第1606話・若き小山田信茂の決断

Side:久遠一馬


 飛騨と加賀の境にある白山噴火の影響は続いている。風向きや火山灰の量にもよるけど、今年も農作業が出来ない地域が多いと報告が届いた。


 もっとも史実と違うところはそれで飢えることが今のところないことだろう。集団疎開させており、美濃にて賦役をしている。


 尾張や美濃や伊勢に共通することだけど、割と古い時代から開発が進んでいるので、すぐに開墾して田圃が広がる場所はない。ただし、水利が悪いなどで手付かずの未開拓地はそれなりにある。


 新田開発をするよりは麦や大豆などの畑として開拓するほうが有意義で、まだまだ人手が必要な場所は多い。


 あとは山林地域での植林と炭焼きなどを中心とした産業も育成は順調だ。まったく人の手が入らない原生林なら手を出さなくてもいいけど、中途半端に人が生業として使う里山では山林は財産であり、管理は今後も必要となる。


 飛騨などの再開発。数年先になるだろうけど、今から考えておく必要があるね。


「あれがそなたの猶子らか」


 今日は清洲城に来ている。少し離れたところでは孤児院の子供たちが城内にある庭園の世話をしているんだ。それを上皇陛下と少し眺めている。


「はい。孤児なのですけどね。守ってやる者がいないとあの子たちが困りますので、猶子と致しております」


 城内にある西洋式庭園、これはウチで管理している場所で牧場村の領民と孤児院のみんなが世話をしているんだ。上皇陛下がその場をご覧になりたいと仰せになったので、こうして一緒に見学している。


 少し驚いたのは、俺が孤児院の子たちを猶子としていることも知っておられたことか。山科さんあたりが教えたんだろうか?


「そなたはいつも己の力を己以外のために使うな」


 その言葉に少し返答に悩む。


「私も私心を殺して自ら損をするほどの事まではしておりませんよ。強くあらねば弱き者を守れませんので。ただ……、守れる範囲は守るつもりでございます」


 広橋さんの表情が僅かに動く。いいとも悪いともない。動いただけだ。とはいえ、察することは出来る。守るという覚悟を見せたこと。そこに都や畿内が入っていないことが懸念なんだろう。


 まあ、猶子は必要に迫られただけなんだけどね。牧場の子たちは貴重な技術者なんだ。身分や地位で使い潰させることはしたくない。


 朝廷との交渉、これは今も続いている。現状での成果は、交渉を続けるという形くらいだけどね。


 譲位における東国の扱い。これに関して朝廷でも少し話が出ているそうだ。少なくとも三関を封鎖する儀式など、東国の扱いを変える検討をしようとしている。


 主に尾張を中心とした東国の献上が命綱になりつつある朝廷において、肝心な時に排除するのは確かに問題だという認識はあるとみていいだろう。


 少なくともそういうことを話し合いますよというポーズは示した。譲位とは朝廷の根幹に関わる専権事項だ。それで臣下である東国に配慮する。公卿や公家とすると大きな譲歩をしたつもりなんだろうね。


 こちらがあまり朝廷の権威を利用する気がないことで向こうも必死だ。新たな為政者が朝廷の権威を利用し立てることで権威を維持して存続してきた朝廷にとって、無視される事態は想定外のことだろう。


 まあ、義輝さんの権威は使っているし、そういう意味では間接的に朝廷の権威を認めている。とはいえ、武士と朝廷の関係もまた歴史で見るより安泰ではない。


 都に戻らず近江以東を重視する義輝さんの政策は、思った以上に朝廷への圧力となっているんだ。


 正直、足利家の幕臣もいろいろと問題あるんだけどね。義輝さんがしっかりして、六角が目を光らせている現状では表面化していないけど。


 春の気候は散歩するにはちょうどいい。上皇陛下の顔色もだいぶいいようにお見受けする。史実だと寿命があまり残ってないけど、それも少し変わるかもしれないね。




Side:小山田信茂


 僅かな供の者と共に相模へと入り、伊豆、駿河、遠江、三河と経て尾張に来た。


 斯波と織田の治める地はあまりに広い。さらに供の者が臆するほど賑わい活気がある。身綺麗な民に見たこともない城。これでは御屋形様が織田に降ったのも分からんでもない。


 一時の勢いで増長した者ならば落ちるのを待てばいい。とはいえいつ落ちるのだ? 小山田の家は落ちるまで待てぬ。


「お久しゅうございます」


 清洲に到着して武田家の屋敷を訪ねた。事前に先触れを出していたとはいえ、会うてくださったのは典厩様だ。典厩様は最後にお会いした頃と変わりない様子だが、同席しておる者らはわしを睨む者もおる。


「わざわざ甲斐から参られるとは痛み入りまする。して小山田殿ほどのお方が、何故尾張に?」


 ああ、他家の者に応対するのと同じ扱いか。丁寧な言葉を使うておられるが、典厩様に左様な言葉を使われるとはな。もう味方ではないと暗に示されたか。


「そろそろお許しいただきたく参上致しました。腹を切れと命じるならば腹を切りましょう。隠居しろと命じるならば隠居致しましょう。某ではもういかんとも出来ませぬ」


 織田は恐ろしき相手だ。寺社も商人もすべて従えてしまう。あらゆる品物の売値を思うがままにされては、我らは兵糧攻めをされておるようなもの。


「兄上に取り次いでおきましょう。ひとまず休まれるとよろしかろう」


 典厩様は最後まで突き放されたか。せめて兵を挙げてくださればな。一戦交えて従うなり詫びるなり出来たものを。


 ただ、わしももう疲れた。若輩という理由であれこれと年寄りで決めておきながら、わしに責めを負えと言う。正直、わしは小山田家がいかになろうとあまり興味ない。早う御屋形様に降り、腹を切るなり隠居なりしてしまいたい。


 なにひとつ決められぬ当主などもう御免だ。御屋形様を裏切った責めはわしにもある。なればこそ、最後だけは己の手で始末を付けて終わらせたい。


 亡き父上や兄上にはお叱りを受けるであろうがな。されど、家中を掌握する時もすでに残っておらぬのだ。


 まあ、一族郎党根切りとまではされまい。諏訪の一件もあり、ないとは言い切れぬが、女は生かして養子を迎えて家としては残ろう。それでよい。


 それでもよいのだ。







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