第1588話・蟹江海祭り・その二

Side:久遠一馬


 海祭りでは海に携わる者の安全祈願の儀式もある。大勢の神職の皆さんが祈り儀式を行う。


 今年は上皇陛下の御臨席を賜っている。この後の観閲式もご覧になる予定だ。


 全体でいえば、領民は祭りだと盛り上がっているものの、広がった領地の弊害が少し出始めている。不満や地域間の対立などで派閥のようなものが形成され始めているんだ。


 まあ、浮いているのは駿河遠江の水軍衆らしいけど。オレの耳にもすぐに入るということは、相当なものだろう。


 水軍衆、立場が少し難しい。駿河遠江の水軍衆は今川家家臣であることに変わりはないものの、指揮命令系統としては水軍に属する。水軍の命令は主家の命令の上位になると決めてあるものの、価値観が違いすぎて今のところ対応出来ていない。


「あれが新しい船か」


 少し考え事をしていると、信秀さんが港の一番いい場所に接岸してある二隻の船に言及した。


 今までのキャラックやガレオンとは違う。元の世界で言うところのクリッパー船だ。細長い船体に多くのマストと帆を張った船は、恵比寿船に慣れた蟹江の人たちも驚いているのが分かる。


 史実では一八三二年にならないと登場しない船になるものの、妻たちの要望でいち早く登場となった。各地との行き来は今も人目がないところでは浮上航行により時間を節約しているけど、佐治水軍の船が同行することや家臣が同乗することも増えた結果、移動に時間がかかることがネックになっていた。


 ガレオンタイプの貨客船は費用対効果もそんなに良くない。ならば、いっそのこと快速船を出したほうがいいのではという結論となった。


 南蛮人には見せたくないけど、日ノ本とウチの勢力圏で使うなら問題ないだろう。


 今回はお披露目して、今後使っていく予定だ。季代子たちも移動が大変だと少しぼやいていたからね。これで多少でも楽になる。


「とにかく速さを求めた船ですね。荷を運ぶのには向きませんけど」


「良いではないか。使いどころを選べばいい」


 使いどころ。信秀さんの言う通りなんだけど、速度が違うから長期航海だと他の恵比寿船と船団組めないんだよね。佐治さんは事前に乗せてあるけど、速度の違いに驚きつつ少し困った顔をしていたくらいだ。


 まあ、織田家としては現状で必要な船ではない。伊勢湾から伊豆とウチの本領くらいまでしか船を出さないからね。とはいえウチに追いつきたいというのが水軍の理想となっているんだ。


 儀式が終わると観閲式となる。クリッパー船とガレオンをベースにした大鯨船、キャラベルをベースにした海豚船とウチの船はあるものの、船体の大きさはそれぞれに違いもある。一番大きいのは貨客型大鯨船で、あとは鉄鉱石運搬用の大型大鯨船もある。


 織田家はキャラックをベースにした小鯨船と久遠船だ。


 実は蟹江の船大工たちは大鯨船の修繕とかしたこともあるしね。技術的な蓄積はだいぶ出来ている。そろそろ大鯨船の建造も出来そうなんだけど、現状だと新しい船の建造に手を出すよりは小鯨船と久遠船の量産が主要命題なんだ。


 さらに補修なんかもある。今のところは人を育成しつつ建造速度をいかに上げるか考えて頑張ってくれている。


 さて支度が調うと、蟹江ばかりか近隣の海岸で見物している人たちに見せるために陣形を組んで船を走らせる。


 帆船は操縦も風に左右されるから大変なんだよね。水軍と海軍の皆さんは本当に頑張っている。不平不満があるのは別に駿河遠江だけじゃない。細かい不満なんかはいくらでもあるだろう。これはこの時代に限ったことじゃない。


 ただ、新しい操船と役目にきちんと向き合ってくれればいい。先頭を走るクリッパーを見てそんな願いを持たずにはいられなかった。




Side:今川義元


 新しい船か。やはり海では久遠が先達。織田に教えておる先をゆくのは当然であろうな。


「左京進、水軍の者らはまだ騒いでおるのか?」


「申し訳ございませぬ」


 岡部左京進は申し訳なさげに頭を下げる。水軍を任せておったのは岡部一族の者。今は若い忠兵衛貞綱であったか。かの者もよう励んでおるが、有象無象の者らが騒いでおるという。


「そなたを責めておるわけではない」


 この件は随分前から分かっておったこと。されど、水軍衆はすでに佐治殿が差配しておる。わしが口を出すべきではない。あまりに世評が悪いことで佐治殿と幾度か話して、必要とあらばこちらから手を回すつもりでおったが、佐治殿からは捨て置いてよいと言われた。


 謀叛でも起こすならば動くつもりのようだが、不満を漏らし騒ぐ程度ならば捨ておくとな。奴らにも面目もあるというのに、大殿も佐治殿も気にも止めておらぬ。


「まあ、よい。わしに命が下らぬならばそれまでだ」


 目の前の船の数々を見ると背筋が冷とうなるわ。水軍衆は未だ久遠海軍に及ばぬという。にもかかわらず東国一、いや日ノ本一の水軍であろう。


 水軍で一戦交えるだと? あれと戦などしてみろ、面目すら潰されてなにも残らぬわ。雪斎が己の命を削り成し得た臣従を軽んじるとは言語道断。


「にしてもあれはなんと速い船か」


 ふと気づくと先頭の新造船が張る帆を増やして一段と速うなった。他の恵比寿船などを置いてゆくと言わんばかりに走るとは。


「久遠家の自慢の船かと。聞いたところによると大鯨船の倍以上も速いとか。あまり荷が積めぬとのことでございますが、それを考えても余りある船でございましょう」


 織田はいずこと争う気じゃ? すでに海では敵なしであろうに。いや、戦船以外で使うというのは分かるがの。


 海では勝てぬ。左京進も随分と前に認めておったが、まさにその通りよ。仮に戦をして久遠船一隻沈めたとして、対価としてこちらの水軍が壊滅してしまうわ。


「伊勢衆や志摩衆を少しは見習うてほしいものじゃな」


 不満などいずこにもあろう。されど、他国の水軍は新しき船を動かさんと励んでおるというのに。


 伊豆の水軍と小競り合いをしておった程度では、かようなものなのかもしれぬがな。


 あの船で織田はこの世の果てまで行く気か? 恐ろしき国よ。




◆◆


 速鰐はやわに船。


 永禄二年、二月の蟹江海祭りにて速鰐船がお披露目されている。命名に関しては当時一般的に鰐と呼ばれていたサメの名を使ったものになる。その速度から命名したようである。


 同祭りは後奈良上皇が尾張滞在中のものであり、後奈良上皇御臨席の場での披露であった。その洗練された船体と多くの帆に後奈良上皇は目を奪われ、たいそうお喜びになったという記録がある。


 分類としては恵比寿船に属する船であり、久遠家が当時の最新造船技術と航海知識を盛り込んで造った快速船になる。


 同時代の久遠家の造船技術に関しては諸説あるが、この船をもって当時の世界一だったことは確かである。


 ほぼ帆船の限界まで速度を重視した造りであり、積載量は同時代の大鯨船と比較しても劣っている。


 とはいえ広大な地域に入植地を有していた久遠家としては、航海の安全と掛かる日数の削減が課題だったことは確かで、この船を以って久遠家は世界の海の覇者となったと考えられている。


 設計は船の方こと久遠鏡花であり、その速度と安全性は同時代の世界では追随する者を許さぬほど圧倒的な船であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る