第1563話・年の瀬の尾張
Side:久遠一馬
各地で開かれる露天市も新年を迎える品などが多くなり賑わっている。今日は那古野神社の市に来ているけど、物価はまあまあだ。正月の祝いの品は多少高いけど、それは仕方ない。
もち米とお酒なんかはこちらで手を打ってあるので、いつもと同じだ。ただ、縁起物とかはさすがにね。それでも常識の範囲内だ。もともと市は庶民が多く買いに来るので、そこまで高くしないということもあると思うけど。
食べ物ばかりじゃない。古着とかもある。かなり状態のいいものがあるね。末端の領民にもそれなりの着物が出回っている証だろう。
「久遠様!?」
「売れ行きはどう?」
「はい! 新年を迎えるとあってよく売れております!」
ちょっと気になった露店に声を掛けてみた。ウチの商品である砂糖や塩に、昆布塩やふりかけを売っている人がいたんだ。砂糖や昆布塩はさすがにそこそこ値が張る。ただ、それでも売れているみたいだ。
ウチの関連商品とすると鮭なんかもあるね。これは割と見かける。
オレは正直、買うものはないんだよね。ウチは家臣とか忍び衆の分も含めて、師走に入る前から正月用品をそろえるべく手配しているから。家臣にお酒や餅を配ることは今でも続けている。
「えんぎものの絵はいかがでございますか~」
そんな市で人だかりが出来ていたので覗いてみると、なんと孤児院の年長さんたちだった。十二歳を過ぎていて元服まで数年といった子供たちだ。
売っているのは版画絵だね。留吉君と雪村さんの絵みたい。人気のようですでに売り切れたものもある。
でもさ。縁起物と言いつつウチの船の絵もある。あれ縁起物なのか?
「みんな、どうだ?」
「はい! 皆に喜んでいただいております!」
あまり働かせ過ぎたくないんだけどね。本人たちはやる気や使命感がある様子だ。
留吉君の絵は尾張でも人気だからなぁ。織田家中の人に掛け軸や襖絵を頼まれることもある。ただ、留吉君はオレたちの教育の影響か、なるべくみんなに見てほしいと考えていて、最近は版画絵を好んで作っている。
史実の江戸時代の浮世絵のように安くはしていないけど、それでも庶民が絵を手に入れることが出来るというのはこの時代では珍しいのでよく売れるんだ。
孤児院の子たちをオレの猶子としたことは尾張では知られていることだ。おかげで子供たちが安全に働けるようになっている。以前と比べると格段に治安は良くなっているけど、それでも商売は大変だからなぁ。
無論、大人も一緒にいて働いているけどね。
Side:柴田勝家
やれやれ、なんとか年内に済まさねばならぬ仕事は終わりそうだな。一息ついて少し体を伸ばす。
農務総奉行の役目故、致し方ないが。いつの間にやら文官仕事が増えてしもうたな。
とはいえ新領地の報告はまとめておかねばならぬ。飢えぬ国にする。織田の政はそれを礎としておる。わしの役目もそれ故に決して軽うはない。
「何事もやれば出来るものだなぁ」
ふと過ぎ去りし日々を思い出す。内匠頭殿が尾張に来て数年は、わしには真似出来ぬと心底思うた。今でも同じことを出来ておるとは言い難い。
されど、役目として恥じぬ働きはしておろう。
わしが文官仕事をしようと思うたのは他でもない。妻を助けられた恩を返したかったからだ。月日を追うごとに内匠頭殿らの仕事が増えておったのは、誰の目にも明らかだった。
使い走りでも構わぬからと、城に出向き手伝っておるうちに総奉行になっておっただけだ。
「権六殿いかがされましたか?」
「いや、少し昔を思い出しておっただけだ」
「尾張も変わりましたからなぁ」
戦場を駆けて武功を挙げる。武士としてそれを夢見て生きてきた。ところが今は戦場で武士が己の武威で武功を挙げることはあまりない。寂しく思うのはわしだけではあるまい。
「ああ、されど、それもまた悪うない」
駿河、遠江、甲斐。ここらは来年の春が来る前に、田畑の作付けを変えるための方策がいるのだ。農閑期は賦役に動員しておる故、土務総奉行ともよくよく話さねばならぬ。また今川や武田など旧領主にも話を通して内諾は得ねばならぬことだ。
いかほどまで新しき知恵を教えやらせるか。そこは久遠殿と話さねばならぬ。新しき知恵と技は時に仕損じて思わぬ結果を招くこともある。
「当家など忙しゅうて、出家させるつもりであった四男を使うておりますわ。学校にて学んでからというもの、某よりも知恵が働くようでしてな」
農務総奉行の配下である者らとしばし談笑する。よく聞く話であるな。武芸に秀でた者は武官か警備兵をすればいい。知恵の働く者は文官として引く手数多だ。
配下には久遠殿の猶子もおる。農務の実務を書として残すべく清書役として久遠殿より借り受けた者だ。元は孤児とは思えぬ学問を修めており、なじみの坊主も驚いておったほど。
この先、いかがなるのかわしには分からぬ。されど、皆で国を造るのだということは理解しておるつもりだ。
役目に目途が付いたことだし、今宵は皆と酒宴でも開くか。
Side:とある領民
年の瀬だ。貯めてある銭を数え、年越しの支度をする。
もち米は値が上がってねえから買える。酒はなんにするかなぁ。金色酒か澄み酒がいいけど、麦酒で我慢するか。その分、甘えものをおっ母と子らに食わせてやりてえ。
肉か魚も、年の瀬になるとあちこちの産物が売っている。鮭なんて上等なものは買えねえけど、鯨肉の安いやつなら手が出ねえほどでもねえ。たまには干し鰯以外の魚も食いてえなぁ。
「よう、息災か?」
「おお、久しぶりだな」
悩んでいると、村を出て久しい奴が珍しく顔を出した。こいつは悪童そのものでな。喧嘩なんて飽きるほどしていて、よく爺様たちに叱られていた奴だ。
「おめえ、大晦日まで仕事しねえか?」
かつての悪童も今は警備兵となって配下の兵までいる。喧嘩の腕っぷしを見込まれて、織田の若殿によく呼ばれていた縁で警備兵として古くから働いている奴だ。
「賦役があるからなぁ」
「そっちにはオレから話を通す。報酬もいいぞ」
「なにするんだ? 腕っぷしは相変わらずだぞ」
身なりも良くなり村で一番の立身出世をした男だ。爺様たちは今でも信じられねえと言っているくらいだ。
「ああ、腕っぷしは要らねえよ。見回りの下っ端だ。年の瀬と正月は交代で休むから人が足りなくてな。命を素直に聞く奴が欲しいんだ」
「それなら構わねえが……」
「近頃じゃ荒事もそんなにねえよ。また真面目に役目を働けば織田の殿様から正月祝いも貰えるかもしれねえぞ」
賦役ももうすぐ終わりだ。年の瀬の数日から年明けの三が日は休みになる。久しぶりに家で休めるなと思ったが、報酬がいいと聞くと断るのは惜しい気がした。
「分かった」
「じゃあ、明日から頼むわ。清洲の警備兵の屯所分かるか? そこに夜明けくらいに来てくれればいい」
報酬は確かに良かった。正月の料理が増えるどころじゃねえ。古着の着物がいくつか買えるほどだ。
「おめえ、立派になったな」
「ははは、偶然だ。若殿の命に従っていただけだ」
忙しいようで実家に顔を出したらすぐに清洲に戻るそうだ。立派な馬もいてお武家様みたいに見える。
見違えるようになったこいつが少し羨ましい。
ただ、立身出世した今でも昔と変わらず村に戻ってくるのが、なんだか嬉しかった。
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