第1648話・久遠諸島への道・その二
Side:織田信長
速い。幾度も船に乗った故に分かる。聞きしに勝るとはこのことだ。
「久遠でもこれ以上の船は造れぬというのも分かるな」
「荷を多く積むなら大鯨船のほうが優れていますね。得手不得手は船にもありまして」
海などで死ねば恥となると考える者すらおる。にもかかわらず家中の者は、船酔いで止められた者以外は、ほぼすべてで当主がそのまま来た。親父は誰ひとり命じておらぬというのにだ。かずや守護様と話をして、しかるべき家に乗る人を出すかと問うただけだ。
当主でない者も恐れた故の人選ではない。今川の雪斎和尚など師だからな。
かずは相も変わらずだ。この者らが久遠にとって、害とならぬように考えておるのかと問いたくなる。
「疾きこと風の如しとでもいうべき船じゃの」
「ほう、良き例えでございますな。さすがは無人斎殿」
武田の先代殿と今川の黒衣の宰相殿か。共に敵に回せば厄介な相手だ。無人斎殿など甲斐を追放されたと聞き及ぶ故に軽んじる者もおったが、織田の治世を理解して熱心に動いておる。
雪斎和尚はかずとエルがもっとも懸念しておった相手だ。特にエルが敵に回すべきではないと進言してきたのは、まだ今ほど政に口を出しておらぬ頃だ。
この数年の今川の動きを見てオレも理解した。かずらの動きで織田に傾く三河において、離反や寝返りを出来うる限り抑えて、争わぬ形で退いていったからな。オレには同じことが出来ぬわ。
エルと知恵比べをして対峙出来そうなのは、織田でも数えるほどしかおらぬ。雪斎和尚はそのひとりであることに変わりはない。
さような者を臣下として信じる。かずとエルらがおらねば難しいわ。
「皆の衆、水平線にお天道様が沈むのでござる!」
「尾張ではなかなか見られないものなのですよ~」
そろそろ夕餉かという頃、すずとチェリーが皆を誘うように歩いておった。
かずのところは皆、年齢の割に若く、すずとチェリーも同様だ。その言動から軽んじる者もかつてはおったが、このふたりを甘く見て痛い目を見る者の姿も近頃見かけぬようになったな。
警備兵の広域隊の役目もあり、賊狩りとして近隣で恐れられておるとか。当人らは歌を歌いながら成してしまうのだから、賊も立場がないと言われるほど。
「おお、これはなんともよいものでございますな」
海の彼方に沈む日を見つめ、我が師である沢彦和尚が静かに祈りを捧げておる。近頃では学校の師として忙しく、オレが教えを受けることも少ないほど。
なにか大きな失態があらば、自らがすべての責めを負う。そのために学校に参るのだと言うて憚らぬ。
「まことに陸の見えぬ夜の海を走るのか」
「久遠の者はなんとも強き心を持つわ」
姉小路卿と京極殿か。あのふたりは、いずれかひとりを院との取次として残すかという話があった。されど、いずれを先に行かすのだという話が出た際に、守護様が共に行くのを望むならば行ってもよいと仰せになられたのだ。
伊勢守の叔父上もおり、必要ならば自ら取次もなさると言うてな。
「城を奪われ流浪の身が日ノ本を出るとは……」
「おや、武田と今川を手玉に取ったと聞き及ぶ小笠原殿とは思えぬお言葉だ」
「それは言うてくれるな。意地を通しただけぞ。まことに策を講じる者がおる織田において偶然のことを策と言われるのは困るわ」
小笠原殿と不破殿。意地なのか恨みの一念なのか。オレには分からぬが、上手くいけば功として褒め称えられる。それを誇る者も多いと言うのに、小笠原殿はあまり好まぬ。戦下手で政もそこまで上手いとは言えぬ。されど、謙虚であり礼儀作法も知らぬ者を教えるのは上手い男だ。
不破殿は西の要所である関ヶ原城の代官だ。ウルザとヒルザが信濃に移って以降も恙なく治めておる。六角や朝倉との関わりも変わり以前よりは難しゅうない地だが、流民や賊が多く入り込み面倒な地であることに変わりない。
「まさか宗滴殿が共に参られるとは……」
「内匠頭殿に誘われてな。病の身故に遠慮したのだが」
六角家宿老蒲生殿と朝倉家の宗滴殿。六角家宿老でも尾張を一番知る男であろうが、自ら来るとはな。さすがに管領代殿は来られぬと考えると、もっとも相応しき男であろう。覚悟も時勢の見極めも見事なものよ。
宗滴殿。この者はかずが気に入っておる男だ。難しい立場なのを理解してか久遠で引き取った。織田としても斯波としても扱いにくいのは変わらぬが、かずが一目置き気に入るというだけで騒ぐ者はおらぬ。
今では牧場で子らに手習いや武芸を教えておるほどよ。左様な身分でないというのに。かずに関わると人は皆、変わる。
「久遠家の者は皆、この光景を見て海を渡るのか……」
「美濃では見られぬの」
安藤殿と稲葉殿。安藤は気を許せぬ男だと言われておったが、今のところおかしな動きはない。むしろ東海道の西の守りの地である伊勢を上手く治めておる。かずらがお膳立てしたものだが、上手くいかぬ者も中にはおる。ウルザが死なすには惜しいと口を出しただけはある。
稲葉殿は浅井相手に一族の無念を晴らして以降、刑務奉行としてよう働く。役目柄面倒なことも多く刑務は気を使うことも必要なれど、頑固と言われるほど厳とした仕事をする。
美濃の国人であり、織田の古参とは言えぬがな。共に働きが見事で今の織田では役目を変えられぬほどだ。
「三途の川を渡る前に海を渡るとは……」
「なにを言うておる。そなたほどの男が」
ふふふ、弱気とも受け取ることを口にした爺に若武衛様がたしなめておられる。爺は若い者に奮起を促すべく身を退くことをしておるのだ。己の意思を継ぐ者を今から育てるかずらを見て悟ったと言うておったな。
吉法師の傅役としての働きは十二分にしておる。今も家中に対して力を示せるはずが、そういったことを戒めてもおるのだ。
皆が、それぞれに抱えるものがあり繋がりある。人が分かり合うなど容易いことではない。故に力や権威で従えるのだ。
例外はかずくらいであろう。あの男を皆が信じるのだ。まるで神仏の如くな。神仏でさえ宗派が違えば信じず血を流して争うというのに、あやつは争いを止めてしまう。
皆が神仏の使いではと思うのも無理はない。かずがすべて理の基で動いておると理解しておるオレでさえも、そう思う時があるからな。
「皆様、夕餉の支度が調いました!」
ああ、かずが天に選ばれたのならば、市はかずに嫁ぐべく天が選んだと言えるのであろうな。船がよく似合い、海を恐れぬ。まさに久遠の者とおなじなのだからな。
皆を見て考え事をしておるうちに日が沈んだか。空に輝く星。かずならばいつか届きそうに思えてならぬ。
オレも精進せねばな。
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