第1553話・師走の三河
Side:久遠一馬
師走。商人はツケの回収などで忙しい。織田領で言えば領国による生活必需品の価格差などに関しては皆無と言えないものの、全体としてなんとか飢えずに食べられるようにしてある。
出来れば餅とお酒を正月くらいは食べられるようにしたいけど、甲斐信濃辺りではそれも難しい。
「さすがだね」
この日は鍛冶屋清兵衛さんが来ている。この一年で製造した農具などの報告などもあってね。結果から言うと、領内では武具の製造を減らして農具や土木道具などを製造してくれた。これは工業村の内外問わず頑張ってくれたんだ。
「武具が思ったほど売れぬという事情もございます。領内は織田家で一括して武具を求めておりますので。また領外へ武具を売るのもお許しがないと領内から追放となるのも効いておるかと」
武具はなぁ。ウチの鉄砲は相変わらず織田家以外には売っていない。尾張製の鉄砲は北畠や北条には少し売っているけどね。六角は領内に国友村もあり、そちらから買っているようだ。あと刀剣なども同様だ。敵対していたり朝倉のように友好関係がないところには武具を一切売っていない。
無論、領内の武士や村には販売を許している。自衛の武器はまだまだ必要だし、鳥獣の被害もある。ただ、これも小競り合いを禁止して以降、需要は減っている。
極め付きは横流しをしていた宇治山田が大人しくなったこともあって、それ以降は密売ルートがほとんど機能しなくなり需要がさらに落ちた。
その結果、織田家が一定の品質のものはすべて買い上げている農具や土木道具にシフトした職人が多かった。
品質にばらつきがあると報告も上がっているものの、現時点では農具や土木道具の品質統一は工業村の外は時期尚早だろう。
「職人組合もまあまあ上手くいっているみたいだね」
「はっ、職人の要望や愚痴を聞くというのならば悪うないかと。されど『規格統一』は難しゅうございます」
この件は今年から組織を構築した職人組合が機能し始めた。工業村を中心にギーゼラや鏡花がまとめて古参の職人を中心に加わった。もっとも清兵衛さんが言うように、抜きんでた概念と技術を持つ工業村と比べると問題はいろいろとある。
「あれは当分無理だよ。正直、船大工と工業村が統一したのが早過ぎたんだ。オレも驚いたくらいだ」
『規格統一』この時代だと造語、いわゆる久遠語という扱いだ。度量の統一まではしたものの曲がりなりにも規格統一までしているのは、工業村と船大工だけだ。
度量、物差しひとつとっても自分に馴染む古いものを使っている人は多くいて、公儀以外では完全統一とは言えない。ましてみんなで同じ部品を作ろうと考えることすら、工業村と船大工以外してないからね。無理もない。
「そう言うていただけると皆で励んだ甲斐がありまする」
「まあ、己の技を磨いて天下に通じる名品を生み出すというのも分かる。それはそれでいいんだよ。ただ、農具や細々とした部品は同じほうがいいからね」
すでに工業村の高炉で造った鉄は、すべて工業村内の反射炉で精錬出来ている。そんな鉄も尾張の主要商品だ。こちらは武具より規制を弱めている。願証寺を通じて石山本願寺や大和柳生家を通じて大和興福寺にも売っているくらいだ。
職人衆はなるべく製品にしたいと今も頑張っているものの、日ノ本の年間需要の半分にもなる鉄をすべて加工するのは容易ではない。
まあ、貿易不均衡もあるし、正直あまり売りたくないんだけどね。とはいっても鉄は貴重で武器以外にも様々な使い道がある。欲しいと頼まれると断りにくいのが本音だ。
「引き続きお願いね。ああ、くれぐれも無理はしないように」
「はっ、畏まりました」
工業村はあまり口を出すことがない。こちらからある程度の知識を与えてものづくりを頼むと、自分たちで考えて進歩しているからだ。
清兵衛さんあたりは職人組合のことも頑張ってくれているので、むしろきちんと休むことを命じるくらいだ。
頼もしいんだけどね。心配になるよ。
Side:松平広忠
駿河・遠江・甲斐・信濃と隣接する国がすべて御家の所領となったことで、三河は敵となる者がおらぬ国となった。
少し前には北信濃で小競り合いから戦になると三河から後詰めを出したが、戦わずして収めたようでそのまま戻ったほどよ。
三河におる名立たる名門も、西条吉良家の御家断絶があったからか騒ぐ者などおらぬ。かく言うわしも父上が三河の半ばを制したことなど遠い昔のこととすでに思う程度。皆も同じ心境なのであろう。
無論、かつてを懐かしむ者もおる。されど、織田では謀叛も起こせぬと愚痴が聞かれるくらいだ。仮に起こしたとて一槍も交えずに討たれるだけだからな。
武官や文官となり、織田の分国法の下で働く。国人衆はかつての所領の代官となった者も多いが、勝手な命を下し、必要ない税を取るなどすれば重い罰を受ける。実際にそれで腹を切った者もおるのだ。
長らく守護が不在であった三河だ。人に仕えるということに素直に慣れぬ者も少なくなかったからな。
ただ、暮らしは良うなった。織田は政には厳しいが、働く者には禄を惜しまぬ。また、禄の中ならば、贅沢をしようが一切お叱りを受けることなどない。
ああ、家中のことで清洲の大殿からお叱りを受けた者は、次男三男などが父親以上の禄を貰うようになったことで、勝手に禄を召し上げた者に止めろと叱咤されたくらいであろう。
当主や本家に多少の禄を納めるくらいならば口を出さぬようだが、限度というものがあるということだ。
松平家も変わった。主立った松平分家はすべてわしの家臣とされた。大殿が国人の直臣を望まれなんだ結果だ。さらに曖昧な臣従をしておった家臣らを幾人も放逐した。
わしよりも安祥の三河介様に仕えたいと願った者もおったのだ。もとより風が吹けば家臣だと言うて、雨が降れば同盟だと口にするような者だ。おらずともよいと止めなんだわ。
謀叛や暗殺など嫌気が差したということもある。信じられぬ家臣など要らぬとすら思うた。
もっとも三河介様からも要らぬと言われ帰農した者もそれなりにおるがな。
皮肉なことかもしれぬが、近頃では尾張や美濃でも要らぬ家臣を放逐することがようある。領地を治めることをせぬうえ、己で兵を集めて戦もせぬのだ。土地を治めるために従えた家臣など、土地がなくなれば要らぬということであろう。
「殿、尾張より文が届いております」
今の松平家は楽になったな。家臣を疑う必要などなくなり、わしに仕えたいと残ってくれた者らだ。皆で悩み、皆で笑う。左様な日々がなによりも心地よい。
「竹千代からだ」
学校の文化祭では院の御前にて蹴鞠や武芸を披露したと書かれておる。竹千代はかつての三河をほとんど覚えておるまいな。新しき織田の国こそ竹千代の故郷となるのだ。
もう少しだ。わしも年の瀬には尾張にゆく。心許せる者らと共に穏やかな年越しを迎えられるのだ。それがなにより嬉しい。
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