第1560話・雲の上の違い

Side:近衛稙家


 院の勅勘と主上の怒りを賜ったことで、公卿と公家らは驚き戸惑うておる。常ならばありえぬほどのことと受け止めておるようじゃ。


「父上、罷免された者らの処遇。これでいかがでございましょうか」


 倅である関白の見せた書状に少し悩む。尾張で騒動を起こした極﨟は出家させて寺社に入れる。二度と巷に出られぬようにすると、一族と連なる公卿が明言しておるか。


 他の者は家督を息子や血縁の者に継がせて隠居。かの者らは極﨟ごくろうを止めなんだ罪があるが、率先して織田と争おうとした様子もない。責めを負うという姿勢は示したと言えような。


「まあ、よいのではないか。それで尾張が納得するわけではないがな」


「なんと、まだ足りぬと仰せでございますか?」


 関白も今ひとつ分かっておらぬな。言葉を選ばぬのならば、最早、尾張にとって朝廷なぞ厄介者ぞ。大陸では力を失いし皇帝はすべてを失い王朝が滅ぶこともあるという。朝廷とて他人事ではないのじゃがの。


「武士ならば腹を切るところじゃ。甘いと言われような。さらに詫びをしたくても出すものがない。官位ももう十分と言われておる」


 主上のご機嫌は未だ芳しくない。尾張と比べて羨み妬むばかりで働かぬ公家を疎みだしておる。野山を駆ける暇があるならば、銭を稼ぐか内野でも耕しておればよい。左様に考えておられるのではあるまいか?


 尾張では武士のみにあらず。坊主も商人も民もよう働く。主上はそれを自らご覧になられたことが根底にあろう。


「少し驕っておるのではありませぬか?」


「左様な言葉、二度と口にするでない! そなたは関白ぞ。尾張と戦をする気か!?」


 まあ、戦になどならぬがの。吾らが兵を挙げるなど、今の世では出来ることではない。いずこかの勢力を巻き込めば争えようが、その先にあるのは面目ある和睦や変わらぬ朝廷ではないのだ。


「なにがあろうとも朝廷が乱を望んではならぬ。力ある者。日ノ本を統べる者と上手く付き合うしかないのじゃ。朝廷が乱を起こして、上手くいったためしがないことくらい承知であろう」


 己で戦場に出る武士相手に覚悟もない公卿や公家では、対峙することも出来ぬ。いずこかの者をそそのかして戦をしたとて、その者が次の世を動かすだけ。在りし日に戻ることはない。それだけははっきりと分かる。


「父上……」


「よいか。公卿や公家は尾張と争えば朝廷は割れるぞ。帝と院が吾らと決別して尾張に味方したらいかがなる? 寺社も武士も争い、血を流して穢れ堕落する。吾らが同じ過ちを犯せば朝廷は滅ぶと知れ」


 吾も若くはない。倅にはよう言い聞かせておかねばならぬな。


 困ったものよ。




Side:山科言継


 広橋公は戻ってこられぬようじゃの。それだけ主上のお怒りは収まらぬか。院の御耳にも入れておるが、諭すおつもりはない様子。主上と違い吾に怒りをお見せになることはないが、内心は同じと見るべきであろうな。


 新しき者たちと共に世の安寧を選ぶか、世を乱す元凶ともなる古き世から続く臣下である公卿や公家を選ぶか。清廉を旨とする院はもしかすると、昔から吾らよりも世の安寧を願っておられたのやもしれぬ。


「ワン!」


「そなたは寒うないのか?」


 この日、内匠頭が愛犬を連れて院の下に参った。かねてより望んでおられたが、これまた蔵人らが異を唱えておったようで、『院の御身になにかあらば、主もろとも責めを負わせる』と織田に命じたことで、内匠頭が拒んでおったとのことじゃ。


 此度は責めを負わせることはないと吾が誓紙を交わしたことで、ようやく内匠頭も承諾してくれた。あの愛犬は名をロボとブランカと言うたか。常ならば赤子や幼子らの相手をしておるのだ。都の薄汚い野犬とは違う。なんの懸念などもあるまい。


 まったく、愚か者が。


「犬は冬には毛が増えて、夏には抜けて減ります。なので冬もあまり寒くないようでございます。まあ、それでも暖かい部屋が好きですが」


 院は犬どころではない。馬ですら触られたことがないのだ。穢れを避けて朝廷のためと古くから伝わっておるが……。


「ああ、生きておるのだな。なんと温かい」


 思えば馬に乗る時に触れるくらいは吾らでもあること。犬はわざわざ触れようとは思わぬが、大騒ぎするほどのことではないの。


 無論、病に罹る懸念がまったくないわけではないが、歴代の帝が穢れを避けて祈りの日々を過ごしたとて、必ずしも長生きしておられるわけでもない。坊主に問えば信心が足りぬとでも言うのであろうか?


 神仏と寺社や坊主は別物とは尾張で聞く言葉じゃ。それが事実なのかもしれぬ。


 穢れにしても同じじゃ。久遠では穢れの扱いを考え、常に新しき知恵として昇華させておる。古き知恵がすべて正しく、新しき知恵が間違いとは言えぬからの。


 高徳な僧の教えに異を唱えることの出来ぬ日ノ本の学問と違い、久遠の学問は内匠頭以下、皆で考えて古きも新しきもないのじゃ。丹波卿など教えを受けたいが、対価がないと嘆いておったほどよ。


 吾らは祖先の残した家と名のお蔭で生きておる。されど、残したのはいいことばかりではないと見える。祖先の残した業を背負い、子の代に伝えねばならぬ。なんとも愚かしいことをしておるのやもしれぬな。




Side:久遠一馬


 ずっと断っていたロボ一家の上皇陛下への顔合わせをしている。ロボ一家を会わせるのオレはあまり気が進まなかったんだよね。上皇陛下が後で気分が優れないとでも言えば、蔵人たちはロボとブランカを殺せと言い出しかねなかったし。


 実際、そこらにいる野犬は狂犬病があったりするので会わせるべきではないだろう。ただ、上皇陛下の要望に対して、こちらに不当とも思えるほど圧力をかけて阻止しようとしたやり方が気に入らなかった。


 上皇陛下にはやんわりと諫めつつ、オレが拒んだから無理だと報告していたくらいだ。公家という者たちはそういう責任逃れは上手い。


 正直、会わせないと困ることでもなかったからな。


 ただね。上皇陛下は孤独なんだろうとは思う。側近たちが周囲を固めて他者を寄せ付けない体制を作っていたからな。


 織田家では今では、上皇陛下に自ら会いたいという人はほとんどいなくなった。官位が欲しい人はいるようだけど、拝謁しても僅かばかりの名誉が得られるだけで官位がもらえるわけではない。さらに仕来りやら穢れやらと蔵人たちが騒いだ影響で、腫れ物を触るように話題にも出さない人が大勢だ。


 万一関わって失態でもあったら責任問題になる。なので清洲城で宴とかしても上皇陛下にお声がけする人なんていないんだよね。仕方ないけど、あまりに人を寄せ付けないのは問題じゃないかと思うようになった。


 今回は山科さんに頼み込まれて、ロボとブランカを連れてきた。子供や孫もいるけど、やはり一番落ち着いて人に馴れているのはロボとブランカなんだよね。みんな、人を噛むなんてしないけど。


 ロボとブランカの温もりを感じ、動く様子を飽きることなくご覧になられている。元の世界の感覚だとアニマルセラピーとかあるし、これくらいでも精神的にはいい効果があるかもしれない。


 少し寒いけど、暖かくして城内の庭をロボとブランカと散歩でもしていただくか。散歩もまた楽しいんだよね。犬がどう動いてなにを見ているかとか注目しているとさ。




◆◆

 永禄元年、十二月中旬。後奈良上皇が久遠家の愛犬である、ロボとブランカという二匹と会ったことが山科言継の『言継卿記』に記されている。


 御幸中の後奈良上皇が清洲城で飼われていたロボとブランカの子たちを見かけたことで、近くで見たいと望まれたのが理由だとある。ただし、この年の先月に解任された蔵人が諫めていたことで実現していなかったものになる。


 蔵人は穢れを理由に、『院の御身になにかあらば、主もろとも責めを負わせる』と織田家側に命じたことで、愛犬を家族のように大切にしていた久遠一馬も拒んでいたとされる。


 この時は言継が自ら、責めはすべて自分が負うと誓紙を交わしたことで、ようやく会う運びとなったようだ。


 後奈良上皇は大層喜ばれたようで、時を忘れてロボとブランカの相手をしていたとある。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る