第1551話・師走に入って
Side:山科言継
なんということじゃろうか。
「これは『微生物』に属する『菌類』と呼称し、生きていると私たちは仮定しています。ひとつだけ言えるのはこれらは穢れとなる人に害をなすものと、人の助けとなるものもあるということ。今はどれがそれか分からないものが多くございます」
穢れじゃと目を背けたくなるが、天竺殿の話では左様な安易なものではなかった。
「助けとは?」
「味噌を作る際に用いる『麹』や『納豆』も同じく微生物で作られると考えています。寺社あたりは漠然とした積み重ねで承知のことかもしれないわね」
丹波卿がさらに問うものの、さすがに唖然としておる。味噌を造る際に必要な麹が穢れと同じ目に見えぬような生き物じゃとは。
「正直、学問とは解明していても分からないことが増えます。目に見えぬ生き物が穢れとして人に害を与えもすれば、人の助けとして味噌などを造ることもある。左様にお心得ください」
穢れのすべてが鬼や祟りではないということか。少なくとも穢れとして吾らが恐れ避けてきたものの中に、微生物とやらがいると。左様に受け止めれば間違いはあるまい。
「目に見えぬとは厄介な」
そういえば平手殿が眼鏡という、硝子で出来た珍しき品を愛用しておるな。あれは良く見えるようになると聞き及んだことがある。久遠では目に見えぬものを見ることも考えておるということか。
厳密には違うが、古き世から続く穢れとそれを払うために身を清める。このこととも大きな違いはない。吾らの祖先はそれを大陸から学び穢れとして残したということか? それとも自ら見つけたのか?
いずれにしても祖先は偉大だったということか。
「ひとつ気を付けていただきたいことは、こちらの研究では、穢れを清め過ぎるのも良くないかもしれないと考えていることでございます」
「なんと!? それはいかなる訳かお教え願いたい」
「当家では地の果てとも思えるほど遠方の地からも、様々な生き物や草木を得てそれを育ててみることをしております。ひとつ言えるのは、生まれ育った地と大きくかけ離れた場所では生きていけないことが多いということ。暑い土地で生まれたものは暑い土地が必要で、寒い土地で生まれたものは寒い土地が要る。穢れとはなんなのか。
これが久遠の学問の奥義か。あらゆることを考え、今ある慣例や正しいと思わしきことが間違うておることも考えておくということ。
「それを確かめる術は今のところないか」
「穢れを払い続けた者が明確に病に罹らず長生きすると、確かな形で示せればいいのだけど。それもひとりやふたりでは無理でございますわ。数万……いえ数千でもいい。多くの者で試す必要がある。長い年月をかけて。今のところ当家にもそこまでやっている余裕はありません」
なるほど。歴代の帝が他の者と比べて病に罹らず長生きしておったというならいいが。それが危ういとなると……。
「明確に分かるまで、すべてを否定も肯定もしてはいけない。当家の学問を学ぶ者にお教えしていることでございます。お二方もそれをお心に留めおいてくだされば、私たちとしてはありがたい限りでございます」
難しきことよ。とはいえ考え方として理解は出来る。院にもなんとか結果をお伝えすることが出来ような。
穢れというより久遠の学問の奥義をお教えするほうが先であろうが。
目に見え誰もが納得する形として示さぬうちは、安易に決めつけぬ。穢れとはなんなのか。それを今も学び続けておると言えばご理解いただけよう。
とはいえ、かような教えを対価もなく出させたことは良うないの。内匠頭とは少し話をせねばなるまい。
正直、あまりこちらに望むものがあると思えぬが。借りとして残すことも考えねばならぬか。
Side:久遠一馬
師走だ。子供は風の子なんていう言葉が元の世界にはあったなと思い出す。ウチの子たちとか家臣の子たちも元気だ。屋敷の中でも外でも楽しげに遊んでいる。
ロボとブランカは、まだ部屋にいる幼い子たちとゆっくりしていることが多い。
秋にちなんだ名前にしようとみんなで考えた結果だ。
上皇陛下との会う機会。これに関しては京極さんたちが山科さんと具体的に詰めた。普段通りでいい。上皇陛下のそんな御意向があるという言葉があったようで、まずは昼食と夕食を一度ずつ共にしている。
蔵人がいなくなってどうなのかなと思ったけど、上皇陛下は特にお変わりもないままだった。
ただ、変化があるとするならば、それは知識欲というか好奇心は旺盛なようだとは感じた。こちらの秘伝や知識を直接問わないものの、尾張の暮らしや慣例、ウチの考え方などをお知りになりたいようなんだ。
一例を挙げるとするなら、なぜお昼にご飯を食べるのかというお言葉もあったし、穢れは恐ろしくないのかという問いかけもあったね。
なんというか外界と一切の関わりを持てないお方だったんだなと実感する。武士に関してでさえ、側近や公卿から報告を受けたりする以外は、型通りの挨拶を交わすだけで質疑などすることはまずなかったんだろうと思える。
ただね。正直、上皇陛下に世俗をお教えするのがいいことなのかオレには分からない。そこらは山科さんにも直接伝えてある。伝統は必要だったから残っている。少なくとも現時点では。責任が取れないことはしたくないんだ。
まあ、山科さんからは一切の責めは自分が負うと言ってくれて、そういうのは朝廷で考えることだからとやんわりと教えを受けたけど。責めを負えないからと口を噤まれても困るということだ。
それと蔵人の一件で陰に隠れていたが、山科さんたちが来る少し前に陶隆房が討ち死したとの一報が入っている。
正直、この件は優先順位としてはウチでは高くない。従って忍び衆も最優先で知らせておらず定期連絡として報告が届いた。陶が大きくなろうが滅ぼうが尾張にはあまり関係がないからね。経済的な影響が大きいならすぐ知らせるんだろうけど。
その後に来た山科さんたちからも同様の話を聞いたけど、尾張だと『ああ、そうか』と言う程度だ。隆光さんも特に動きはない。大内家は終わった。そういうことだろう。
義隆さんの遺児がまだいたはずなので、生き残って尾張にくれば尾張で大内家再興もあり得るんだろうけど。下手に動くと遺児が危うくなりかねないからな。
毛利は元就が大内家再興の芽は摘むだろう。それがこの時代のやり方だ。悪いのはすべて陶隆房だということにして、自分たちが大内の後継となろうとする。
今の尾張では関わるメリットも余裕もない。元就もまたそこまで信用出来る相手でもないしね。下手をするとこちらは周防や長門から職人や商人を引き抜いているので、恨まれている可能性もあるし。
気になるのは、やはり義隆さんの遺言だ。史実にない遺言がどんどん力を持っているのが少し気になる。
まあ、現状ではそれが良い方向に動いているからいいけど。
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