第1587話・海祭りの裏側で

Side:岡部貞綱


 幾艘もの黒船に胸の奥が苛立つのが分かる。御屋形様に異を唱える気もなければ謀叛を起こす気もない。


 されど、一度も戦えず降った我らの立場は決して良うない。


「御屋形様は二ヵ国を擁して降ったはず。何故、我らはかように軽んじられるのか」


「そもそも我らは御屋形様に信じていただけなんだのであろう? ならばもう今川に尽くす義理もない」


「止めよ。誰かの耳に入ればいかがする気だ?」


 駿河の水軍衆が不満を抱えておるのは織田ばかりではない。今川の御屋形様に対してもだ。一戦も交えず降った臆病者と謗る声すらある。我らは里見のような愚か者でも伊勢水軍衆のような臆病者でもないというのに。


 なにより水軍では織田に勝てぬと、数年前から御屋形様より一切の争いを禁じられたことで、我ら水軍衆は面目と意地を失った。


 当然ながら、わしとて面白うない。されど本家の手前もある。今川家を裏切るなど出来ぬ。


「操船がいかに上手く速かろうと戦になれば違うものよ」


「左様、我らにあの船を与えることを拒むのは恐れておる証であろう」


 臣従後、織田からの扱いも決して良うなかったことが水軍衆を苛立たせた。久遠所縁の船は外に出せぬものだと言うて、万が一他国に漏らした場合は重い罰を与えると脅したうえで、決して外に漏らさぬと誓紙を出せとまで言われた。


 怒る水軍衆からなんとか誓紙を集めて出したが、やつらが駿河に寄越したのは古い船が数艘だ。しかも船は織田水軍の者が差配するということで、黒船の操船を覚えよと命じられたのみ。


 これでは水軍衆の気が収まらぬのも当然だ。


 命を聞けぬのならば陸に上がれと言われて幾人かの者が水軍を抜けた。もともと好き好んで海に出ておらぬ者もおったからな。


「これ以上騒ぐな!」


 此度も何故、尾張の祭りのために来ねばならぬのだと不満が聞かれた。結局、戦うべき時に戦えぬ恨みと不満がいつまでも消えぬのだ。戦って敗れたならば諦めがつくからな。


 無論、不満は分かるが、こやつらは呼ばねば呼ばぬと不満を言うのだ。元々、久遠が来る前は尾張と伊勢の内海でおった佐治などに大きな顔をされるのが嫌なだけ。


 心情は察するに余りあるが、かというて水軍を抜けるわけでもなく謀叛を起こすでもない。ただ無駄に恨みと不満を口にするのみ。これでは織田とて厚遇するはずもないのだがな。こやつらにはそれが分からぬらしい。




Side:九鬼泰隆


 駿河水軍衆はあれで不満を隠しておるつもりか? 先ほど少し会うた際にあまりの態度の悪さに驚かされた。


「長年敵であった織田相手に、戦えず降った無念さでもあるのでございましょう」


「不満ならば今からでも戦えばいいではないか。陰でこそこそと不満を言うとは今川もその程度か」


 我ら志摩水軍衆もお世辞にも上手くいっておるとは言えぬが、それでもあそこまで恨みつらみを出してはおらぬ。北畠の御所様の面目を潰しとうないからな。


「気づいておらぬのか? 織田水軍では他国の水軍とまったく違うということに」


 気づいておろう。とはいえ家柄と立場に合う船と役目を与えねば不満なのだ。今川は二ヵ国を持って臣従をしたからな。はっきり言えば、我らよりも上に立てると思うておったのであろう。


「佐治殿もようあの者らを許しておる」


「駿河の領海で役目をさせる以外は期待しておるまい。駿河水軍に大きな顔をされるくらいなら要らぬのであろう」


 水軍を預かるのは佐治殿だ。以前はあまり知らぬが、我らが臣従をして以降は皆のことを考えて差配されておる。ただ、織田に忠義もなければ命を下してもそれを軽んじる者は捨ておくこともある。


 潰すなり争う暇があるならば、見込みのある者を集めて鍛えたほうがいいと考えておるように見えるな。


 噂では、佐治殿は水軍で立身出世を狙うより久遠と共に外海に出たいのだとか。


「久遠海軍を見てあの態度を取れるのは羨ましいことよ」


「確かに……。水軍衆の待遇と先行きを考えて、皆で働けるようにとされておるというのに」


 駿河水軍衆を笑うような者に少しため息が漏れそうになる。我らとて人のことは言えぬのだぞ。


 とはいえ事実でもあるか。織田の水軍と海軍は、今でも久遠家の力がすべてと言うても過言ではない。肝心の久遠殿が功を誇ることもなければ、あれこれと直に口を出さぬことで新参者は知るまいが。


 もとより水軍の所領はあまり米が採れぬ地が多い。そんな地でも米が食えるのは他ならぬ久遠殿の差配なのだ。


 操船も知らぬ者に、大切な船を臣従してすぐ預けるなどあり得ぬと何故分からぬのか。


「捨て置け。あそこは遠からず今川がなんとかするであろう」


 駿河水軍衆は今川家臣だった者らだ。水軍に属する時に水軍衆として独立しておるはずだが、未だに今川家と無縁ではない。下手なことをすると今川の面目すら潰すというのに。


 奴らは知るまい。今川ですら久遠殿と因縁が生まれそうになり頭を下げに行ったという事実を。わしも噂を又聞きした程度だが、朝比奈家の嫡男が腹を切る覚悟で久遠殿のもとに謝罪に行ったとか。


 知らぬというは恐ろしきことよの。わしも気を付けねば。




Side:佐治為景


 さすがにこれだけ領地が広まると各地の水軍衆に不平不満があるか。


「大変だねぇ」


 海神わだつみの方殿が、左様な水軍衆を見て面白そうに笑うておる。この御仁は水軍衆に合うようだ。わしも同意する。この程度の不満など笑うくらいでいい。


「駄目よ。リーファ。そういう言い方は。皆も苦労しているのに」


「いいじゃないのさ。恨みや不満でも、それを理由に強くなり役目に励めばいい」


 六花りっかの方殿がたしなめるものの、海神の方殿の言い分が我らの本音と言えような。


「日ノ本の水軍をひとつとするという先が見えぬと、かの者らのようになるのでしょうな。まあ、そのうちこちらの流儀に慣れるでしょう」


 我らはすでに先を見ておる。いずれ日ノ本がひとつとなる時にひとつの水軍がいる。そのために今からやるべきことが多い。捨て置いても遠からず大人しくなるのだ。無理に構う必要もない。


 もっとも、かようなやり方は久遠殿を真似ただけだがな。


「佐治殿がいればこそ、ウチは負担が少なくて助かっているんだよね」


「そうね。水軍と海軍はまだまだこれから。私たちだけではとても出来ないことよ」


「もったいないお言葉ですな」


 久遠殿と奥方らとも長い付き合いになりつつある。日ノ本を統べるのは目的ではない。久遠家と織田家にはその先があるのだ。これは家中でも知る者は未だ少ないがな。


 面目を潰すこともするつもりはないが、満足させてやる気もない。


 水軍と海軍は必ず日ノ本にとって欠かせぬものとなろう。今のわしならばそれが分かる。申し訳ないが、駿河水軍衆の不満など構っておる暇はない。


 悔しければ、さっさと久遠式操船を覚えればいいのだ。それもせずに船を寄越せというなど相手にする価値もないわ。



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