音だ。


 晴具さんとその辺りを少し相談しておいたほうがいいな。




Side:朝倉宗滴


 今朝は若い頃の夢を見た。すでに亡くなった者らと共に戦場を駆けた頃の夢だ。


 まさか越前を離れ、因縁ある斯波家の下で余生を生きることになるとはの。先達の者らはいかに見ておろうか?


 されど、あの機を逃しては朝倉家に先はなかったであろう。駿河甲斐信濃も得た織田を止めるのは難しい。院や帝、公方様も心寄せる尾張ぞ。他の者から見ると、何故、京の都に上がって天下に号令を掛けぬのか理解に苦しむほど。


「さすがは公卿。難しきことを望まれる。某は気の利いた歌など詠めるかどうか」


 久遠絵札に誘われた。相手は山科卿、姉小路卿、蒲生殿らだ。決まりごとは難しゅうない。されど困るのは、負けた者が歌を詠むということをしておること。公卿と歌を詠むなど難しきことだ。


「そう難しゅう考えずともよい。なんなれば面白き話を聞かせてくれるだけでもよいぞ」


 山科卿にそこまで言われては断り切れぬな。公卿という者らはいずこにおっても変わらぬということか。


 悪気はないのであろうが、病にて越前に戻らぬわしが久遠家の本領に行くという理由が気になると見える。


 表向きの理由はある。久遠家の医術でなくば静養も難しいと言うておる。これには噓偽りなどない。事実、体が幾分楽になった。されば久遠家の医師がおれば多少なりとも動けるのだ。


 越前には帰れぬのだ。久遠家の医師がおらぬからの。それに殿であっても久遠家に医師を出せとは言えぬ。今でさえ織田と久遠の配慮で商いをしてもらっておるのだ。殿がそれにお気づきにならぬはずもない。


 付け加えるならば、いずれ斯波家との因縁を終わらせる際に、弾正殿と内匠頭殿の助力がいる。わしはそのために残りの余生を生きるのみ。帰ってはそれが成せぬのだ。


「おおっ、さすがは朝倉家にそなたありと言われる男よ。強いのぉ」


 ふむ、この絵札を用いた遊び。相も変わらず奥が深く面白きものよ。


「某は静養しておる時に少しやっておりましてな」


「ああ、なるほど。久遠家預かりであったな。されば当然か」


 わしが負けぬことに山科卿らは驚くが、牧場の孤児院では子らとよくする遊びぞ。子らの聡明さと発想はわしも多くを学ばせてもらったほど。易々と負ける気などないわ。


「内匠頭殿が皆に信じられる理由でございますな。主家の因縁があっても手を差し伸べてしまう。宗滴殿は以前より顔色が良うなっておられる。越前の朝倉家でも喜んでおられよう」


 蒲生殿の言葉に山科卿と姉小路卿は静かに頷いた。


 殿からの文でも書かれておったな。公卿にとって内匠頭殿はすでに別格なのだと。わしが久遠家預かりとなったことで、織田と斯波は朝倉家に出来る限り配慮をした。越前でさえそう受け止めておるのだ。


 今の帝に天盃を許され、院は内匠頭殿と会いたいと強く願い拝謁を実現されたという。越前において同じことを許された者はおらぬ。


 そんな内匠頭殿が生まれ育った地。まさか、この目で見ることが叶うとはな。


 天は朝倉家を見捨ててはおらなんだのかもしれぬ。



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