第1641話・熱田祭り・その二

Side:浅井久政


「かように人が集まるとは難儀なことだ」


「それがそうでもないのでございますよ。多くの人が集まると多くの銭を使う。すると商人が儲かり、回り回って税として公儀の実入りとなる」


 熱田は人に触れずに歩くのが無理であるほど、人が溢れておる。ある者が少し嫌悪するような顔をすると、案内役の男が人を集める利を説き始めた。


 これまでもあれこれと教えを受けたが、相も変わらず我らとは違うことをしておるわ。寺社であろうが国人であろうが、等しく所領を手放させた織田なればこそ出来ることであろうか。


「ほう、織田は余所との商いをあまり望まぬと聞いたが?」


「確かに。商いを止めても困らぬ国にせんと励んでおりますな。されど、他国はそれでは困りましょう? 来る者を受け入れる程度の誼は持ち合わせておりまする」


 ある者は商いの利を説くならばと、さらに利になるはずの畿内との商いを後回しにする織田に疑問を口にするが、そこまで察することが出来ぬとは少し愚かではないかと思う。


 利が多いか少ないかという話ではないのだ。他国の商人を出向かせることに意味がある。なにをされるか分からぬ他国に出向くのではない。こちらの思うままに商いが出来る尾張に呼び込みたいのであろう。


 まあ、西を捨ててもよいと思うたのは確かだと思うがな。


「皆様方もなにかお好きなものがあれば、おっしゃってくだされ。本日は祭り。遠慮せずお楽しみいただくように命じられておりまする」


 大きな通りには両端に物売りが多くいる。市くらいならばわしも行ったことがあるが、尾張は一風変わっておる。屋台と言うたか。道端で珍しき料理を作り食わせる者や近江では珍しきものを売る者などがあちらこちらにおるのだ。


「殿、おひとついかがでございますか?」


 遠慮するなと言われたところで遠慮するのが我らの立場。ただ、蒲生殿が頼むと他の者も家臣らに買わせておる。そんな中、幸次郎が頼んでもおらぬのに買うてきたものは串に刺さった団子だった。


「そなた団子など食うのか?」


「いえ、この辺りで一番美味いと聞きましてな」


 気が利くというべきか。勝手をするというべきか。まあ、いずれでも良いがな。


「ほう、確かに美味い。これはなんだ?」


「なんでも醤油団子とか。久遠料理だそうでございます」


 甘い。醬油を甘くしたたれが掛かっておる。香ばしく焼いた団子に甘い醬油のタレがかように合うとは。


「噂に聞く。久遠家の屋台か?」


「いえ、熱田の町衆の屋台でございました」


 思わずまことかと問いそうになった。ただの町衆の屋台とやら如きで、かようなものが食えるのか?


「ああ、内匠頭殿の屋台はもう少し先でございます。無論、案内致しまする。少し待つことになると思われまするが、ご容赦を。尾張では守護様であっても、先に待つ者が買うのを妨げぬというのが掟でございますれば」


 よく見ると食い終わった串も良く出来ておる。贅沢をしておるといえば相違あるまい。されど、そこらの民でも食えるのだ。これが。


「品書きでございます! 分からないものはお教え致しますので、申しつけください!!」


 いずこよりも人が集まる所に久遠家の屋台があった。元服する前であろうか。左様な子が品書きの書かれた紙をわしらに手渡してくる。


「殿、この者らは内匠頭殿の猶子でございます」


 確とした着物をした子だ。ふと見ておると、幸次郎が耳元でわしにだけ聞こえるように囁いた。


 ああ、久遠家の孤児か。清洲城でも幾人か会うたことがある。氏素性も定かではない孤児を食わせておるばかりか、元服すると猶子として認めておるとか。


 他の者がやれば愚かと謗られるか、おかしなことをしてと叱られるのであろうが。あの御仁がやると慈悲深いと皆が感心しておる。おかしなものよ。


 恐ろしい。ふとそんな言葉が出そうになる。孤児らがではない。この場におる者、わしの見える者が皆、笑みを浮かべておるのだ。かような光景は尾張に来るまで見たことがない。


 尾張でも内匠頭殿を恐ろしいという者はおるというが、それ以上に信じ笑みを浮かべる者がこれほどおるのだ。


 坊主のよう、いや、それ以上か。故に神仏の使いと称されるのだな。あの御仁は。


「……御無礼でもございましたか?」


「いや、済まぬ。なにがよいかと迷うてな。かように賑やかな祭りは初めてなのだ」


 しばしじっと見たからであろう。孤児は戸惑うような恐れるような顔をした。周囲の皆が笑みを浮かべた者の中で、わしのように笑みも見せぬ者は怒っておると見えたのであろうな。


 無礼どころの話でないわ。こちらのほうが、無礼があってはならぬと恐れねばならぬのだが。


「そうでございましたか! ようございました!」


 安堵したように笑みを見せた孤児に思う。忠義とは主次第なのであろうとな。




Side:とある国の商人


「なんという人の多さだ」


 今まで行ったことのある、どの町よりも賑わっておる。


 驚くべきは身分のある武士や高僧らしき姿もちらほらと見られるが、左様な方々でさえ民が控えることなく触れるような近い所を平然と歩いていく。


「尾張の祭りで騒ぎを起こすのは、余所者と愚か者だけと決まっております。もっとも、愚か者ですら今日は騒ぎを起こしませぬ。もし花火が取りやめになると、一族郎党恨まれ生きてゆけないのでございます」


 町外れで僅かな銭で案内する者がおったので頼むと、あれこれと教えてくれるがこれがまた面白く興味のある話ばかりだ。


「花火が見とうてな。なんとかこの日に合わせて来たのだ」


「町を一回りして山車を見たら、花火を見るのによい場所にご案内も出来ます。銭を出せばさらによい場所もあります」


 馴染みの商人が去年の花火を見たと大騒ぎをしておったのが羨ましゅうて、ここまで来た。少し遠いが、商いをすると考えると一か八か来てみてもよいかと思うてな。


「思うておったよりずっと安いな」


 珍しき料理や酒もあるが、いずれも安い。国では手に入らぬ金色酒や尾張澄酒まで、そこらの者が売っておるのには偽物かと問うたほどだ。


 国から持参した品が思うたよりいい値で売れた。しかも良銭ばかりだ。買うて帰る品を買う銭は残さねばならぬが、少しばかり贅沢がしたい。


「ここが良いかと思いまする。久遠様が営む屋台でございます。諸国を歩く者が忘れられぬとまた来ることもあると聞きます」


 案内する者に頼んできたのは、一番賑わう屋台だった。


「なにがよいかの」


「このあたりが良いかと思います。久遠料理でも、ここでしか食えません」


 少し質の違う安そうな紙に書かれた品書きを見つつ、値と腹の具合を考えて頼む品を決める。


「ほう、まことに丸いな」


 頼んだのはたこ焼きというらしい。久遠家に伝わる秘伝のたれは他所の屋台では真似しようとしても出来ぬと案内の者が自慢げに言うておったほどだ。


「どれ……、ふむ!?」


 熱い。出来たてだ。ハフハフと口の中で熱さを少し冷ますように噛みしめると、食うたこともない濃くも複雑なタレと香ばしい中に、とろりと美味いなにかが入っておる。


 おおっ!?!? かようなものがこの世にあるのか!! 美味いという言葉が物足りぬ。そう思える味だ!!!


 しかも値も高くなどない。これでは利などあるまい。尾張のことは詳しくないが、左様なことわしでも分かるわ。


「おいしゅうございますか?」


「ああ、美味い」


 屋台とやらで働く幼子がわしを見て問うてきたので素直に答えると、嬉しそうに笑うた。


「ありがとうございます!」


 なんとも嬉しげな顔で礼を言われるが、礼を言いたいのはこちらのほうだ。


「いや、こちらこそ美味いものをありがとう」


 身なりもよく礼儀作法も知っておる様子。下人の子ではあるまい。久遠家家臣の子であろうか? 噂以上のお方ということであろうなぁ。


「もう少し食いたいの」


「また並ばねばなりませぬが……」


 左様なことならば構わぬ。次はなにを食おう。甘い菓子も美味いと先ほどの幼子が言うておったな。案内の者とまた多くの者が並ぶ後ろに回る。


 ふふふ、ここで腹いっぱいにしてもよい。いっそ全部食うてやろうか。



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