第1593話・時の流れと共に

Side:季代子


 南部はやはり戦を選択するのね。そうでもしないと家中が収まらないということか。面目、意地、甘く見られたら終わり。間違ってはいないわ。


 南部晴政。元の世界の資料だとそれなりに評価が高い人物。ただ、南部を脅かすほどの者がいなかった現状だと、先を見越して動くというのは難しいようね。仮に理解しても、ひとりの武士が当たり前の常識を変えるのは不可能に近い。ちょっと同情するわね。


「家中にはだいぶ誘いが来ておる様子。さらに出羽の浅利、戸沢は動くやもしれませぬ」


 私たちは現在、大浦城を拠点にしている。出羽もあるので十三湊だと遠いことが理由よ。そんな大浦城に安東殿が報告に来た。家中と周辺の様子を可能な限りまとめてきたようね。


「浪岡殿は動かないそうよ。ただ、領内を通すことは拒めぬと言ってきたわ」


 安東殿に驚きはない。浪岡家は使者を伊勢と尾張に出したから当然でしょうね。日和見といえばそうだけど、動くほどの理由もない。


「安東殿の家中は任せます。寝返りが出ても安東殿に累は及ばないわ。浅利と戸沢か。引き込むほどの相手じゃないわね。物資を送る。そっちでも玉薬を作り、鉄砲や焙烙玉の支度をしておいて。あとは兵を挙げた者を叩くだけよ」


 臣従が曖昧なままの安東家において、国人や土豪の寝返りで処分をするのは駄目ね。捨て置いてもいいし、引き留めてもいい。そこはお任せで十分だわ。


 戦の支度は相応にいる。戦場が分散する可能性というか、南部があちこちに声を掛けて動かすことはほぼ確定している。安東家には物資を先に送り、あとはこちらからも人を送って応戦かしらね。南部本隊を退ければ、あとはどうとでもなる。


「いかになりましょうや」


「懸念はないわよ。物資は必要なだけ送る。鉄砲もね。主立った者だけでも実際に撃って鍛練をさせなさい。まあ、こちらが思いもしないことになったら任せるわ。討って出てもいいし、籠城してもいい。ただし、こちらはすでに戦のやり方が違うの。焙烙玉と玉薬を惜しむことだけはしないでね」


 幾分、顔色が悪い。戦の違い。それをある程度は尾張で教えられているはずだけど。どちらを懸念しているのかしら。勝てるか懸念しているのか、それとも家中からの離反を懸念しているのか。


 まあ、いずれにしてもこちらに大きな影響はない。


 ただ、武士は構わないとしても雑兵の被害は減らしたいわね。




Side:斎藤義龍


 嫡男の喜太郎も九歳だ。近頃は学問や武芸のみならず絵を描くことを好んでおる。


「父上、いかがでございまするか?」


「よう描けておるな」


 学校にて学んだという水墨画を誇らしげに見せる喜太郎に、思わず笑みがこぼれる。相も変わらず時計塔が好きなようでそれを描いた絵だ。


「明後日には新しき恵比寿船に乗せていただけるとのこと。行って参ります」


「そうか、わしは役目でまだ行けなんだ。羨ましき限りよ」


 日々大人になる喜太郎に、ふと昔のことを思い出す。こやつは知るまい。わしと父上が上手くいかず争う寸前までいったことも。かつて土岐という守護がいたことも。


「蟹江で一泊するのですか。恥をかかぬようにしなくてはなりませぬよ」


「母上、某はもう左様な歳ではございませぬ!」


 あのまま長井らと共に父上と織田と争うておれば、今のわしはないのであろうな。一戦も交えず降ったことで悔やむこともあったが、今はむしろ良かったと思うておる。


 かつて不忠者と謗られ、蝮とまで蔑まれた父上は、家督を譲られたあとも美濃代官の役目を続けておる。最早、今の父上を不忠者と謗る者はおるまい。


 長きに渡り隣国として争うておる尾張と美濃は、もはや国境が要らぬほど争いもなく穏やかになった。


 喜太郎の弟や妹も生まれ、家は賑やかだ。母上など美濃と尾張を行き来しており、よう孫らに会いに来てくれる。


「父上、なにを笑うておられるのですか! 私はひとりでも懸念ありませぬ。第一、野営は何度も行っておるではありませぬか」


 いつの間にか一端の男だと思うておるか。喜太郎を見ておると、父上がかつてわしをいかに見ておったか痛感するわ。


「ああ、分かっておる。されど、船の上では気を引き締めねばならぬぞ。船では船乗りの言うことをよく聞くことも忘れるな」


「はい!」


 日ノ本の統一か。まさか御家がそこまで考えておるとはな。戦ならば勝てると思うておった頃の己に聞かせてやりたいわ。


 理由はよう分かる。ここまで国の在り方が違うのだ。いずれ争いとなるのは誰もが承知のこと。ならばこちらからひとつにまとめる。それしかあるまいな。


 子や孫の世になった頃に奪われるなどあってはならぬことだ。


 とはいえ、まずは領国を治め豊かにせねばならぬか。わしが総奉行を務める工務とてまだまだこれからだ。尾張はいい。工業村も焼き物村も蟹江も、日ノ本でも並び立つ者がおらぬ職人が揃っておる。されど、他はようやく変わり出したばかり。


 なかなか難しきことだ。まだまだ役目に励まねばならぬ。




Side:浅井久政


「某が尾張にでございますか?」


 六角の御屋形様に呼ばれた。何事かと思えば、尾張の地を学ぶために出す家臣にわしを加えると仰せになった。


「お主もそろそろ良いかと思うてな。まだ老け込むには早かろう。それに浅井の家もこのままというわけにはいかぬ」


 体のいい追放かと思うたが違うらしい。されど、今さらわしなど必要か?


「はっ、畏まりましてございます」


「お主にも思うところはあろうが、行けば分かる」


 元より断れぬ身。返事は決まっておるが……。


「すでに世は変わりつつある。因縁を水に流せとは言わぬが、先に進まねばならぬのだ」


 わしの心中を察してか、御屋形様は左様なことを仰った。


 先代様が身罷られて数年。当初は物足りぬと噂もあったとされるが、今では管領代として東西に睨みを利かせておると言われるほど。北近江三郡も大きな反乱はない。頃合いということであろうな。




「ほう、それは良うございますな。尾張には行ってみとうございました」


 屋敷に戻り御屋形様の命を告げると、戸惑う家臣らの中で嬉しそうにしておるのは幸次郎か。元主家の関は織田の怒りを買うて滅び、実家は織田に仕えておると聞くが。


「なにか面白いものでもあるのか?」


「ありますとも。すでに同じ日ノ本の国とは思えぬと噂でございまする」


 嘘かまことか定かでない噂ならわしも知っておるわ。ただ……。


「あの男に礼をしにいくにはちょうど良いな」


「八郎様でございまするか。日ノ本一の陪臣と評判でございまするな」


「ほう、それは初耳じゃの」


「いかに功を挙げようとも、久遠家家老としての地位は変わりませぬ。当人が求めておらぬと評判でございまするな。されど、織田弾正様や斯波武衛様は元より、都の公家衆すら一目置くとか」


 情けの礼はせねばならぬ。おかげで浅井の家を残せた。にしても僅か数年でそれほど名を上げたのか。


 一度や二度の功ならば偶然もあろう。されど、最早わしなど敵わぬほどになってしもうたな。



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