第1605話・南部晴政の試練
Side:久遠一馬
「甲斐についてでございますが、小山田と穴山はそろそろ無理かと思われまする。領境では小競り合いが増えており、土豪や村などは一揆を起こしてもおかしゅうありませぬ」
評定の場で筆頭家老である佐久間大学さんからの報告に微妙な空気が流れる。
現状の織田家で総合的な情報が集まるのは家老衆とウチだ。当然、頻繁に意見交換はしている。この件も相談しているんだけどね。
はっきり言うと家老衆もウチも評定衆も、この件は面倒な案件としか見ていない。国人とはいえ面目を潰すと面倒になるが、すでに彼らは武田家の面目を潰している。仲裁してもいいが、武田家はすでに面目を捨てたように頑張っているんだよね。
彼らの気の済むまで好きにさせればいいというのが既定路線だ。
「甲斐に限らぬことじゃが。面目、因縁。武士として致し方ないと理解しておるが、かようなものに振り回されるのはもうたくさんじゃの」
「申し訳ございませぬ」
誰も口を開かない中、義統さんが少しうんざりした様子で意見を口にすると晴信さんが顔を青くして謝罪した。
「勘違いするな。武田殿を責めておるわけではない。かようなものに振り回されぬ政をせねばならぬと考えておるだけじゃ。我らは古き慣例など、すでに変えておるからの。これも同じよ。謀叛が嫌ならば謀叛が起こらぬ体制と政を考える。それが我らの目指すもの。覚えておかれよ」
「はっ」
ただ、義統さんの本音は嫌味を言うことでも武田を責めているわけでもない。それを諭すように語ると晴信さんの顔つきが変わる。
「小山田殿と穴山殿は争わぬように手を尽くしておりますね。これ以上、武田殿の面目を潰すと家の存続に関わると承知している様子。ただ、彼らでは打てる手がほとんどありません」
誰もフォローする人がいないので、少しだけ小山田と穴山のフォローをしておくか。過去は別にして、現在の両家はとにかく現状維持に腐心している。
「臣従を許したほうがよろしゅうございましょうか?」
オレの言葉に晴信さんが一歩踏み込んだ。甲斐は未だに武田家が守護だ。晴信さんは臣従する時に守護職の返上を願い出ると公言しているものの、織田で止めている。甲斐国の始末は武田家で付けてほしいためだ。
あと少し蛇足になるが、三河国の守護に今年の年始から義統さんが就任した。今川方だった国人や勢力を完全に臣従させて三河の統一がなったことで守護職を願い出て許されている。
現在の斯波と織田の方針として、領国を完全に従えたところで守護職を願い出ているところだ。伊勢と志摩は伊勢守護である北畠家が守護職なので守護を得ていないが、あとこちらで押さえている所で守護職がないのは駿河・遠江になる。
甲斐・駿河・遠江。ここは領内にまだこちらに従っていない所があるからだ。後始末はきちんと現守護でしてほしい。そうしないと因縁とか残るし。
ほんと因縁やら面目やらで政治が停滞するのはなんとかしたいんだけどね。この時代だと難しいことだ。
「それは守護として同族として武田殿が考えることだ。こちらとしては刃を向けてきたら潰すが、それまでは好きにして構わぬ」
晴信さんの言葉に評定衆も少し息を呑むが、信秀さんは今まで通りの方針を口にして終わった。この問題、小山田と穴山に限らないんだよね。お隣が友好勢力じゃないと多かれ少なかれ同じことになる。
正直、駿河と甲斐の向こうは北条領であり友好勢力ではあるものの、それでも大変でいろいろ話をしている段階だ。北条と隣接するからと安心するほど楽観も出来ない。
こちらとしては現状のまま一揆や蜂起の対策をしておくというのがベターになるね。
Side:南部晴政
我が城に戻ると安堵したのが本音か。とはいえ、肝心なのはここからだ。織田に備えるためにも兵糧を集めねばならぬ。
また一族や国人衆にも、いかほどの兵を失い、誰ぞが討ち取られたかを問わねばならぬ。
八戸は此度の戦の責めをわしに被せて、南部宗家の地位を取り返すべく動くであろう。九戸や他はいかがするであろうか。津軽の石川らは織田に降らせた。これでかの地はひとまず収まるはず。とはいえ……。
「殿、いかがなされまするか?」
家臣らの顔つきも心なしか冴えぬ。皆、理解しておると見える。敵が織田だけではないということに。
わしの首と引き換えに織田と和議を結ぶことなら出来ることかもしれぬが、今わしが腹を切れば三戸はいかがなるか分からぬ。
「当家の領内にて乱暴狼藉をするとはいかなる所存か」
あれこれと差配しておると、浪岡家の使者が参った。
浪岡の対処もいることだ。総崩れとなったことで浪岡領に多くの雑兵が逃げ込んだ。当然、素直に通り過ぎる者ばかりではない。すでに浪岡家において、かような者らを討ち取っておると聞き、いささか驚いてしまうが。
「済まぬと思うておる。詫びは必ずする」
「それには及びませぬ。この度、当家は織田に降ることになりました。伊勢の本家の強い勧めもございましてな。南部殿がかような負け方をする相手に、我らでは太刀打ち出来ませぬ。ましてあちらにも礼を尽くされ、返礼に困るほど配慮を受けております故。当家の主としては、それをご理解いただければ十分とのことでございまする」
……なんと。浪岡殿が先に動いたのか? いや、動いたのは織田か。浪岡家を従えるべく尾張本国が動いておったと見るべきか。
「あい分かった。浪岡殿の立場は理解する。それとな、詫びはその件と別に必ずする。そうお伝えくだされ」
前代未聞の大敗に見切りを付けられたか。もとより家柄は向こうが上。否とは言えるはずもない。
「殿……」
「織田とは和議を考える。浪岡殿に仲介を頼むこともあろう。今はこれでよい」
使者が下がると家臣らが戸惑うのが分かる。こうも早く動くとは誰も思いもせなんだのであろう。いずれにせよ、わしにはもう織田とは戦える余力はない。
「ならば早う動かねば、八戸は殿を討って織田と和睦を考えると思われまする」
「ああ、兵糧を集めよ。それといずれの者が味方になるか見極めねばならぬ」
織田は動かぬのか? それとも津軽をまとめたら動くのか? わしならすぐにでも動く。機を逸するは愚か者のすることだ。されど、織田の動きはよう分からぬ。わしらとは違う理で動いておるのだ。
「だが、織田は八戸と組むか? そもそも先に織田に手を出したのは八戸ぞ」
「分からぬが、八戸はそれを狙おう」
懸念は他にもある。高水寺の斯波も動くやもしれぬ。出羽の浅利と戸沢がいかになったかまだ分からぬが、織田の戦があれでは五分で争うのも難しかろう。
このままでは一族で争い、四面楚歌か?
願わくば織田と矛を収めたいのだが。難しかろうな。
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