第1577話・苦境の新年

Side:諏訪満隣


 いつ以来であろうか。穏やかな新年を迎えたのは。


 武田の課した税は重く、さらに戦続きでこの地は毎年のように困窮しておった。それが今年はなくなったのだ。それだけでも十分と言えよう。


 誰が治めても奪うだけだ。そう囁く者もおったが、織田は領内に足りぬ塩や米を尾張や美濃から送って寄越した。無論、所領を失い、税を得られぬことで我らは失ったものも多いがな。


「力なき者は意地を通すことも出来ぬ。意地で争いをするのを嫌うか。尾張者の考えることは分からぬ」


 所領が召し上げとなる意味を理解しておらぬ者も多かった。体裁だけであろうと税を取る者、命も無いのに動員して小競り合いをする者などが幾人もおった。


 ある者は磔とされ、またある者は俸禄を召し上げとなった者もおる。一族郎党も累が及ぶ。日ノ本の外に島流しとなった者もおったな。


 寺社とてそうだ。民が賦役で銭を持つと、寄進しろと僧兵を連れて村々を回る者すらおった。愚かにも諏訪神社の末社にも左様なところがあって罰を受けた。


 諏訪神社すら要らぬという織田が、勝手をして許すと思うたのか。愚か者は理解に苦しむわ。こちらの命も無視する愚か者が、後になって助けを求めるのだ。織田の心情も分からんではない。


「武田に奪われる恐れはなくなったが、我らはなにも出来ぬようになった。祈る以外はするなということか」


 税を納めろとも言えぬ。また寺社の改築でさえ勝手に民を動員することは許されぬ。命じられたこと以外はするな。それが織田だ。左様な日々に喜んでおる者ばかりではない。


 されど……、織田の地はいずこも争いが起こらず穏やかだという。寺社の助けなどないほうが良き国になるということか?


 三河本證寺、伊勢無量寿院、そして諏訪神社か。織田に逆らい寺領の民すら逃げ出して見捨てた寺社だ。末代まで恥を残した我らが一番の愚か者よ。甲斐にある身延山久遠寺などこちらの動きを見て慌てて織田に頭を下げたとか。


 飢えぬことに喜ぶ民を我らは見ておるしか出来ぬ。愚か者は大人しく余生を送れということであろうな。




Side:穴山信友


 尾張に送った使者は御屋形様の許しを得られたであろうか? 年も改まり、お許しが出ても良いと思うのだが。


 こちらは新年の祝いどころではない。身勝手な国人や土豪ばかりか一族の者すらわしに不満を抱き、中には公然と罵る者もおるとか。


 隣の織田領はまったく別の国だ。向こうは雪が降ったところで賦役がある。それで出される飯と報酬により暮らしてゆけるのだ。さらに塩の値などもこちらとは桁が違う。


 困ったことに久遠寺めが、己らだけで保身に走り織田に鞍替えしおって。おかげでこちらは領内での小競り合いや奪い合いが後を絶たぬ。


 わしとていつ寝首をかかれるか分からぬ身になってしまった。皮肉よな。甲斐のためを思い御屋形様との同盟を破棄したことで、わしがあの頃の御屋形様のような立場となるとは。


 織田は最初の使者以降は、こちらの使者が当主に会うことすら許さぬ。話はすべて甲斐守護の御屋形様に言えと言うて終わりだ。今川もこちらの相手をしておる暇がないようで、駿河は留守役を残して空だという。


 一番厳しき態度なのは御屋形様だがな。手切れにしたとはいえ、長きに亘りお支えしたのだぞ。それを来るなと公言されるほど憎まれておる。


 面倒なことに、かつて追放した先代と同じ織田家中で会うことになり和解したとか。おかげであちらにも謝罪と嘆願の使者を出したが、先代のほうは未だに門前払いだ。


 かつてこちらに商いに来ていた駿河の商人らも来なくなった。勝手に他国と商いをすると織田に許されぬようになると怯えておるとか。おかげで塩を手に入れるだけで一苦労だ。こちらの商人に命じたところで、税やらなにやらとかつてと変わらぬ高い値でしか手に入らぬ。


 御屋形様と織田はわしに命を以って償えというのか? ならばそう言えば良かろう。さすればわしとて覚悟はする。それとも、許さぬということか? 我が穴山家を。




Side:小山田信茂


 穴山などの策に乗らねば良かったな。年が違うこともあり、御屋形様を隠居させると穴山らが騒いだ時に異を唱えなんだことが我が身の不徳であったわ。


 穴山ばかりではない。一族衆も家臣らも、わしが若輩であるからとあれこれと口を出す。兄上が今川との戦で討ち死にしたこともあって、急遽当主となったわしに決められることなどなかった。


 先代様を追い出した時に上手くいったからというて、皆で隠居と追い出しにかかったのだ。


 もっとも御屋形様が甲斐を自らお捨てになるとはわしも思わなんだがな。一戦交えて収めると思うておったものが。


「殿、左様な顔をなされますな。当家は穴山殿よりはいいかと」


 わしの不満げな顔に家臣が困った様子で機嫌を取る。まあ、言うことは間違いではない。穴山の所領は塩すら事欠き、領内が争うておると聞く。当家はまだ北条領から手に入れることが出来たので幾分だがいい。


「だが、御屋形様の所領と久遠寺の末寺はもっと楽になったのであろう? そなたらが手切れにすると騒いだ結果だ」


 一族も家臣も誰ひとり責めを負わぬ。口を出しても決めたのはわしだと、責めだけを負わせようとする。間違いではない。されど、面白うない。


「年始の挨拶に送った使者が必ずやよき返事を持ち帰りましょう。言うても血縁がありまする故に」


 中には織田に降った御屋形様と一戦交えるべしと騒いでおった者もおるが、馴染みの坊主に内々に打ち明けるとそれだけは止めたほうがいいと止められた。織田相手に思慮に欠けることをして上手くいった試しがないとか。


 実際、織田は信濃で砥石城を瞬く間に落としておる。それに驚いて出陣した村上と戦でもするのかと思うたが、和議を結んで双方ともにあっさりと退いておるのだ。戦などせずに良かったと安堵したわ。


「さて、いかがなるのやら。まことに御屋形様が裏切り者をお許しになるのか。そもそも織田とて裏切り者など欲しゅうないのであろう。先代様を追い出し、今また御屋形様を追い出そうとした。我らには罰が当たったのだ」


 もう隠居して出家するか? これ以上の恥を晒していかがなるというのだ。


 御屋形様のご心中を察して読めなんだのはわしの不徳。今さら忠臣のように言うたとて信じてくださることはあるまい。


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