第1547話・波紋は静かに広がる

Side:久遠一馬


「まさか解任とはね」


 織田家中が騒然となった。上皇陛下の近習、蔵人たちが全員解任されて都に戻されることになったからだ。一気に解任して御幸中に戻されるとか、歴史に残るだろうな。人事異動というレベルじゃない。


「広橋公と山科卿は栄転という体裁で蔵人の交代をまとめておられたようでございますが、当人らが拒み納得せなんだとか。それを聞いた院がお怒りになられたと聞き及んでおります」


 急ぎ事情を確認してきた資清さんが戻ってきたが、やはり蔵人たちがこちらを蛮族やら鄙者ひなものやら罵っていた事実は伏せられたようだ。


 オレは虫型偵察機の情報から知っているけど。これ以上の事態の悪化を避けて、蔵人たちにも最低限の面目を立たせるために伏せたんだろう。


 実際、彼らの言い分は間違ってはいないものの、露見すると政治問題と化すだろう。オレはどう言われても構わないけど、斯波家と織田家としては黙認するのは難しい。


 解任したという事情を流したことで上皇陛下と今までの懸案は無関係であるという証明をして、不満が募っているこちらへの配慮も示したというところか。


「学校と病院で穢れの学問もやっていたよね。それを一部でも開示するのがよいかな。丹波卿もおられるし。今なら悪いことにはならないだろう」


「いいかもしれません。朝廷が引いたことに対してこちらは正当性を示しつつ、配慮も必要です」


 エルとも確認するが、穢れの件は随分前から学校と病院で研究と検証をある程度している。検疫のことを持ち込んだ時に説明も兼ねて始めたんだ。


 衛生観念にも通じる。ここらで説明と情報開示をするか。


 ただ、これで朝廷と距離を空けるということが難しくもなった。それが良いのか悪いのか分からないけど。


 蔵人たちはさっそく明日には都に戻ることになる。護衛名目で織田の兵が警護というか護送することになったようだ。彼らがおかしな行動に出ないとも限らない。広橋さんと山科さんから頼まれたらしい。広橋さんも彼らと一緒に戻るらしい。


 まだ歓迎の宴もしていないんだけど。昨日来たばかりだし。さすがに驚いたけど、これ以上の騒動は困るというので自身で連れ帰るというのが真相らしい。


 蔵人も正確には罪人ではないんだけど、上皇陛下の怒りを買ったということで下手な罪人より厳しい立場に置かれてしまったな。


「戻り次第、従六位から従五位にでも上がるかな? 名目は交代だし」


「ありえぬと思いまする。院の勅勘ちょっかんを受けた者。都を追放されてもおかしゅうございませぬ」


 ひとつ疑問があったが、資清さんの言い方を見る限りないな。


 栄転という体裁は捨てるのか。思い切ったなぁ。ただ、上皇陛下は若い頃に、亡き大内義隆さんが献金して官位を得ようとした際に拒否したりもしている。後に周囲に説得されて官位を与えたらしいけどね。


 そういう意味では信念をもっていて、真面目にお立場と世の中をお考えになられているんだろう。


 しかし従六位蔵人が上皇陛下の怒りを買うとなると、再起は難しいかもしれないなぁ。まあ、地下人の公家なんていくらでもいるし。気にしていたらきりがないけど。




Side:斯波義統


「いかが思う?」


「院は我らを、いや一馬を思うた以上にお認めになられておるのかと」


 弾正とふたりだけで此度の騒動と今後のことを話す。ひとつ間違えると大乱となろう。それならばそれで覚悟を決めねばならぬのだが。


「蔵人といえば院にとって側近中の側近。それをすべて解任とはな」


「某も公家のことは分かりませぬが……、院と帝はこちらが思う以上に公家公卿と上手くいっておらぬのやもしれませぬ」


 院にとって此度のことは覚悟を伴うはずじゃ。左様なことをしてまで尾張に日ノ本の行く末を見出しておるのか?


 弾正の言う通り、朝廷とてあまり上手くいっておらぬこともあろうが。


「温厚な一馬が命を聞かぬ。これが決め手となったな」


 己の振る舞いが他の者に与える影響を気にして、常に大人しゅうしておる男じゃ。されど、一馬は己の妻と子、それと家臣もか。左様な者らをなによりも重んじる。


 家中でも一馬が命を聞かぬことで怒ったのだと騒いでおったからな。それを姉小路と京極が察して関白殿下に知らせた。わしも弾正も許しを求められた際に止めなんだからの。いい加減、嫌気が差してもいた。


 もっとも姉小路と京極はそれまでも幾度もこの件を上手く誤魔化しておった。メルティが子を産んだあとも同じように会うなと命じられたが、会っておらぬようだと言うて誤魔化しておったくらいじゃ。


 ところが此度は一馬の耳に入り、自らそれは聞けぬと言うてしまった。


「一馬がおらねば、もっと早うこの件が露見しておったことでしょう」


 蔵人らの振る舞いは目に余った。我らを鄙者と見下して、こちらの事情も察せず命じるばかり。さらに面倒なことに、あとから院から蔵人の命とまったく違う望みが出ることもあった。


 かの者らは院政でもしておるつもりだったのやもしれぬが、院との意思疎通すらままならぬのではとの嫌疑もあったからな。


 こちらは姉小路と京極が家中をなだめ、一馬が大人しいことで家中の者らも我慢しておったことが幾つかあるのじゃ。


 家中の者らはすでに知っておることであるが、一馬は先を見通して動いておる。左様な一馬が動かぬ限りは耐えることもするというもの。


 耐えられなんだのは朝廷か。畿内の武士は細川晴元ばかりか、皆、堪え性がないのであろうな。それ故、行く先を案じたか。


「久しぶりに宴でもするか。ここまでされては院をおひとりにしておくのもようあるまい」


「はっ、よいかと存じまする」


 院と我らには一切の蟠りがない。それを家中の内外に示さねばならぬな。


 あと半年、捨て置いても良かったのじゃが。




Side:広橋国光


 蔵人の言い分もよう分かる。されど、内匠頭の心情も分かるのだ。生まれた子に会うなとは、また愚かなことを言うたものよ。知らぬふりをしておけば良かったのだ。


「あの男を修羅としてはならぬな」


「穏やかな男ぞ。されど、あれはいずれにも属さぬ己が領地を持つ男。甘く見てよいことなど一つもあるまい」


 吾の言葉に山科卿は答え酒を飲んだ。


 あわや近江以東を失うところであった。この国が本気で朝廷と対峙する覚悟を決めるとあり得ぬことではない。


「この国は面白きことが多いぞ」


 この場にはもうひとりおる。侍医の丹波卿だ。蔵人らと関わらぬようにしつつ、この国を見聞きしておった要領のよい男よ。


「穢れの慣例はこの国では違うのか?」


「違うの。此度の赤子の穢れじゃと、赤子を守るためであると考えておる。吾の知る限り、それも間違いではない。あれもこれも穢れだ。不浄だと騒ぐのは愚か者ばかりよ。さらにこの国では穢れは『消毒』という行為で清めることをしておる。久遠の知恵だそうだ」


 ふと気になり、尾張に滞在しておる丹波卿に問うてみるが、そこまで知っておるのならば、早う動いてくれればと思うてしまうわ。


 まあ、難しかろうが。蔵人と争えば、ひとつ間違えると己が身のほうが危うくなる。


「蔵人など、もとは地下人じゃからの。知らぬことのほうが多い。致し方ないの」


 山科卿は致し方ないと言うが、それで院と朝廷を危うくしては困るわ。やはり学問で後れを取っておることが吾らのこの先の懸念となる。


 地下人など飢えた愚か者ばかりではないか。


 困ったものだ。



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