第1592話・光を求めて
Side:久遠一馬
晴天のこの日、上皇陛下と半数の評定衆が蟹江に集まっている。クリッパー船に試乗するためだ。
真っ先に乗せるべき皆さんだけど、スケジュールの都合で評定衆の半数は来られず、また時間の空いていた水軍衆が先に乗っているんだけどね。
二隻のクリッパー船で走り、数隻の久遠船が着かず離れずの距離を走る。
危険性は山科さんたちに入念に説明したんだけどね。そもそもこの時代で船が安全なものだと思う人はいないけど。なにかあると責められるのはオレたちだ。リスクが大きいから遠慮してほしいんだけど。
ただ、上皇陛下は出来れば味方にしておきたい。この先のためにも。
「なんと速い船じゃ」
ああ、あとはこの人、晴具さんも一緒に乗船している。
蟹江を出て伊勢湾に入ると、風向きを確認して最大船速でしばらく走らせる。総帆を展開すると速度もさることながら、見た目もやはりひと味違う。
青空に白い帆は本当に絵になる。織田以外だと相変わらず
「この船でさえ海の上では小さなものか」
それなりに揺れるんだけど、皆さん笑顔だ。上皇陛下も揺れなど気にする素振りもなく楽しまれている。一応、ケティと曲直瀬さんも連れてきたけど問題なさそうだ。
「内匠頭、わしがそなたの本領に行く際には、この船で行けるのか?」
「ええ、そのつもりです。大鯨船でも構いませんけど。大御所様がよいほうでいかがでしょう」
晴具さん。やはりウチの島に来る気なんだね。もうこの人は止められない。お世話になっているし危険も承知だ。
「北畠卿、そなたが内匠頭の本領に行くのか?」
「すでに家督は倅に譲っておる。わしは好きなことをして残りの余生を生きるつもりじゃ。海で死してもよい。久遠の地を見てみたいからの」
ただ、そんな晴具さんに山科さんが驚いた顔をした。正確な位置を教えていないし、家中以外では塚原さんと菊丸さんたちだけなんだよね。行ったことあるの。
山科さんはオレが認めたことに驚いたのか。それとも行く晴具さんに驚いたのか。どちらだろうね。
実のところ、オレが次に帰省する時に同行したいという人は結構いる。断れない人だと道三さんとかもだね。具教さんも行きたいと言っているけど、多分、晴具さんが先になると思う。
「羨ましきことよ」
その一言は小さな囁きだった。離れている皆さんには聞こえていないだろう。
「院……」
他に聞こえたのは広橋さんや丹波さん、それと義統さんと信秀さんくらいか?
「我ら北畠一党は斯波と織田と共にありまする。生きるも死ぬも定めのままに身をゆだねる所存」
どうも晴具さんにも聞こえたらしい。行くべき覚悟を上皇陛下の前で示した。ただ、その言葉はむしろ広橋さんや山科さんに向けた言葉かもしれない。
蔵人の一件は直接関わっていなかったけど、結構怒っていたんだよね。晴具さんがでしゃばると大事になるからと黙っていたけど。
「そなたのような公卿が残っておったこと嬉しく思う」
山科さんと広橋さんは無言だ。どう受け取ったか顔色からは読み取れない。ただ、上皇陛下は嬉しそうに微笑まれた。蔵人の一件、やはりショックも大きかったんだろうね。信じていた側近が自分を理解するどころか、邪魔していたなんて。
「朕は次の世へと向かうような船に乗れただけで満足である。皆に労を掛けたな。終生忘れぬ」
少し沈黙が支配するが、上皇陛下はそう口にされて再び景色をご覧になられている。内裏で見慣れた景色しかご覧になれなかった上皇陛下にとって、この景色はオレには分からないくらい嬉しいものなのだろう。
『次の世へと向かうような船』という一言が、上皇陛下の本音である気がする。
いろいろ難しいことも多いけど、残りの月日。少しでも充実した日々を送っていただけるようにしよう。そう思えるお方だ。
Side:北畠晴具
太平の世を僅かなりとも見てしまった者の思いと苦悩。こればかりはいかに内匠頭といえど確かと見えぬのかもしれぬな。武衛殿と弾正殿は察しておろうが。
地獄に一筋の光が差し込むのだ。それを見てしまえば、己が地獄におると気付いてしまう。誰が光のない地獄に戻りたいものか。
その先は、己が力で光を奪おうとする者もおるであろう。されど院には奪うなどという御心はない。故にいかにするべきか、わしも分からぬわ。
近衛公らは罪なことをしたのやもしれぬの。連綿と続く朝廷において、必要なことのみお耳に入れておればこそ、院や帝はあるがままにおられたのだ。それが変わるという光をお見せしてしまうとは。
この始末をいかにする気だ? まさか朝廷を変える気か? 出来るとは思えぬが。近衛公には先が見えても他の者らは見えておらぬのだ。しがみつくであろう。己らが見ておるものに。
夏には都にお戻りになられる。仙洞御所に入られた院はいかに思うのであろうか。力を合わせることもなく、己の利と力を求めるばかりの都で。
自ら求めてしまえば、古の乱のように世は荒れる。それを望まれるお方とは思えぬ。近衛公らは院の求めを真摯に受け止め変わる気があるのか?
まさか、我らが動かぬせいで出来ませぬと言うのではあるまいな。疑いたくはないが、あの者らも所詮は都人。東国の者の思いなど理解するまい。
幸いなのは上様と三好が味方ということか。畿内に巻き込まれる恐れもあるが、あちらが総じて敵となることだけは避けられよう。
にしても世を変えるとは難儀なことばかりよ。祖先もかような苦労をしておったのであろうか? しておったのであろうな。帝も公卿も下々の者のことなど考えぬ。
山科卿と広橋公は分かっておるようじゃがの。それとて、いずこまで信じてよいのやら。
上様も交えて主立った者で少し話したほうが良かろう。院は味方にしておきたいが、あまり新たな世をお見せすると乱の原因になりかねぬ。
もう手遅れかもしれぬがの。それも含めて皆で懸念や思いを理解せねばならぬ。
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