第1557話・未知との遭遇
Side:蠣崎季広
若い。二十代半ばと聞いておったが、二十歳くらいと言われても驚かぬ。威厳が足りぬと言えばそうかもしれぬ。
あの黒い船を持つ主とは思えぬ男よ。拝謁する場も関わりがあるか。己の力を見せつけるようなものはない。
畳は敷かれておるが、あとは質素な造りの屋敷だ。当人も上物と思われる着物を着ておるが、至ってよくある程度の着流しでしかない。
「遠路はるばるよくおいでくださいました。久遠一馬です。当家は通称など用いぬ仕来り故にお好きにお呼びください」
穏やかなお人だと聞き及んでおる。同時に目下の者を軽く扱う者を嫌うとも聞いたがな。東の果てでも知る堺の町を相手に絶縁したとは思えぬわ。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする」
誰が先に挨拶するか。それも決めておる。わしは安東殿に譲っても良かったのだがな。降った順に挨拶することになった。安東殿は旧主故、いかに付き合うか困ることもあるが、今のところ向こうも争う気はないらしく懸念はない。
お方様からも釘を刺されておるからな。いい大人なのだから恨みつらみは表に出すなと。
「臣従ですが、織田の大殿が直臣に取り立ててくださるそうです。今年は駿河の今川家や甲斐の武田家など、新たに臣従した者も多いのですけど、皆様で最後ですね」
今のは聞き違いではあるまいな。
「申し訳ございませぬ。駿河の今川と言えば、斯波家と因縁浅からぬはずでは……」
余計なことと知りつつ聞き流せなんだ。
「ええ、そうですね。縁あって大殿に臣従をしております。斯波の御屋形様は、私どもは御屋形様の命により守護様とお呼びしておりますが、織田の大殿以外の家臣を持たぬこととしておられるので、皆、織田の大殿に臣従をしているのですよ。他にも信濃の小笠原家や飛騨の姉小路家なども同じです」
領地が増えておるとは聞き及んでおったが、まさか駿河や甲斐が降っておるのか!? わしも左様な話は聞いておらぬぞ。
「あれ、季代子。教えてなかったの?」
「私が教えても信じられないかと思ったのよ。あと直接関わりがないことだったから言う機会もなかったわ」
お方様らは存じておったのか。確かににわかには信じられぬ話だ。今でもまことかと思う。
「じゃあ、日を改めていろいろと知っていただこうか。あと大殿と守護様への目通りは明後日になります。今日と明日はお休みください。ああ、お暇でしたら町を案内も致します。いろいろと面白いものがありますよ」
共に臣従をする者らと顔を見合わせる。こちらが思うておった様子とまるで違う。鄙者と軽んじて戦もろくに出来ぬ愚か者と思われるかと案じておったのだが。
「殿、今宵はささやかですが宴を開き、皆様を歓迎いたしましょう」
「そうだね。長旅だというのに元気そうだし、そうするか」
控えておった金色の髪をした女が宴をと言うてくだされた。この者が大智の方様か。下魚を上魚へと変えてしまい、先帝である今の院を驚かせたという話は遥か蝦夷にまで知れ渡っておる。
南蛮人とはまことにかような者らなのだな。
だが、ささやかというのは、いかほどささやかなのであろうな。昨日の夕餉と今朝の朝餉も、己の力を見せつけんとしておるのかと思うほどの膳だったのだが。
「奥羽の皆様は蝦夷の産物は珍しくないだろうしなぁ。ウチの料理にするか?」
「それがそうでもないのよね。商品としてあるけど、そこまで日頃から食べているわけじゃないわ。売り物だもの」
「尾張のほうがご飯はおいしい」
「鰻のかば焼きとかなら知っているわよ。あっちでも有名なのよね。皆も一度は食べてみたいというほどよ」
お方様らもまた、今まで見たこともないような嬉しげな顔で談笑されておる。内匠頭様の妻というのは事実であったな。妻が多いと聞くが仲は悪うないらしい。
こうして見ておると、久遠家もまた日ノ本の武士とあまり変わらぬと安堵するわ。
Side:安東愛季
守護家である今川と武田が守護代家である織田に臣従しただと? いったいこの地はなにが起きておるのだ。大きな戦でもあったのかと久遠家の者に問うてみるも、左様な戦はなかったという。
日が暮れる頃、歓迎の宴を開いてくれるというので出ると、見たこともない女どもと家臣らが迎えてくれた。
驚くことは多くある。料理が膳ではなく食卓という台の上に並んでおったこと、奥羽では久遠家が来るまで僅かしか流れてこなんだ、金色酒を筆頭に見知らぬ酒が幾つもあったこと。
なにより料理もよう分からぬものばかりだ。ああ、かろうじて食材は分かるものがあるな。
「ほう、これは豆腐か? なんという味だ」
周囲の者が箸を付けるとその様子を見てしまう。豆腐は存じておるが、賽の目程度に切られた豆腐となにかが混ざったものだ。
「それは炒め物ですよ。大陸ではよくある技法の料理ですね。鶏の卵やきくらげなどと一緒に炒めたのです」
なんとも言い表せぬ味だ。決して口に合わぬわけではないが、初めて故に例えようもない。
きくらげか。きのこの一種か? 食うたことがないが、こりこりとした程よい食感が悪うない。鶏の卵は幾度か薬として食うたことがあるが、こちらもまたかように美味いものだったとは。
「大陸由縁の料理とは。これは珍しきものでございますなぁ」
皆、争う気はないようだ。内匠頭様やお方様がたの機嫌を窺いつつ喜んでおる。意地を張るのは無理がある相手。僅かばかりの面目を立ててもらったのだ。満足しておるのがよう分かる。
「ああ、酒もお好きな方は遠慮なさらずに」
「……梅酒がある」
「一度、蝦夷にも届いたが、あまりに高くて買えなんだものだ」
梅酒? ああ、梅で酒を造ったのか。幾人かの蝦夷倭人衆の者が知っておるようで驚いておる。いかほどの値なのか気になったのか内匠頭様に問うと、その値に静まり返るほど高値だ。
「これ原料が高いんですよね。まあ、当家は造っているのでたくさんあります。せっかくのご縁ですから飲んでみてください」
新参者が飲める値ではない。誰もが梅酒を避けようとしたが、それを察した内匠頭様が命じて家臣が皆に梅酒を配り始めた。
なんという酒だ。梅の味がする。甘く酒精も強いか? 混じり物のない金色酒も美味いが、これもまた別格の酒だ。
濁酒が泥水のようにといえば言い過ぎであろうが、そうとも思えるほどの差がある。同じ酒とは思えぬ。
あまり己の力を示したい様子ではないが、軽んじられるのも好まぬと見るべきか? もとより蝦夷を制したのだ。日ノ本の外にある国の王であろう。軽んじるのは愚か者のすることだが。
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