第1554話・武田親子の冬
Side:久遠一馬
上皇陛下と会食をしていると住む世界が違うんだなと実感する。籠の中の鳥。まさにその言葉が適切ではと思えるところもある。不敬だろうけどね。
「穢れがそれほど難しいとは思わなんだ」
山科さんから穢れについて報告を受けたようで、そのことが今日の話題になっている。
学問としての考え方や、穢れが部分的に判明していても、まだよく分からないところがあるという事実などは、ご理解はしてくださったようだ。
「久遠は学問すら違うか。先達に倣うばかりでないとは」
「学問というのは、その時々に合わせて新しくしていくべきだと私たちは考えております」
「日ノ本は古くから大陸に倣うておるが、大陸では己で知恵を見つけて分からぬことを解き明かしておるということか」
正直、この時代ではそこまで諸外国と比べて遅れているとも言えないんだけどね。外洋船のように必要としていないところは遅れているところもあるけど。
上皇陛下は穢れの原因よりも、学問の在り方に興味を持たれている。知識や伝統の継承を目的にする学問と、未知を解き明かす学問は微妙に違うからなぁ。
朝廷として権威を維持するためには前者が必要で、後者はそこまで必要でなかったという感じに思える。前者は前例を変える必要があまりなく、後者は前例を変える必要がある。
『必要は発明の母』なんて言葉が元の世界にあったけど、必要に迫られるほど世俗との関わりがなかったのかもしれない。その辺りは実際に土地を治めている寺社のほうが担っているんだろうな。
「蔵人の一件、早う動くべきであった」
学問についてお答えしていると、上皇陛下は後悔とも思える一言を呟かれた。
あの一件も紙一重なんだよね。そこまで悪いとも言えない。朝廷として畿内の外とこれほど密接に関わることはあまりないのだろう。そういう意味では朝廷も尾張も経験不足と思える。
畿内では互いに破滅的な対立は避けつつ上手く相手を利用してきたようだしね。今回のような事態になる前にもう少し上手くやるのだろう。
まあ、織田家の皆さんが、畿内の名門武士より理性的で大人しくなりつつあるということも関係ありそうだけど。下剋上とか謀叛ですら尾張だとすでにないからなぁ。
細川京兆家とかと比べると大きく配慮をしていたことで、蔵人たちは御しやすいと思った気もする。やはり調子に乗るなら潰すぞ、と示すくらいで良かったのかもしれない。結果論だけどね。
「致し方ないことかと存じまする」
オレたちが返答しにくい呟きに、すかさず山科さんがフォローするかのように答えた。正直、蔵人のことはこちらとしてはなんとも言えないことだ。
山科さんともそのあたりは話をしたけど、変えることは難しい。その一言に尽きるんだろう。必要に迫られないうちに変えることは難しいからね。
結局、朝廷というのは権威の維持で精いっぱいだったということかもしれない。
Side:北畠具教
「初めから従うておれば良かったものを」
宇治と山田から逃げた商人らが、詫びを入れてきて戻りたいと嘆願しておる。今更なにを言うかと思うところもあるが、かの者らには抜け荷の件もあって話を聞かねばならぬところもある。
「随分と好き勝手に抜け荷をしておりましたな」
「ああ」
一族の助命と引き換えに抜け荷の詳細を聞き出すように命じたが、その報告にただただ唖然とするしかない。神宮と北畠の名で織田との商いを遇されておったにもかかわらず、織田の敵やら絶縁した堺に多くの品を横流ししておった。
もっとも尾張からの知らせで、すでに織田では抜け荷の詳細を掴んでおったというのだからさらに驚きだ。
「春よ。まことに磔にせずともよいのか?」
北畠としても店の主くらいは磔にしたいところだが、それ以上に織田がかような者を許してよいのか分からぬ。わしや父上に配慮したのならば然様な配慮は要らぬと言えるほどだ。
「織田としては不要ね。磔にしても一文も戻ってこないわ。ならば不当に得た利を賠償をさせたほうがいいわ。無論、北畠が見せしめとして磔にしたいというなら構わないけど」
尾張からは、すでに助命のうえで店の主を出家させて、残りの一族に賠償させることでどうかという打診があり、わしもそれでよいと返事をした。ただ、あまりに無法な商いの数々にそれでよいのかという迷いが生じておる。
「寺社と商人か。捨て置けぬわけだ」
神宮もまるで関わりのないことのように振る舞っておるが、元を正せば神宮の門前町ではないか。敵味方もなく己らの利のためにこちらを売るような動きを平然とする。一馬は寺社に厳しいとよく聞かれるが、むしろ寺社に甘いとすら思えるわ。
なにが神仏だ。奴らの動きには神仏への祈りも教えもなにもない。強欲なだけではないか。
「使っていくしかないわ。無理に潰す時が惜しいもの。惜しむべきは人と時だと私たちは思っているわ」
時か。確かにな。我らは今のうちに日ノ本を平らげる必要があるのだ。二度と勝手なことを出来ぬようにするだけで済ませるしかないか。
尾張におわす院の蔵人の件はここ霧山にも聞こえておる。あれとて決して他人事ではない。愚かな家臣のせいで無駄に敵を作り御家を窮地に追いやるなどあってはならぬのだ。
やるべきことはまだまだ多い。
Side:武田晴信
雪が積もらぬ地というのはなんと良いものか。冬でも畑では作物を植えられ、民が国のために働いておる。
もとより豊かな地だ。されどそれ以上に領内を整え暮らしが良うなるようにと励んでもおるのだ。戦で勝ってこの地を得ればなどと考えても、この地を治める人も知恵もなければ、すべては消え失せてしまう。
遥か西国の周防では同じように考えたのか、陶隆房という逆臣が大内家に謀叛を起こして国を乗っ取ったが、大内家の治世を継承出来なんだことで、今では見る影もないほど寂びれてしまい、安芸国人である毛利とやらに討たれた。
尾張に来て半年となろうか。この地に来て織田の治世を学び、いくつものことを知った。
織田は戦で領国を広げることよりも、今ある領内を整え富ませることを重んじておる。南蛮船と久遠という他国にはない強みはあるが、それに慢心せずに領国を変えておるのだ。
甲斐・信濃・駿河・遠江。この一年余りで織田が従えた国だが、本音ではあまり喜んでおらんというのも少し前に知った。
公方様の下で天下を平定するという思惑も無きにしも非ずといったところのようだが、今はそれよりも領国を整えることが先らしい。
「この地は酒と飯が美味いの」
父上とは尾張の地で和解した。わしにも思うところはあろうが、すべて飲み込んでくださったのだ。時折、こうして共に酒を飲むことがある。
今も今川家の客将という立場は変わっておらぬ。されど、駿河遠江ばかりか甲斐に関わる役目でも働いておる。
誰ぞが求めたというよりは、父上から申し出て役目をこなしておるのだとか。『国を捨てるのはわしが先達。恥すらとうの昔に経験しておるわ』と申されて、武田家先代当主としての立場もあり織田からも禄をいただいている。
戦をするわけでもなく兵を集めるわけでもない。禄は体裁を整える以外は好きに使える。尾張では酒や飯が美味いばかりか、甲斐とは比べ物にならぬほど安く揃っておる。
左様な暮らしにご機嫌も良いらしい。
因縁も卑怯者という謗りも消えておらぬ。とはいえ誰も騒ぎを起こしたいとは思わぬ。これぞ人が人を治めるということであろう。
器が違う。将として武士として、人としてな。
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