第1589話・海祭りの夜に

Side:岡部貞綱


 海祭りも終わり、宴に招かれた。主に水軍と海軍の者の宴のようだ。


 尾張・伊勢・志摩・三河・遠江、そして我ら駿河水軍衆と、久遠海軍の者がおる。


「いや、あの新しい船は度肝抜かれたわ」


「大鯨船よりあれほど速いとは……」


 尾張・伊勢・志摩は分かるが、三河の水軍衆も随分と馴染んでおるものよ。他の水軍衆の者らが楽しげに酒を酌み交わすのは少し驚きだ。


「口惜しいのは今年も操船で勝てなんだことよ。一年励んだというのに」


 また別のところでは、今日行われた一番速い船を決める競技とやらの話をしておる。操船競技と織田は言うておるやつだ。


 我ら駿河と遠江の水軍衆も命じられるままに加わったが、まったく勝てず敗れた。


 駿河水軍衆の者からは、与えられた船が悪いだの文句も聞かれたが、戦に敗れた理由を馬のせいにするようなものだ。仮にそうであったとしても己で船も造れぬ身としては、文句など言えぬ。


 もっとも久遠船はどの船もあまり変わらぬと事前に教えられた。多少の癖はあるとのことだが、操船して気になるほどでもないともな。それがまことであるなら、我らの力不足がもっともな理由になろう。


「自分もこの海は慣れたからね。お互い去年よりも速くなっているさ」


 操船にて一番となったのはあの女。久遠殿の奥方とか。海神わだつみの方という通り名に負けておらぬということか。少なくとも今のままでは勝てぬ相手よ。久遠が海では強いのは分かっておること驚きはない。


「あの快速船とやらに我らも乗せてくださりませぬか?」


「構わないよ。乗って走らせないと分からないからね。多分、あちこちからそんな話があるだろうから、いつになるかは言えないけどね」


「おお、かたじけない」


 敵ながら天晴というところか。ああ、もう敵ではないがな。速く大きな船を造り、外海をゆく久遠。確かに我らの敵う相手ではない。それは認めよう。


 とはいえみじめなものだな。一戦交えておれば、素直に従えるものを。だが、織田水軍では我らなど不要なのかもしれぬと思うと、捨て置かれるのも理解する。


 我らとて、力も名もなき者を厚遇などせぬ。織田からすると今川家への配慮はあっても、我らを納得させる形で遇するほど欲せぬのも当然といえば当然か。


 駿河水軍衆の機嫌を取る暇があるのならば、久遠海軍の機嫌を取ろう。立場が変わればわしとてそうする。今日の様子を見てそれが分かった。


 わしはそれで納得するしかない。岡部一族としては今川家を離れるわけにはいかぬ。また義理を欠くことも出来ぬ。臣従する前ならばいざ知らず、一旦臣従した以上は一戦交えるなど出来ぬこと。


 ただ、駿河水軍衆とすると、それで収まらぬ者が幾人もおる。駿河では寺社も商人も皆、納得がいかぬと憤っておったのだ。もっとも寺社と商人は納得させられたようだがな。


 気に入らぬなら勝手にしろというのが、織田のやり方だ。他に助力を乞わず国を治める。寺社といえど例外ではない。駿河の寺社も意地を張り騒ぐまではするものの、織田相手に争うてしまうと矛を収めるのは難しい。それはすでに三河本證寺と伊勢無量寿院で明らかだ。


 織田が譲歩せぬと知り諦めたという者が多い。そう聞いておる。駿河で言えば富士浅間神社が争う気なく降ったことも大きいがな。


 困るのは水軍衆か。所領を奪われたことも面白うないところにこれだ。わしとしては騒ぐ者らをまとめねばならぬのだ。まさか不平不満を抱くなとは言えぬしな。


 織田のように従わぬなら捨て置くなど出来ぬこと。それをすればあちこちから責められる。


 なんとも難しきことよ。




Side:山科言継


 新しき船か。院は大層お喜びになられたな。


 あれは久遠で一から考えて造った船とか。知恵と学問により新しき船も造れるということを直にご覧になられたことを、なによりも喜ばれたのであろう。


 知恵、学問。それらを国のために役立てる。本来の在り方であろうからの。


「底が知れぬの」


 院が休まれたあと広橋公と丹波卿と共に少し話をするが、広橋公が諦めにも似た顔をしておる。院のおられるあの場で新しき船を披露した。その意味を我らは考えねばなるまい。


 内匠頭に我らを脅す気などあるまい。されど、己らだけでもやっていけると暗に示すくらいは考えてもおかしゅうない。


「都は最早、先達ではない。我らは頭を下げて教えを乞うしかないのだ」


 広橋公と違い、何故か嬉しそうな顔をしておるのは丹波卿か。騒ぐ蔵人がおらなくなったことで、堂々と久遠の医術の教えを乞うておるからの。当人は僧籍におったからか頭を下げることすら厭わぬのだ。


「丹波卿、医術はいかがなのだ?」


「ふむ、確と学ぶなら数年は必要であろうな。吾もあらましの教えを受けておるくらいよ。半端に学ぶのは良うないとも言われての。それも道理だ」


 丹波家は一時断絶しておったからの。再興出来たのは他ならぬ織田からの献上があればこそ。なればこそ丹波卿は尾張と織田に近しい縁を感じておるようじゃ。


「されど対価もなくば教えを受けられまい?」


「吾は久遠の医術を誰にも教えぬ。院と主上のためにのみ使うと言うて頭を下げた。対価などない。それでも構わぬところだけ教わる」


 広橋公が驚いておるな。吾もなんと言うていいか分からぬ。面目も考えぬとは恐ろしきほどじゃが、久遠がそれで教えておるということは、さほど悪く思うておらぬのか? 先日など土産に菓子を持ち帰ったくらいじゃ。疎まれてはおるまい。


「そう難しゅう考えずとも良いのではあるまいか? 頭を下げて織田と久遠が困らぬだけ教わればよい。もはや吾らにかの者らと対峙する力などないのだ」


 人が変われば見方も変わるか。尾張では身分を超えて多くの者の考えを聞くというのも分かる。言われてみるとそれも考えたほうがよいか?


 丹波卿のように失うものがないとは言えぬが、一考の余地はあろうな。


 よくよく考えてみると、以前は特に対価など考えず教わった知恵もある。尾張では官位さえ厄介事を頼まれる理由と思われておる。最早、対価には出来まい。


 織田と久遠にとって都合が悪うない知恵だけでも教わる。ここまで騒がれる前に戻るだけか。






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