第1578話・松の内も明けて

Side:久遠一馬


 松の内も明けると、妻たちはそれぞれの仕事がある場所に帰っていった。賑やかな屋敷が幾分静かになると、寂しさを感じる。子供たちも同じなのだろう。なにかにつけてオレや残っている妻たちに甘えるようになった。


 この時代で生きることに後悔はない。でもみんなで一緒にいられないのは、やはり寂しさを感じてしまう。


 まあ、仕方ないね。自分たちの居場所をつくるために。子供たちが生きる国をつくるために。家臣や領民とかオレたちを信じてくれるみんなのために頑張ろう。


「評判はようございます。似たような互助は考える者もおりますが、公儀がやるとなると騙される恐れもありませぬので」


 保険業務に関する報告に湊屋さんが来てくれた。船舶保険については水軍や商人組合でも幹部クラスでは事前に議論をしているので、それなりの者は知っているだろう。ただ、末端まではさすがに知られておらず、いろいろと反応がある。


「投資のほうは説明が大変みたいだけどね。こっちはまだ楽か」


「今までは御家で船が沈んだ者を助けておりましたので。こちらは異を唱える者がほぼおりませぬ」


 新しい業務で反応が大きく説明が大変なのは商務に属する投資だ。寄進というこの時代でも寺社にお金を出す仕組みはあるのでまったく未知のものではない。とはいえどういう形でどう変わるのか。今の織田家だとそれを我先に知ろうとする人も多い。


 尾張商人とは付き合いが長くなったからなぁ。いろいろ口を出すけど利を奪うことがないと知ってからは協力的だ。


 ただ、今回で言えば、投資次第では地元が清洲や那古野のように変わるのかと知ったことで関係者が驚いている。


 織田家では本領も属領も区別なく治めているものの、やはり開発は尾張が中心であり離れれば離れるほど後回しにはなる。投資次第で自分の故郷も変わるのかという驚きはこちらが想定した以上かもしれない。


 もっともインフラは造るのも大変だけど、維持管理もまた大変だ。その地の人口や産業に合わせて造らないと、あとで持て余す。そういう意味ではどこでもかしこでも投資をすれば賦役が行われるわけではない。




「答志島のことでございますが……」


 湊屋さんが戻ると、一益さんが別の報告を持ってきた。


 志摩にある答志島。史実でも九鬼水軍の拠点があったところだけど、織田水軍としても整備を続けていて南伊勢・志摩の水軍の一大拠点となっている。南にいくと紀伊があり、そこは熊野水軍の領海だが、暮らしの格差などいざこざはあるものの大きな争いにはなっていない。


 ちなみに紀伊熊野大社、志摩の水軍衆はもとから繋がりがあり、三河の鵜殿家が別当の分家筋になるとかで伝手があって、相応に話が出来ている。末端の小競り合い程度は時代的に仕方ないけど、争う気はないらしい。


 そもそも西から尾張に来る船が激増していることで、紀伊にも相応の利があるしね。


「うーん、少し考えてみるよ。返答は少し待ってほしいと伝えて」


「はっ」


 水軍からは答志島の防備を固めるべきではという献策がウチに届いた。この場合、紀伊というより畿内が信用されていないんだよね。


 織田領では各地の水軍がそれぞれに案内料を取らないんだけど、それでも領海の案内料は頂いている。はっきり言うと知らない海域で勝手に運行されると事故や座礁が増えるし。


 領海が広いこともあり、それなりに案内料は頂いている。ところがそれが高いと文句を付けたり、鄙者が勝手なことをしてと騒ぐ船もある。


 これウチが来た当初からあるんだけどね。地域の格差や力関係から、とりあえず強硬姿勢に出てから交渉をするというのが普通にある。


 あとどうしても畿内や西国の人は、尾張を東の田舎者だと馬鹿にしている潜在意識があるんだ。おかげで些細なことでいざこざが絶えない。


 一言で言うと、『あいつら信用ならないから、城を造って守りを見せたらどうか』という考えが水軍にあるらしい。まあ、この手の意見は佐治さんではなく、志摩出身の水軍衆だろうけど。


 あながち間違いとも言えないんだよねぇ。紀伊水軍にその気がない以上は海から攻められることはないだろうけど。


 さて、どうしたものか。




Side:大湊会合衆


「保険と投資か。聞いておったとはいえ、これで織田の地はさらに豊かになる」


「それもあるが、あれで尾張から遠き地や新領地も喜ぼう。目に見える形で己らの地にも利が回ると分かるのだ」


 公界を放棄して北畠様に臣従したことで、こちらにも事前に根回しが増えた。また保険と投資に関しては意見の上申があれば許すという大盤振る舞いだ。


「織田はもう戦で国を大きくする必要すらあるまい。恐ろしい国だ」


「食道楽の湊屋に救われたな」


 わずか数年で伊勢からは公界がほぼなくなり、織田と争うた者も消えておる。商人が寺社を後ろ盾に敵味方問わず商いをする世は終わったのだ。肝心の寺社ですら織田には勝てぬと軍門に降る有様だからな。商人のことなど考える余裕すらないところもある。


 それどころか、近頃では神宮の神官が湊屋に頭を下げに行くくらいだ。湊屋が珍しく困ったという話がこちらにまで伝わっておる。


 実際、湊屋の機嫌を損ねると我らですら危うい。まあ、湊屋も久遠様も機嫌で商いを変えるようなことをせぬと理解しておる故に、我らはさほど困っておらぬが。


 宇治と山田から逃げておる商人らも、大半は弁済と賠償をすることで戻ることを許されるという。大店の中には弁済と賠償額が大きすぎて戻れぬ者や、織田様を謀ったことで命が危ういと戻る気がない者もおるようだがな。


「宇治と山田はいかがなるのだ?」


「北畠様により町を立て直すそうだ。まあ、織田様と我らで助けて昨年の年の瀬も乗り切った。今後も同じ形となろう」


 北畠様は織田様の政を学んでおられるが、商いと町の差配はまだ難しかろう。神宮と近隣が困らぬようにと品物を揃えてやると、あとはなんとかなろうが。


「それよりも大湊のことだ」


 我らの懸念というほどでもないが、大湊の湊と町を少し変えてはという意見が会合衆にある。蟹江湊を参考に、久遠船くらいは接岸出来るところがほしいという話は以前からあったのだ。


 織田では町の中の道幅を広げており、公園なる火除け地などもある。水害のこともあるので容易いことではないが、安濃津では織田様が湊と町を新しくしておるからな。こちらでもやりたいというのが本音になる。


 北畠様はあまり余裕がないようで言い出せなんだが、投資という形でならば可能かもしれぬ。少し相談してみるのもよいか。



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