第1607話・移ろいゆく世の中で
Side:武田晴信
「わしはもう隠居した身。口を出す立場にない。そなたらの好きにすればいい」
小山田が自ら参ったというので父上に知らせたが、嫌悪するような顔をしつつ口を出す気はないか。根切りだとも言えぬ。それはわしも同じことよ。
「ああ、面白き話を聞いた。西条吉良家を知っておろう。臣従後も勝手をしておったそうだが、あそこは若い当主だったそうでな。若い当主は許されたものの、支える者が悪いと、重臣など主立った者が切腹の上、一族は日ノ本から追放されたそうだ」
さて、いかがするかと思案しておると、父上が意味ありげな笑みで左様なことを言われた。
確かに小山田は弥三郎が今川との戦で討ち死にしてしまい、急遽、若い弥五郎が家督を継いだのだ。家督を継いだばかりの弥五郎にすべての責めを負わせるのは、いささか哀れか。
父上を追放したのはわしの責でもある。とはいえ甲斐の者らは父上とわしの二代に渡り当主から追い立てようとした。到底許せるものではない。
「それは面白き話でございますな」
「ああ、されど我らは臣下だ。仏の弾正忠様の名を汚してはならぬ。分かるな?」
口を出さぬと言いつつ、思うところはあるようだな。まあ、こうして腹を割って話せるのはよいことだ。
ひとまず家老衆に報告して、大殿に内々にお伺いを立てねばならぬな。
「存じておりますとも。某もすでに大人でございます」
「ふふふ、済まぬ。つい言い過ぎたわ」
やり過ぎては大殿の名に響くか。我らの怒りを面に出すべきではないな。ともかく登城せねばならぬ。
「ほう、小山田は当主自ら許しを請いに来たか」
織田では大殿への目通りは早い。お忙しい身のはずが、用件次第では即お会いくださる。此度も一刻も立たぬうちに呼ばれた。
「いかが致しましょう」
「先日も言うたが、武田家の好きにして構わぬ。許せぬならば腹を切らせて一族郎党追放してもよい。目に付く所に置きたくないならば、日ノ本の外に島流しにしてもよい。無論、戦だというならば叩き潰すまでだがな」
仏と称えられ民から拝まれることすらあるという。慈悲深く、失態や過ちも大きな罰は受けぬとまで言われるほど。とはいえ、臣下でもない国人風情の行く末などいかようでもいいというところは我らと同じか。
「シンディよ。なにか面白き策でもあるか?」
ただ、少し思案する仕草をすると、茶を淹れていた内匠頭殿の奥方に声を掛けた。この場には土田御前様もおり、共に茶を飲んでおられたようなのだ。わしはその場に呼ばれておる。
「大殿、私のような者が口を挟んでは武田殿がお困りになりますわ。ただ……、すでに織田家では土地は与えておりません。また大殿や若殿が、かの者を直臣にすることもない。とすると、許しても今後に大きな憂いにはなりませんわ。使い潰すつもりで許すか、土地を治めぬ以上国人など要らぬと討つなり追放なりするか。いずれでもあまり変わりはないかと。従って策など不要でございますわ」
「ふふふ、であるな。武田家で思うままにするがいい。ああ、兵が要るならば遠慮なく言え。武田家の体裁に恥じぬ兵を出してやる」
「ははっ」
主君を追放するような武士は要らぬということか。先日、武衛様が言うておられた、面目や因縁など御免だというのが本音かもしれぬな。
土地を与えぬ。これが大きい。今の世では誰が治めても争いはなくならぬ。そう見限ったのやもしれぬな。
さて、いかがするか。
Side:小山田信茂
武田家の屋敷は、まるで針の筵だな。武田家と小山田家は同盟を結んでおっただけだ。とはいえ守護は御屋形様だ。臣下のように振る舞いつつ、都合が悪うなると同盟だと言うと思われておろうな。
「久しいな。弥五郎」
御屋形様に目通りを許されたのは、清洲に着いて三日目の午後であった。
「はっ、お久しゅうございます」
切腹か。ふと左様な気がした。裏切り者を許すには相応のけじめがいる。武士として致し方ないと思うが、せめて兄上のように戦場で死にたかったわ。
「弥五郎、少しはわしの苦労を理解したであろう?」
「はっ」
この場で首を刎ねられることも覚悟したが、思うたよりも穏やかな様子に驚かされる。
「弥五郎、許してもよい。されど、けじめは付けねばならぬ。すでにわしは所領をすべて手放して俸禄の身。土地に拘り寝首をかくような家臣など要らぬ。武田家だけではない。小笠原家も今川家も織田家中では皆が同じなのだ。我らは織田家の流儀と政に従わねばならぬ」
「某の一命を以ってお許しいただきたく」
「そなたがすべて決めたのか? 父上を追放し、此度はわしを当主から外して追放するつもりであったのであろう? 誰が言い出した? 誰が賛同した? はっきり言おう。もう土地を治めることはない。勝手ばかりする家臣など要らぬ。それに織田家では、己で責めを負わず勝手をする者らをもっとも嫌う」
わしの首では足りぬと仰せか。
「まあ、そなたと小山田家は許してもよいと思うておる。そなたの兄を死なせたのはわしの不徳でもある。よく分からぬまま当主となりて苦労もしたはずだ。ただし、同盟を解消すると言うたのはそちらだ。それを画策した者には相応の責めを負わせねばならぬ。安穏とした隠居などで濁すことも認めぬ」
それは……。わしと小山田の家は許すが、御屋形様を隠居させようとした者らは責めを負わせろと? 左様なことをすれば、納得いかぬと兵を挙げる者すら出るぞ。わしの首で己らは生き残る気なのだからな。
「父上を追放して此度はわしだ。武田家として許し難し。弥五郎、そなたが小山田の家を掌握しておらぬことは分かっておる。責めを負うべきは誰か。考えるまでもあるまい?」
わしはなんという御方を裏切ってしまったのだ。御屋形様のご苦労も理解せず、主君を変えて新たな武田家として、信濃、織田と対峙すればいいという愚かな妄言に耳を貸してしまうとは。
「畏まりましてございます。いささか騒がしくなるやもしれませぬが、よろしゅうございましょうか?」
「ああ、構わぬ」
家中の責めは、わしが付けねばならぬ。さて、勝手なことばかり言うておった年寄りらは、御屋形様の条件に納得するのであろうか?
兵を挙げても責めを負わせねばならぬが、慎重に事を運ばねば御屋形様や織田の大殿に御迷惑をおかけしかねぬ。
いや、まてよ。いかほどの者に責めを負わせていかにして収めるか。御屋形様とよくよく話しておかねばならぬか。そもそもわしは織田のやり方がよう分からぬ。織田家中で新参者である武田家が恥をかくような真似は出来ぬ。
まあいい。すべて打ち明けてしまうか。誰がいずこまで関わっていたかも含めてな。
ともかく小山田の家は許されて存続出来るのだ。祖先に顔向けは出来る。
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