第1610話・南部晴政の苦闘

Side:浪岡具統


 新参者として、本来ならば自ら武功を求めねばならぬのであろう。ただ、わしにはそれが出来ぬ。隠居して倅に家督を継がせ任せることも考えたが、意外なことに神戸殿が武功など求めずともよいと教えてくれた。


 すでに戦の形が違うこともあり、武功を挙げてもあまり役に立たぬと言われた時には、家臣共々なんと言うていいか分からなんだほど。


「これは初めて見るものじゃの」


「天ぷらという。当家の料理。騙されたと思って食べてみてほしい」


 医師でもあるという久遠家の奥方が自ら作った料理か。野の菜と思わしきものを使っておるというのは分かるが。されど、騙されたと思うてか。もう少し言いようがあるのではあるまいか。まあ、構わぬが。


 ん……。これは塩と天ぷらのつゆがある。それのいずれかに付けて食うというのでまず塩を付けたが、中身は生吹ふふきか。それをなにか衣のようなものがまとっておる。


「ふむ、これはよい味じゃの」


 食べ慣れたはずの生吹をかような一品にするとは。歯ごたえもよく、衣が生吹の味を上手く引き立てておるわ。


 もとより東の果てのこの地と西では比べようもないのは存じておるが、見知ったものを見知らぬ料理にされると目に見えぬ力の差を感じずにはおられぬ。


 次は天ぷらのつゆとやらにつけて食うか。


「これもまた……」


 たれが衣に染みこむと塩とは別の味となる。なんだ。出汁でも入っておるのか? 僅かに歯ごたえがなくなるが、味の深みはさらに増す。


 見た目は薄い醤油のような色をしておるが、まったくの別物か。西からの船で僅かに手に入る品より上物なのは食えば分かる。それを陣中飯として出すとはな。


「大智の方という女が下魚を上魚と変えたという噂はまことか。院となられた先の帝が大層喜んだとか」


「あら、この地にもそんな噂が届いているのね。大智の方は私たちの友であり身内よ。存じているでしょうけどね。鰻が手に入ったら馳走するわ。確かこの地でも手に入るはずよね」


 ふと、以前聞いた話を思い出した。疑うわけではないが、あれが久遠という名だと今更ながら思い出したのだ。


 季代子と名乗るこの女も内匠頭の妻。同じ妻であろうが。妻同士が友と言えるほど親しいなどあまり聞かぬが。まあ、御家の内情を軽々しく言うはずもないこと。気にせずともよいか。


「汁物も美味しゅうございますな」


「ああ、味噌が違う」


 新参者ということで気負っておった家臣らも、見知らぬ料理の膳にようやく落ち着いたか。それでいい。功が要らぬとは言わぬが、新参者があまり出しゃばっても良く思われまい。


 ……味噌か。なるほど確かに我らの食う味噌と違う。いかに違うのかと問われても分からぬが、後を引くような味か。


 まだ冷える頃だ。猪肉が入った汁物は体の中から温まるようだ。


 あり得ぬほどの鉄砲や見たこともない金色砲か。左様な武器ばかりでなく、かような膳の品々からして違うとなると悔しさすら諦めたくなるわ。


 三戸殿が意地を張らねばよいが。いかに南部家とはいえ総崩れした今勝てる相手ではない。伊勢や尾張の様子を伝え聞く限りだと、降りて家を残すことを考えてくれるならば、わしも手助けが出来るのだが。


「これが金色酒か? 味が違う気がするが……」


「当家の金色酒は混ぜ物もなく一切薄めていない。これが本当の味」


 由衣子と申したか。女医師が自慢げに言うだけはある。酒すら味が違うわ。わしが手に入れた金色酒も上物であった。とはいえ一切の混ぜ物も薄めることもないというのは無理なもの。この地は東の果てなのだ。


「この地では僅かな量の金色酒ですら高くて手が出せぬ。手に入れることが出来たのは御所様くらいではあるまいか。あとは三戸殿なら手に入るのであろう」


「今日は浪岡殿と御家中の歓迎の宴。思う存分飲んでいただいていいわよ。酒樽はまだあるわ」


 わしでさえ僅かな量しか手に入らぬ酒を樽で平然と出す織田に、家臣らは恐れを抱いたような顔をしておるが、ふと見渡すと大浦殿や織田の者らはそれを察したように穏やかな様子で見守っておる。


「尾張でも初めて久遠家の料理や酒を前にすると皆が驚いてな。まあ、我らも通った道よ」


 わしのいかんとも言えぬ顔に気付いた森三左衛門殿が自ら口を開いた。驚くのも恐れるのも恥ではない。すでにようあることだということか。




Side:南部晴政


 織田勢が浪岡領へ入ったと知らせが届いた。追い打ちせなんだことで田仕事が終わるまでせめて来ねばよいと願っておったが、やはり勢いのままに来たか。


「早すぎる。これでは……」


「とにかく兵を集めねば、いずこから攻めるのか分からぬが、後詰めは出さねばなるまい」


 家臣らも悲壮な顔つきだ。


 総崩れの始末すらこちらは終えておらぬ。国人衆に状況を問い、再度挙兵を促す書状を送ったが、その返答が戻らぬところすら多いのだ。


「織田は津軽の国人らを捨て置いたのか? 殿、あちらを動かしては……」


「よせ、我らはもう津軽を攻める力もなければ、あそこまで後詰めを出す力もない。素直に降らねば見捨てることになる」


 すでに浪岡家が織田に降ったはず。浪岡領を通らず三戸から津軽に兵を送るには、山越えか西に大きく迂回する必要がある。山越えは夏にならねば無理であり、西に迂回も出羽を織田が押さえたことでいかになるか分からぬ。


 兵を挙げろとは言えぬ。それを命じてしまえば後に憂いを残す。


「八戸からの返事はまだか?」


「はっ……」


 やはりわしに従わぬ気か。当面返事を出さず様子を見て動く気であろう。先の戦と同じ戦をされたら勝ち目どころか和睦すら危うい。


「無理をせずともよい。降るのを許す。織田が攻めそうな者に書状を出す」


「殿! 左様なことを言うては!!」


「忘れておらぬか? 黒き大船を。織田水軍は手付かずだ。あの船は海を選ばぬ。南にある八戸に攻め入って、浪岡と八戸の双方から攻め寄せてくることも考えねばならぬ」


 この期に及んで勝てるなどという愚かな考えは持ち合わせておらぬ。いかにして負けるかだ。


「なるべく多くの者を残してやらねばならぬ。良きこともそうでないこともあったが、共に奥羽の地を盛り立てておった者らだ。織田とて降る者を討つ真似はするまい」


 意地であっても戦う姿勢を見せれば、織田も討たねばならなくなる。あれは一介の国人が戦える相手ではない。今一度まとまることが出来ればとは思うが、それが出来ぬ以上は降るしかない。


「殿……、無念でございます」


 わしとて無念よ。されど、皆の家を残してやる形で負けねばならぬのだ。


「皆、苦労を掛けるな。今しばらく励んでくれ。この先、いかになるか分からぬが、皆の功は必ず報いる」


「ははっ!」


 わしが八戸と戦うことがなくなったのは吉報か。八戸とわしが戦をする前に織田が動いてしまったのだからな。漁夫の利を狙うこともあり得るのかもしれぬが、このまま南部を平らげるつもりではと思えてならぬのだ。


 祖先に謝る理由がひとつ減るのは吉報と言えよう。



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