第1642話・熱田祭り・その三

Side:北畠具教


 直に日が暮れるな。


 夜を恐れる者は多かれど、皆で闇夜を待つのは尾張くらいではあるまいか。ふとそんな気がした。


「御所様だ!」


「わーい!」


 孤児院の子や一馬の子らが嬉しそうに出迎えてくれるのが、なんとも良いものだ。


 今日、わしは一馬の屋敷に来ておる。わしが公の立場で花火を見ると堅苦しいだけだからな。此度は一馬の屋敷で見せてもらうことにした。


 院も御照覧なさるのだが、そちらは父上が行かれておる。此度は招かれたわけではない。親子揃っていくこともあるまいと思うてな。いずれにしても尾張を立つ前に今一度来ることになろう。なれば、ゆるりと花火を見たいのだ。


「ようこそおいでくださいましたわ」


「ああ、桔梗殿。世話になる」


 賑やかな一馬の屋敷に来ると、武者修行だと出歩いていた頃を思い出す。家督を継ぎ、城も領地も得た。当然のこととはいえ、今思えばあの頃に戻りたいとすら思う。


「いかがされますか? 酒も茶などもございますが」


「では紅茶から頼むか。酔わずに花火を見たい」


 大武丸と希美らも大きゅうなったな。皆でわしの周りを囲むようにして、尾張のことなどいろいろと話してくれる。


「あらあら、ご無礼があってはなりませんわよ」


「ふふふ、よいのだ。よいのだ」


 子に囲まれるとあの頃に戻ったようで嬉しくさえ思える。桔梗殿が止めようとしてくれたが、それを制して子らを抱き上げてやる。


 ここでは、北畠家当主ではない。ただの人としてなにも考えずにおれる。それがまことに心地いい。


「お久しゅうございます」


「おお、宗滴殿。顔色が良うなられたな」


 わしと子らの邪魔をせぬように、しばし落ち着いた頃に挨拶を見計らったかのように来たのは朝倉家の宗滴殿だ。以前会うた時よりも顔色が良いことに驚く。すでに武士として戦には立てまい。それだけ年老いておるが、初めて会うた頃より晴れやかな顔に見えるわ。


「亜相様の噂は聞き及んでおります。羨ましき限り……」


「朝倉殿もようやられておると感心しておる。斯波家と織田家と接する者は皆、同じ苦労をするからな」


 父上とは別の理由であろうが、尾張の地で単身残り静養しておる男。朝倉家にこの人ありと言われるほどの男が、余生を他国で過ごす。朝倉家の者らはこの意味をいかほど理解しておるのであろうか?


 宗滴殿の様子を見て、いずこの家中も苦労をしておるのだなと垣間見える。


 家、一族、領地。いかにすべきか。未だに思い迷い悩む日々。近頃は、さっさと織田に領地をくれてやったほうが良いのではとすら思う。


 尾張は明日のために生きるというのに、面目だ意地だ、祖先から受け継いだものだと自ら動かぬ者が多すぎる。


「うわぁ」


 気が滅入りそうになるが、その時、夜空に一筋の火が駆け昇った。あれを見て龍が天に昇るようだと評する者もおるとか。


「バーン!」


「バーン!」


 漆黒の夜空を照らす光の花が咲き、胸の奥底まで響くような音が響くと、子らが嬉しそうに騒ぐ。


 ああ、よいものだ。今はすべてを忘れよう。


 僅かしかないこの花火を楽しむために。




Side:蒲生賢秀


 これは……、まことに人の技なのか?


 夜空が狭く見えるほど見事な花だ。近江から来ておる者らも、恐れおののき固まるような者すらおる。


 尾張で花火を打ち上げて以降、夜空に打ち上げる花火を作ろうとしておる者は諸国におると聞き及ぶ。されど、現物が手に入らぬことで未だに作れた者がおらぬとか。


 そもそも鉄砲の玉薬を驚くほど多く使うことで、試すことすらままならぬらしい。


 戦をしても勝てまい。政でも劣る。さらに料理や酒、花火に至っては真似ることすら出来ておらぬのだ。


「幾度見ても良いものよ」


 久遠殿の本領に行くために近江から来られた父上は、上機嫌で花火を見ておられる。


 実は北畠家の大御所様が内匠頭殿の本領へ行くというので、六角家からも良ければ同行する者を出さぬかと内々の誘いがあったのだ。


 御屋形様は自ら行くことも考えられたようだが、上様もおられぬ観音寺城を離れるわけにいかぬと父上が行くことにしたようだ。


 大御所様が行くのならば六角からも相応の者でなくばならぬこともあり、多少なりとも南蛮船に乗ったことがある父上が適任であろうな。


 物見遊山に行くのではない。久遠家の本領を見て学ぶことも必要となれば、ただ地位や身分がある者では務まらぬ。


「あれは金色砲にも通じる技であろう? かようなものを雨あられと撃たれてはな……」


 ふとひとりの老臣が花火を見て浅井下野守殿に目を向けた。浅井がいかにして負けたのか、ようやく悟ったのであろう。話で聞いてもこうして直に見ねば納得出来ぬのも分かる。


「わし如きでは相手にならなんだわ。御屋形様ならば別であろうがな」


 されど、下野守殿は相も変わらずか。ひねくれておるようなところがあるからな。あの男は。


「御屋形様とて変わらぬわ。矢玉は等しく敵に降り注ぐのだ。金色砲相手に雑兵が逃げぬことなどあり得ぬ。同じ戦が出来ぬ以上は、皆で討ち死にするしかなくなる」


 そんな下野守殿と他の者に、夜空を見上げたままの父上は不満げに口を開かれた。


「なっ……」


 戦う前から討ち死にと言い切る父上に皆が絶句した。武士がかようなことを言うと臆病者と謗られても文句は言えぬ。されど、勇猛だったという名だけを残して、一族郎党滅ぼすことは出来ぬと父上や御屋形様は別の道を探しておられるのだ。


「そなたらは聞き及んでおらぬのか? 内匠頭殿は金色砲や鉄砲を使わずとも見事な差配が出来るのだぞ。昨年の武芸大会で見せておるからの」


 戦上手と言われる者は諸国にいくらでもおる。父上は左様なこと承知のことだからな。内匠頭殿は今までの戦では勝ちきれぬと考えたのであろう。いずこの国を見たとてそうだからな。


「花火を前に戦の話とは少し無粋というもの。父上も皆も花火を楽しまれよ」


 いかんとも言えぬ顔で口を閉ざした者らに花火を見るように促す。父上も少し言葉が厳しき時があるからな。皆も分かっておるのだ。出来ぬまでもな。今言うべきことではあるまい。


「ふっ、尾張に出した甲斐があるということか。倅に諭されてしまったわ」


 父上もまた少し急いてしまったと思われたのだろう。笑みをこぼされるとまた花火を楽しむような顔に戻られた。


 左様な父上の様子に他の者も安堵した様子で夜空を見上げる。


 少し焦っておられるのだろうか、父上は。ふと、それだけが気になった。尾張はあまりに変わるのが早いからであろうが。




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