第1644話・覚悟の始末

Side:斯波義統


 山科卿か。否とは言えまいな。


「心情は察するにあまりありますな。御自ら話されたことがすべてかと」


 弾正もなんと言うべきか迷うような顔をしておるわ。恐らくわしも似たような顔をしておろう。


 以前、朝廷が一馬に官位を与えるべくこちらに根回しなしで動いたことで、弾正が怒ったことなどご存知ないのであろうな。さらに山科卿や広橋公を介さず話をされた。すなわち公卿の思うままにある気がないと示したということ。


「お覚悟には報いねばならぬ。とはいえ一馬で良かったわ。表沙汰にすれば面倒なことになっておった」


 今の朝廷を思うと、お覚悟は見事としか思えぬ。


 されど、院が公卿を介さず動く。左様な前例を尾張で作られては困る。我らが謀を巡らして、公卿や公家を介さず院や帝と通じておると見る愚か者が必ず出る。院は我らを巻き込まぬと仰せになられたようだが、甘いとしか思えぬ。


「祈りを届けるために動かれるか。道理ではある。されどな……」


「祈りというものが、いかに成果となるか判断するのは難しゅうございます」


 弾正の一言が我らの本音でもある。田畑に種を蒔けば実りある。鉄を打てば品が出来る。されど祈禱や祈りでなにが得られるのかと考えると、分からぬのだ。


 一馬らは費用対効果という言葉を使うておったな。いかに労を重ね、いかに実りを得るか。否とは言わぬが、叶うか分からぬ祈りに期待しておらぬように見える。


 本證寺や無量寿院のような者らの祈りは届かなんだのか? ならば叡山や高野山の祈りは届いておるのか? 誰の祈りならば届く? 一馬らは決して口にせぬが、効果が分からぬのならば、祈るより働いたほうがよいと考えておろう。


 我らは久遠の知恵の真髄を知っておるからこそ、左様に思うのであろうがの。


「まあ、巻き込まぬと仰せなのだ。信じるしかあるまい」


 祈りが届くのか届かぬのか。祈ることを代々続けておられる朝廷の現状を思うと、あまりあてに出来ぬと冷めた見方をしてしまうわ。


 神仏は誰の味方であるのか。神仏は信じるが神仏を騙る者は信じぬという一馬の言葉が一番しっくりくる。


 院の御覚悟と祈りは神仏に届くのであろうか? 




Side:久遠一馬


「では誓紙は要らぬということか?」


 義統さんと信秀さんに報告をして、すぐに山科さんと話すことにした。形式としてはオレが個人的に誘うということ。それだけだ。上皇陛下は誓紙をと言っておられたけど、エルと相談して誓紙は求めないことにした。


 こちらから誘って誓紙を出せというのはおかしな話だ。山科さんから行きたいと求めたという形も考えたけど、それをすると今後同行したいと言い出すであろう公卿や他の勢力を断る時に困る前例になりかねない。


 山科さんは認めたのに、オレたちは駄目なのかと言われるのが目に見えている。あくまでも親交が深い山科さんを特別に招く。その形がベストだと思う。


 島に誰を迎えるか。その主導権は手放したくないんだ。


「形としてなにも残したくはありません。山科卿と私如きが誓紙を交わすとは、よほどのこと。そこから院の御内意と察する者が増えるだけでございます」


 もう少し言うと、オレの場合は誓紙という存在をあまり信用していない。そんなもの戦で負けると一切役に立たない紙くずになりかねないし。


 身分ある山科さんが、オレのような余所者と誓紙を交わした。これ少し勘のいい人だと上皇陛下の関与に気付かれるだけだし。


「念のため戻らぬ場合に家督をいかがされるかなど、書状を残されたらいかがでございましょう。戻り次第破棄すればいいだけでございますので。此度は三隻で行きます。滅多なことがないと戻らぬことはないとは思いますが、念には念を入れておいていただけるとよいかと」


 まあ遺言とは言わないけど、戻らない場合の覚悟をしていたと示すなにかは残して、そのくらい危険だということは承知で行くという形にしてほしい。


「身分違いではあるものの友誼がある山科卿を信じて、私が己の責で招いた。これは織田家にも斯波家も関わりがない。その形でお認め頂けると幸いでございます」


 深々と頭を下げる。晴具さんにも言われたし、あまり畏れ多いという形ばかり出しても駄目だけど、同じ身分だと考えて動くと必ず反感を買う。


 同じ人間とは思わないほうがいい。言葉として少し冷たいが、神様仏様のように扱うと大筋で間違いはないだろう。


 山科さんもある意味災難だからね。この件をどう受け止めているか、オレにもまだ分からない。慎重に動く必要がある。


「済まぬな。委細承知した」


 表情は悪くない。とはいえ表情を偽るくらい出来る人だからなぁ。


「まあ、慣れた航路でございます。さらに新しい船もあり日数は大幅に短くなりました。当家では女子供が行き来しており、そこまで懸念がないのも事実でございます。ただ、山科卿にはそのくらいのお覚悟を示していただかねば、今後当家が困ることになりかねませぬので良しなにお願い申し上げます」


「今後、断れる理由は欲しいか。当然であろうな。そこは任せよ。上手くやる」


 良かった。こちらの懸念をご理解頂いた。この手の懸念はきちんと伝えないと相互理解が足りなくて関係悪化とか困るしね。


「見聞きしたものも院にはお伝えせねばならぬが、そなたの不利になることは吾で必ず止める。そこは信じてほしい」


「ありがとうございます。正直、山科卿で良かったと安堵しております。今後を考えると、公卿の皆様の誰かが一度お越しになることはいずれ必要でございますので」


「そなたの立場には難儀があり、本領は騒がれたくないということは承知しておる。さらに立場は違えど互いに苦労をしており、争いを望んでおらぬ。それだけ分かれば上手くゆくはずじゃ」


 ふー、なんとかまとまったか。山科さんは、ウチの島の領有権や日ノ本の外での動きに関与せず表に出さないと示してくれたんだと思う。


 あとは、明日にでも乗船経験のない人向けに試乗してもらう予定なので、山科さんにも同行してもらうか。伊勢湾内だけど、以前には乗っているので大丈夫だと思うけど。


 織田家だと沢彦和尚とか政秀さんも行く予定なんだよね。それなりの地位の人が多いから山科さんもそのうちのひとりとして目立たないようにしてしまおう。


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