第1649話・久遠諸島への道・その三

Side:久遠一馬


 お昼を過ぎて尾張を出発した船は、翌日の朝には伊豆諸島神津島に到着した。全体として寝られなかった人も相応にいたらしいけど、事前に船酔いをするか確かめたこともあり具合が悪くなるほどの人がいないのは良かった。


「これは、以前の船とは違いますな」


 神津島では北条家から北条幻庵さんと氏堯さんが同行するようだ。補給は多少の真水だけで十分で、今回は上陸しないでそのまま出航する。神津島の視察は帰りにする予定だ。行きよりも帰りのほうが移動日数は多いからね。


「ええ、新しい船になります。以前の船より速いのが特徴ですね」


 久々に会った幻庵さんだけど、元気そうだ。


「お世話になりまする」


 氏堯さんは少し緊張気味か。まあ、慣れない船旅だからなぁ。事前に船酔いをしない人をお願いしていたから大丈夫だと思うけど。


「なんとも驚くほどのお方ばかりじゃの。山科卿までおられるとは」


 幻庵さんたちを出迎えるというわけではないが、主な皆さんが甲板にいたことで挨拶をすることになるけど、名門や守護クラスが勢ぞろいするようなメンバーにはさすがに驚いたみたい。


 北条家、この旅行に意味があると深読みしているからなぁ。皆さんとの挨拶もそこそこに船は出航する。


 神津島から報告書だけは受け取ったし、港の様子が船からも見える。開発は順調のようだ。三雲さん、少し不安だったけど、代官として堅実に働いている。


「しま!」


「またね~」


 ああ、子供たちが島に喜んで港にいる皆さんに手を振っている。見送りとして港にいる三雲さんたちが気付いたようで、戸惑いながらも同じように手を振ってくれた。こういうジェスチャー、この時代だとないんだけどね。


 同じように返してくれたのは嬉しい。そのまま神津島が見えなくなると、急遽同行が決まった山科さんを見かけたので声を掛ける。


「山科卿、いかがでございますか?」


「思うたより楽じゃの。尾張とそなたの船は他の船と違う故、あまり案じてもおらなんだが」


 顔色も悪くないし、様子も落ち着いている。まあ、乱世の公卿であるし、この人は僅かなお供と諸国を歩くからそこまで心配してなかったけど。


「ああ、久遠絵札とやらは良いの。あれは奥が深い」


 船上の暇つぶしとして人気なのはカードゲームだ。書物もあるけど、酔う可能性もあるから気を付けるように言っているからね。


 身分の高い人だと、遊ぶときも賭け事をしたりおかしなことをしたりしないので、割と放置出来るのはこちらとしても負担が少なくていい。




Side:北条幻庵


 三好家の者はおらぬか。このことをいかに見るべきか。驚くは事前に聞いておらなんだ山科卿がおることじゃ。隠しておったとは思わぬが、この旅にはやはり秘めたるなにかがあるのか?


「神津島には驚きました。さらにこの船。兄上が自ら来ると言われたのも分かりまするな」


 甥の十郎氏堯は船の中の造りに驚き、神津島を思い出して気を引き締めておる。


「であろう。敵に回せるものではない」


「新たな世でございますか。家中には未だに信じられぬと申す者もおります。異を唱えるほどではないにしても」


「わしもすべて分かっておるわけではない。じゃが……、関東が西と別に治めるのはもう無理じゃの。頼朝公の世から変わったことも多い。今の世では己の領地に籠り、西などなにするものぞと言えるものではない」


 織田が変わる前からのこともある。すでに鎌倉で世を差配するのは今の世ではない。さらに西から求めねばならぬ品々も増えた。愚か者は必要な品は銭で手に入れればいいと口にするが、西は織田が北から南までほぼ制しておる。


 商いも織田が差配して売るか売らぬか、いくらで売るかを決めておるのだ。里見のように、一癖も二癖もある者らに暴利を与えねばなにも手に入らぬようになってしまう。


「伊豆諸島が北条の命運を決めたということでございますか」


「我らが織田と争えば、関東の者らは嬉々として織田に近寄り我らを潰そうとするぞ。織田もまた関東を平らげるために上手く使うであろう。愚か者どもをな」


 蝦夷と奥羽の大部分を久遠が制した。これは東国を統べる布石以外の何物でもあるまい。当人らは認めぬであろうが、大きすぎる力の差に対抗出来る者が東国におるとは思えぬ。


 ともあれ今は久遠家の本領じゃ。いかなる地か楽しみで仕方ないという本音もある。いかほど我らの先を行くのか。この目で見られるとは思わなんだわ。




Side:リーファ


 航海は順調そのものだね。


「雪乃、船内の様子はどうだ?」


「問題ないわ。退屈をしている人はいるみたいだけど」


 海流と風を上手く使い本領へと船は進む。これだって本来なら難しいことだ。黒潮のように長く続く海流ばかりじゃないし、風も気まぐれ。最速で行けるのは、自分たちがこの時代ではあり得ない情報を持っているからでもある。


 しかし世の流れは早いね。僅か数年で公卿と他家の者を連れていくなんて。動力を使わない操船に四苦八苦していた頃が懐かしくなるほどだ。


 平和な時代を知らないこの時代の人間が平和を築く。これがいかに難しいか。自分たちもこの数年で身を以って理解した。


 平和よりも自分の面目や意地、欲が優先されるんだ。それを変えるのは並大抵のことでは無理だ。史実における徳川幕藩体制の功績のひとつだろうね。


「おや、お揃いでどうしたんだい?」


 海図を見つつ、今後の航行プランを考えていると大武丸と希美、吉法師様たちが姿を見せた。


「おさんぽしてるの!」


「ふふふ、おいで。特別に海図を見せてあげるよ」


 波もそれなりにある外海の船内で散歩か。この子たちは司令とエルの子だから分かるけど、吉法師様たちもなかなかだね。


「わーい!」


 この時代にスケールダウンしてあるとはいえ、ウチの本領が描かれたものは最重要機密といえる海図だ。


 水軍でも海図の管理だけは第一の厳命として決してもらさないようにしてあるし、新参者に見せることは絶対にない。北畠の大御所様であろうとも、現時点では久遠諸島の描かれた地図や海図を見せることはない。そういうことにしてある。


 なにもないと伝わっていた尾張から南の海に本領がある。現時点ではそれ以上を明かすのはリスクが高すぎるからね。船の速度や方向性で多少察しても、それ以上を推測して本領を特定するのは十年以上かかるだろう。


「これが海だよ。これが尾張」


「うわぁ」


 吉法師様たちは海図を見て喜んでいる。遠くに来たと少しは実感したかね? 案外伊勢湾内を移動しているくらいの認識しかない気もする。


 まあ、それでもいいさ。


 いつか、この空と海と海図を見たことを思い出してくれたら。



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