第1552話・天の怒り
Side:久遠一馬
寒天培地の影響は大きいようだけど、むしろ学問に関しての基本スタンスのほうが山科さんと丹波さんには衝撃だったらしい。
元の世界でもあったことだけど、学問に権威とか持たせると変えることや前例を否定するのが難しくなる場合がある。権威が悪いとは言わないけど、学問とは常に新しい謎に挑み知識を更新していくべきものだと思う。
先人の知識は歴史的な積み重ねのひとつであり、資料としても必要なものだ。とはいえそれを神聖視してはいけない。
この考え方を久遠家の学問の奥義と受け取ったことには驚いたけど。ああ、あとはちらりと対価の話になった。対価については蔵人の一件の説明ということで不要としておいた。
薄々感づいているようだけど、現時点で求めるものはない。
「あと微生物学。学校で本格的に始めるか? 秘匿する意味も薄れてきているし」
「いいかもしれませんね。ただ、アーシャは手いっぱいですよ」
うーん。学問の基礎を構築するの結構大変で気苦労も多いんだよね。誰か専従で来てもらうか。基礎的なことだから専門家じゃなくてもいいんだよね。まあ、そのあたりはエルに調整してもらおう。
学校はギーゼラやエリザベートとか、他のみんなも得意なことを教えていて、公開してもいいレベルで授業と人材育成はしている。ただ、みんな忙しいからなぁ。
「やっぱり雪がネックになるなぁ」
休憩をして戻ると、飛騨からの報告が届いた。白山噴火の影響は今も続いている。火山灰は減少傾向にあるものの、該当地域における来年の農作業は微妙だ。それと検地と人口調査も大部分では済んで開発に移行しているものの、もともと山間の土地なだけに開発の余地はあるけど街道整備や山林の保護などを考えるといろいろと大変だ。
とりあえず、無計画に伐採したはげ山を中心に植林をしていく必要がある。これ知多半島の領民から指導に送る人を選ぶ必要があるなぁ。あそこ尾張では植林先進地域だ。この時代のやり方で出来る範囲で頑張っている。
あとは街道整備と治水。それが現時点の優先事項だろう。領土防衛も考慮しているけど、小競り合い以上の争いに発展する兆しはない。飛騨は山国で旨味も少ないからね。
「現状で十分かと」
「下呂温泉あったよね。あそこなら有名だし雪が解けたら開発をしてもいいかな」
「ええ、尾張や美濃から旅人が訪れると思います」
飛騨と言えば元の世界でも有名な下呂温泉がある。あそこは室町時代でも有名なところでこの時代でも諸国に知られているだろう。エルと相談して飛騨の開発候補としてリストアップしておく。
鉱山関連もプロイから報告が上がっているんだけどなぁ。地域の開発バランスを考えると街道整備が先だ。
東美濃と北美濃を含めて、あちらは街道整備も万全と言えないからなぁ。下呂温泉の整備と共に街道整備もしていこう。
人の移動による経済的な利益はすでに織田家中でも知られつつある。津島と熱田などは花火大会の町としても有名で、近年では花火がない年でも両方の町に行って津島神社と熱田神社にお参りするというのが定番だ。
一泊してちょっと贅沢な食事をしてお土産を買う。時代は違えど旅行者ともなると財布の紐も緩むんだよね。
あと飛騨にも産業をいくらか移す必要があるだろう。美濃に早々に移したわら半紙は、美濃紙と同様に美濃の主要産業として成長している。当初は異論もあったものの、領地の拡大と尾張の産業が次々と育っている現状では、あの判断は良かったとみんなが認めてくれている。
産業を興すのはいいけど、尾張一国であらゆる産業の需要を賄うのはまず無理があるからね。
Side:広橋国光
内裏がいつもと違う静けさだ。帰京した故、内裏に上がり一連のことを主上のお耳に入れたのだが、いささかご機嫌を損ねてしまったらしい。
「院の御内意が軽んじられるとは。蔵人というのは随分と高貴な身なのだな。それとも公卿や公家が高貴な身か? さらに院が困りておられたというのに知らぬは朕ひとりか」
なにより譲位してまで尾張に御幸なされた院の御内意が軽んじられたことで、解任された蔵人らは主上の勅勘をも賜ってしまった。
居並ぶ公卿らも少し居心地が悪そうだ。公卿に責はない。いや、この件をここまでお耳に入れなんだことも御不満のご様子。そう考えるならば責はあるか。
「朕の知らぬ間に決めて動くというならば勝手にするがいい」
そのまま主上は吾らの申し開きを聞く間もなく下がられてしまった。
「広橋公。ご苦労であられたな。なにはともあれ、ようまとめられた」
重苦しいまま口を開いたのは近衛公だ。
「前極﨟殿か。確かに褒められた男ではなかったな。されど、今の尾張を敵に回さんとするとは……」
あの男は吾ら公卿であっても院の御威光をもって、あまり配慮をせぬ男であったな。武士や寺社にこびへつらうような公卿や公家を蔑視しておった。とはいえ蔵人と公卿が内々に争うのは珍しゅうない。まさか武士相手にも同じことをするとは皆も思わなんだのであろうが。
尾張という他国が羨む太平の国がある。院や主上はそこを直にご照覧なられたことで、吾らや都の者らに対して厳しき目を向けるようになられた。
誰のための朝廷であるのか。院も左様な疑念を抱かれておられた様子。主上もまた同じなのやもしれぬ。
今までは武士が無法者として勝手をする故に、吾ら公卿と朝廷は曲がりなりにもひとつとしてまとまっておった。ところが武士のほうが御正道と思わしき政を始めると、次は吾らが問われる番となった。
院や主上は朝廷と日ノ本の頂に御座(おわ)すお方。それ故に周囲にて仕える者のことより広い先を見て決めてしまう。
武士より愚かで無法者と言える公家など要らぬ。左様なお言葉がなかっただけ配慮をされたのだろう。
「主上には改めてご機嫌を直していただくしかあるまい。ともあれ処罰は先にせねばならぬな」
此度の主犯と言える極﨟殿には厳しき沙汰が要る。院も主上も尾張も、此度のことで不満が募っておるからな。
かの者と繋がる公卿はいささか顔色が悪いが。致し方あるまい。
残りの蔵人は事情を聴き、恩赦も考えてやらねばならぬが。その前に主上のお怒りを鎮めねばならぬか。
あとは関白に任せよう。近衛公も尾張との関わりを重視しておる。倅の関白と共にお怒りを鎮めるように努めよう。
困ったことは尾張にすぐにでも戻らねばならぬのだが、主上のお怒りが収まらねば許しをいただくことが出来ぬことか。年の瀬もある。山科卿ひとりでは大変なのだが。
はてさて、いかがすればよいのやら。
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