第1548話・関係改善
Side:院の元蔵人
院に申し開きをすることすら叶わなんだとは。蔵人の役目を解かれた吾らには拝謁することすら許されぬ。これも慣例であったな。
吾は蔵人としてお仕えして日が浅い。故に他の者らとは少し違う。それだけでも申し開きをしたかったのだが。無念だ。
「おのれぇ、おのれぇ」
まるで呪詛でも呟くように、院以外のあらゆる者への恨みを呟くのは
もとを正せばこの者は武士嫌いと言えような。自身と己の一族が苦境にあるのは武士のせいだと言うて憚らず、一族の荘園を奪った者を今でも恨んでおるとか。
尾張から献上された品々を下賜された時も、『鄙者がまた銭で取り入ろうとしておるわ』と罵っておったこともある。
人を妬み恨むことで己の力として役目に励む男。にもかかわらず院にはまるで左様な素振りを見せなんだことは感心したほどよ。
「一族への罰は許されようか」
「吾はいい。されど……」
他の者はすでに己が許されぬことよりも、一族の行く末を案じておられる。確かに今の尾張を思うと吾らは許されぬかもしれぬ。院や主上からして尾張贔屓、さらに他の公卿や公家らも許すまい。
尾張から贈られておる銭と献上品によりようやく暮らしが落ち着いたというのに、かようなことをしでかしては許そうと思う者は少なかろう。
吾も左様な者らと同じ。己のことはいい。ただ、一族が尾張という日の出の勢いがある者と因縁を抱えてしまったことに、済まないとしか言えぬ。
「姉小路卿と京極殿にも謝りたいものだ。許されまいがな」
この数か月、吾らは尾張者の中でも、この両名としか言葉を交わすことはほぼなかった。当初は声を掛けてくれる者もおったが、極﨟殿が難癖とも言える
子が生まれたと聞き及ぶと妻や子に会うなと幾度も同じことを命じ、人が亡くなれば葬儀に出るなと幾度も命じるのだ。それ以外にも武士には関わりのない慣例や都でも形式だけとなっておる慣例を守れと口煩く命じる。正気とは思えぬ時もあった。
姉小路卿と京極殿は役目ながら『会うておらぬようだ』、『出ておらぬ』と、吾らの面目を潰すことなく穏便に済ませてくれておったこと、極﨟殿以外の皆も理解しておる。
武士には武士の慣例があり、付き合いがある。院の御為とあらばそれを変えるのは当然なれど、数か月も世話になるというのに常にそうしろというのはさすがにいかがなものかと思う。
せめて詫びの文だけは残してゆくか。吾の一族が後々困らぬように。
Side:久遠一馬
広橋さんが蔵人の護送で京に戻るので、急遽、宴を開くことになった。ほんととんぼ返りするような身分の人じゃないんだけどね。
帝と都におられる公卿や公家衆に説明が要るんだろう。年末までにまた来るかもしれないと言っているけど。
上皇陛下との宴は久々だ。文化祭の後以来なので一月ほどなかった。お茶会はしたけど、はっきり言うと上皇陛下に関わると苦労ばかりでメリットがなかったんだ。担当の姉小路さんと京極さんも苦労をしていたし、なにかあると蔵人にお叱りを受けるから。
求められないことはしない。結局、そんな形になっていたんだよね。その分、尾張南部をご自由に見て歩けるように手配はした。清洲と蟹江を主な仮の御座所、いわゆる宿泊場所として津島や熱田なども私的に行かれたようだ。
駿河在住の公家衆が尾張に残り、お相手をしていた。殿上人も一部にいたからさ。
「そもそも穢れというのは難しきものでな。朝廷とて、その実を正しく理解しておる者はおらぬ。朝廷や寺社にある古き書から穢れというものは書かれておるが、いかに考えるかは一概には言えぬものだ」
直前に蔵人の件があったからか静かな宴だったが、口を開いたというかその件に切り込んだのは広橋さんだった。
「さらに神と仏は、大元は違うもの。神と仏では赤子や人の死、穢れに対する考え方も違うからの。慣例と軽々しく言う者もおるが、正しくは代々の朝廷とて変わっておることは幾らでもある。出来れば変えぬようにはしておるというだけのことよ」
宴の席が少しざわついた。穢れに対する説明、考え方を教え説く形だが、具体的には分からないと認め、朝廷も変えていると明言したのは今までになかったことだ。
「日ノ本ゆかりの民であるという久遠の民もまた同じではあるまいか?」
さすがは武家伝奏か。自分たちの考えと立ち位置をきちんと説明して、こちらにも説明を求めた。これ以上の疑心と懸案は要らないということだろう。
「おっしゃる通りかと存じます。当家は以前から穢れについて学問として学び、考えております。すでに穢れと思わしき元凶を目に見える形で掴んでもおります」
助かった。こちらから手札を切る手間が省けた。一方的に新しい知識でマウント取るの良くないんだよね。だから加減とタイミングを考えていたけど、お膳立てしてくれた。
「それはまことか?」
「はい。朝廷の慣例に異を唱えるわけにもいかぬので申し上げられませんでした」
穢れが目で見て分かる。その言葉に上皇陛下が反応された。
ケティやアーシャたちとも相談した。穢れというか細菌をお見せすることで穢れに対する迷信の一部でも変えることが出来ると思うんだ。
「吾は少し話を聞いておりまするが、確かなものと存じまする」
尾張側の人は静まり返ったけど、ここで援護してくれたのは丹波さんだった。衛生観念とか少し教えたことを理解しているね。この人も凄いわ。
「よろしければ日を改めてお見せ致しましょう。また誤解が生まれてもよくありませんので」
宴に同席している信秀さんや義統さんや晴具さんともさっき話した。蔵人の問題はさっさと片付けたいんだ。尾張と伊勢以東はいい。これ以上騒動になると近江の六角家が困ることになりかねない。
「朕も見ることが出来ようか?」
ただ、ここで上皇陛下が自らご覧になりたいと望まれると、さすがに広橋さんと山科さんも顔色が変わる。
「院、まずは丹波卿と山科卿が教えを受けましょう。その上で懸念がなければよいと存じ上げまする」
どうするんだと広橋さんたちが顔を見合わせてこちらにも視線を向けたけど、オレに判断を任されても困ると察してくれたようだ。広橋さんがとっさに体裁を整えてくれた。
さすがになにを見せるか分からないので判断に困ったようだけど。
寒天をすでに持ち込んでいるし、寒天培地なら学校の教師陣と病院の医師団で実際に試したことがあるんだよね。極秘裏に。
それなら上皇陛下にお見せしてもいい気もするけど。
まあ、それは朝廷側で考えてほしい。
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