第1647話・久遠諸島への道

Side:久遠一馬


 旅立ちの日。ちょうどいい風が蟹江港に吹いている。


 しかしまあ、随分と名のある人が揃ったなぁ。意外な人は武田信虎さんと太原雪斎さんか。事前にそれぞれの家からこの人でいいかと打診があった。特に雪斎さんは体調の問題もある。


 結果から言うと、こちらとしては誰が来ても断る気はないんだけど。雪斎さんの体調も大丈夫だということだし。


 信虎さんは元の世界だと結構残酷な逸話があった人だけど、現実ではむしろ根回しとか内政に理解があるんだよね。普通に今川と武田の因縁解消のために動いていて、オレも何度か会って話をしたことがある。


「恐ろしいような待ち遠しいような。いかんとも言えぬ心境だ」


 今回、織田一族として信康さんが来ている。縁の下の力持ちと言えば失礼にあたるだろうか。信秀さんの下の弟であり、織田家の屋台骨と言ってもいい人だ。


「やはり己の目で見てみねば分からぬからの」


「ああ、一度は行ってみたいと思うておった」


 それとこの人、斎藤利政さん。オレが元の世界で有名な道三さんと心で呼ぶ人だ。


 史実において敵味方となったこのふたり、立場上よく会うらしく一緒にお酒を飲むこともあるんだとか。


「リーファ、雪乃。出航しようか」


「了解。総員出航だよ!」


 港には見送りに来ている人が大勢いる。妻たちや子供たちもいる。大武丸と希美は自分たちだけ船に乗っている意味を、まだ理解してないみたいだけどね。


 ちなみに船上においては船長の命令を身分に問わず最優先とする。これも事前に説明をして承諾を貰っている。当たり前なんだけど山科さんもいるからね。まあ、近衛さんとか乗った前例もあるし、船という特殊な状況では当然だとご理解いただいているけど。


「ふふふ、北畠家でも日ノ本を最初に出たのはわしとなるな。良きかな良きかな。偉大な祖先が成しておらぬことをひとつ成したわ」


 ああ、北畠晴具さんも楽しげだなぁ。実はこの人が来ることで山科さんの同行に繋がり、六角家と北条も誘うことになったんだけど。


 おかげで北条家なんか、なにか大きな政治的な意味があるのかと誤解しているし。晴具さんは半分以上好奇心からの同行であり、政治的な意味ないんだけどね。


 ウチの島。極楽のような島とか一部で言われていて噂が大きくなっているからなぁ。


「下を向いてはいけませんよ。船の上では礼儀作法は別なのです」


 ああ、慶次と共に皆勤賞なのはお市ちゃんだ。今回も若い子や初めて乗る人たちに声を掛けている。彼女だけは最初から決まっていたとも言える。信秀さんと相談したけど、楽しみにしているから連れていってほしいと言われたんだ。


 実際、率先して働くからいい手本となるんだよね。しかも船酔いもしないから尊敬されることすらある。


「ちちうえ! かじゅ! どこいくの?」


「此度は大湊に寄らぬか。信じられぬ速さだな」


 吉法師君と信長さんは楽しそうだなぁ。大武丸と希美が今回の最年少だけど、吉法師君も大武丸と希美の一歳年上だから、まだ幼いんだよね。


 しかし織田も変わったね。織田家を継ぐ信長さんとその嫡男が一緒に来るなんて。これも信長さんと信秀さんときちんと話したんだけどね。危険は承知で、吉法師君にウチの島を見せてやりたいとなったんだ。


「あ~、若様、離れては駄目でございますよ」


 あと吉法師君のお付きの吉二君も同行している。船酔いしないお付きの子から信長さんが選んだ。伊勢に生まれた領民の子なんだけどね。礼儀作法も覚えているし、吉法師君と仲がいいからウチにもよく来る。


 まあ、船だけど波はまだそれほど高くないし、甲板の端には壁もあるから、子供たちの背丈だと落ちる心配もないんだけどね。あまり危ないことはしないように気を付けてあげよう。




Side:織田信康


 蟹江が見えなくなった。この海の先に行けるとはな。


「叔父上、酔うておりませんか?」


「ああ、酔うておらぬ。そなたは慣れておるな」


「はい! 船は楽しゅうございます!」


 嬉しそうな市姫に弟の孫三郎を思い出す。此度も自ら行きたいと言うていたが、わしが行ったことがないことで是非とも行くべきだと勧めてくれたのだ。


 行けば、尾張に戻りたくなくなると言われる地だ。孫三郎など、酒を飲むと船乗りとして久遠家に仕えたいとすら言うことがあるほど。


「されど、これほど大勢に見せると懸念もあろうに。内匠頭殿は甘いというかなんというか」


 山城守殿はわずかに山科卿に視線を向けると、懸念するような顔をした。評定衆には知らされておることだ。院より直々に頼まれたことは。決して他言するなと厳命されたがな。


 甘い。わしですらそう思う。危ういことだと言うて押し切るべきであったろう。山科卿を信じるか信じぬかということではない。日ノ本の外である久遠の地に公卿など入れるべきではないのだ。今はまだな。


「なに、久遠に仇成す者が現れるならば、我らが討てばいい。わしも及ばずながら力となろう」


「大御所様……」


 波と風の音で気付かなんだ。北畠の大御所様が傍におられたことに。


 このお方なのだ。今の斯波と織田を支えてくださっておるのは。迷うことなく、かような言葉を下さる。それに幾度、我らが助けられておるか。南朝方として足利家と対峙した北畠の名は今も絶大だ。


「ただ、物見遊山のつもりで頼んだことが、少し騒ぎとなったことは済まぬと思うておる」


「構いますまい。前回は塚原殿も行っておるところでございます」


 家中でも未だ知る者は僅かなことだが、すでに公方様が同行されておるからな。塚原殿にも頼まれ断り切れなんだのは此度と同じであろう。今更大御所様のことを責められる者はおらぬ。


「楽しみよの。わしにも見えるであろうか。乱世の先が……」


 下は底が知れぬ海だ。水軍の者ですら恐ろしいというのに、何故か恐れる気になれぬ。大御所様も左様な様子にお見受けする。


 久遠の船で死するならば、それは天の決めた定めだ。かつて孫三郎が織田の宴で言うていたことが理解出来た気がする。


「皆様、茶に致しませんか? 沖に出ると波がありゆっくり飲めぬかもしれません」


「そうだな。ちょうど喉が渇いたところよ」


 織田、斎藤、北畠。本来なら争い戦をしておってもおかしゅうないというのに。かように同じ船で日ノ本の外に出る。なんともおかしなものだ。


 楽しみで待ちきれぬからか三人で顔を見合わせて笑うておると、六花殿が誘いに来てくれたので皆で船室に入る。


 楽しみで待ちきれぬとは、童の頃に戻ったようだわ。



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