第1645話・飴玉ひとつ

Side:蒲生定秀


 尾張に来ると己の不甲斐なさを感じてしまう。この国は止まらぬのだ。守るため。飢えぬために前に進む。


 口惜しいが六角家では同じように出来ぬ。同じ家中であっても互いに信じられぬところがあるのだ。我先にと所領を手放すと、俸禄を奪われ潰されてしまうのではという疑念がわしですら僅かにある。決して口には出せぬがな。


 無論、御屋形様を疑うわけではない。されど、明日にも御屋形様が身罷られたらいかがなる? 若君は変わらずに今のまま変えていこうとされるのか? 他の宿老がわしを疎んで動かぬと言えるのか? 疑念を持てばきりがない。


「やはり仏の国は違うわ」


 清洲で新しきことをしておるというので許しを得て見に来たが、なにやら鉄の棒の上を大きな馬車が走っておる。鉄道馬車というらしく、民でも銭を払えば乗れるとか。今は職人らが間違いないか試しておるようで、幾度か走らせてはあれこれと確かめておる。


 あの馬車というものすら、我らは手に入れられておらぬというのに。尾張は先をゆく。


 斯波と織田と久遠の者は籠より馬車を好み、供の者は身分を問わず馬車か馬に乗る。そうすることで早く目指すところへ行けるのだ。おかげで清洲と那古野などひとつの町と言うてもよいほどよ。


 無論、織田も当初は身分により馬車に乗るかどうかを考えたそうだが、久遠の者らを見て止めたという。馬車に乗ろうが乗るまいが、身分が変わるわけではない。さらに籠や馬に長々と乗っておるより楽でよいとか。


「金色飴はいらんかね~」


「ひとつもらおうか」


「はい、ありがとうございます」


 見世物のように人が集まるせいか、物売りも多い。ふと気になり、ひとつ買うてみる。


「ほう、本物ではないか」


「当然でございますよ。久遠様の金色飴の偽物を売るなど、尾張者は決して致しません」


 丸く固い飴だ。以前頂いたものと同じ味だな。当然だと誇らしげに語る町人が羨ましくなる。


「お武家様は西の方でございましょう? もしよろしければ、八屋という飯屋に行かれるとよろしゅうございますよ。あそこは尾張一の飯屋でございます」


「ふむ、それは良いことを聞いたの」


 旅支度をしておるわけではないが、余所者とわかったのであろう。八屋をわざわざ教えてくれるとは。己の利になるわけでもあるまいに。


 飴の代金に僅かばかりの駄賃を与えて少し歩く。案内の者と供の者は、わしの身分を知らずに八屋を教えたあの男に少し困ったようにしておるが、気分を悪うするどころか褒めてやりたいほどよ。


 余所者を騙すなど当然のことだ。良き話を教えると称して本当に良き話を教えるなど愚かとさえ言われかねぬ。されど、尾張ではこれが当然となりつつある。


 決して忘れてはならぬこと。それはこの国の者も乱世を生きる者だということ。かような国とて、危ういとなれば皆が死を覚悟で戦場に馳せ参じよう。一向衆の恐ろしさなど赤子のように思える。


 左様な国なのだ。


「どれ、せっかく教えてくれたのだ。八屋に行くか」


 城で出して頂く料理も美味い。されど、あそこで食うのもまた美味い。案内と供の者に食わせても近江で食うより遥かに安い。武士として良いのかと案じたくなるほどよ。


 いずれ近江でもかような店が増えるようにしたいものだ。




Side:久遠一馬


 清洲では鉄道馬車の試運転が始まった。やっぱり評判は高く沿道には見物人が出ているね。そんな中、職人たちが試運転しながら異常や問題がないかを確かめている。


 ちなみに馬はペルシュロン種だ。原産国はフランスで、元の世界では北海道開拓にも使われた馬になる。日ノ本在来の馬は小型種であることから、馬体の大きさが珍しいことが人が集まる原因になったようだ。


 ペルシュロン種は、美濃の牧場で繁殖させていく予定で飼育を始めている。


 動植物、これ下手に持ち込むと生態系に影響を及ぼすんだけど、必要なものは早めに持ち込まないと発展とか多様性の妨げになるんだよね。文明が史実より早く進んでいるからさ。


 それに動植物の重要性を人類が理解して手に入りにくくなる前に、必要なものは確保したいという思惑もあるけど。一応、すでに動植物は一通り確保してシルバーンで永続的に育てていくつもりで動いているから将来的にも困らないはずだ。


 ちなみに本物の南蛮船が尾張に来ることは現状ではない。航路の維持すら難しいほど船が沈むことで、南蛮人たちは活動範囲を狭めていて九州や博多ですら来ることは多くないだろう。正直、デメリットしかないので来てほしくない。


 そもそも史実においても南蛮人の船が畿内までよく来るようになるのは、この時代よりもう少し先になることから、現状でそこまで警戒しなくても来ないんだけどね。


 ただし、南蛮人と入れ替わるように倭寇のような連中が、史実よりも若干活動範囲を広げて動いているようだけど。


 尾張でいえば明の密貿易船は相変わらず来る数が少ない。珍しい品を求めてくる者はいるが、数自体は増えていないんだ。理由はいくつかある。織田領では密貿易船の乗組員たちを蟹江の町に入国させていないことや、彼らを優遇するような政策をしていないことで利益にならないからだ。


 基本として遠方に輸送すればするほど利益が増えないと困るが、現時点では彼らの荷は畿内より高く売れるなんてことはなく、むしろ安くでないと売れないんだ。需要と供給の関係から、それは仕方ない。


 それにどうも明の密貿易船は、尾張の銅塊に金銀が含まれていないことに気付いたようなんだよね。


 正直、尾張に来るよりも生糸や硝石を西国や畿内に売ったほうが儲かる。帰りはあちらの銅塊を買って帰ればいいだけだし。


 ウチとしても尾張が発展しつつあることで情報漏洩が気になるし、密貿易船もあまり歓迎していないこともある。


 欧州も大陸も将来の仮想敵であることに変わりはない。今から警戒して知識や技術が漏洩しないように、みんなで守る体制を築きたいんだ。


「まことによいのか? わしなど行っては困ろう。家中ですらまだ行ったことがない者が多いと聞き及ぶのだが……」


 さてこの日は、牧場に顔を出したんだけど。宗滴さんから改めて確認というか真意を問うようなことを言われた。まあ、当然の疑問だろうね。すでに許されるなら行くという返事は貰ってあるんだけど。


「許しは得ておりますよ。他にも私が好きに選んだ者がおります。公卿の山科卿もそうですね」


 正直、政治的な意味なんてない。オレが宗滴さんにあの島を見せたかっただけなんだ。ただ、偶然というのは面白い。山科さんの同行が決まると、宗滴さんの同行が目くらましにちょうどいいということになる。


 斯波家と因縁ある宗滴さんも行くんだし、オレが個人で友好関係にある人を招くんだと周囲が見てくれるからね。


「ならばよいが……」


 もしかすると、目くらましだと気付くかもしれないけど。まあ、どちらでも騒ぐ人じゃない。


「危うい旅であるのも事実。皆様には、そこをよく話してお考えいただいておりますけどね」


「最早、命など惜しまぬわ。むしろ若い者が死するならば、わしが代わりに死んでやろうとすら思う。命というものがいかに尊きものか、わしはここで初めて学んだ」


 宗滴さんに細かく教えているわけじゃないんだけどね。この人、子供たちと一緒に働いて学問も教えるから、必然的にリリーたちが教えているウチの教育を聞けることになった。自発的に働き、その場で偶然聞いてしまう。これだと隠しようもない。


 リリーたちの思惑だろうけど。


「宗滴殿だから教えますが、それほど危ういというわけではございませんよ。そのために複数の船で行くのですから。まあ、軽々しく行けると思われても困るので」


 尾張はほんと、信光さんとお市ちゃんの影響が今も大きい。船酔いなんてしないし、嵐も恐れず楽しかったと言っちゃうんだから。


 おかげでオレたちが危険性を説く役割になってしまった。


 まあ、それはそれでいいんだけどね。海は危ないと誰も行きたがらないと、それはそれで少し進んだあの島を見せられないし。



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