第1546話・すれ違う想い

Side:山科言継


「そなたらには帰京してもらう」


 広橋公の言葉に蔵人らは理解出来なんだようで、黙したままこちらを見ておる。


「院が戻られるのが早うなったのか?」


「いや、そなたらのみの帰京だ。戻り次第、長年の勤めに報いるためとして新たな官位でも授けられよう」


「吾らは畏れ多くも院にお仕えする身。広橋公や山科卿とはいえ、いささか礼を逸しておるのではあるまいか? 何故、かような話をお二方より命じられねばならぬのだ」


 分かっておらぬな。この者らはこの者らなりに励んでおり不満もあろう。されど……。


「院の許しは得ておる。疑うならば直にお伺いたてまつるがいい」


 まさか、吾と広橋公を敵でも見るかの如く睨んでくるとは。広橋公は驚きつつも、僅かに怒りを腹の内に抱えておるのが分かる。吾らが謀ったとでも言いたげな蔵人らに言いたいこともあろう。


「なっ!? 何故だ!!」


「院の御内意に沿わなんだからだ。他にわけがあるか?」


 長年、院にお仕えしておることで少々驕っておるようじゃの。言わずとも知れたことを。


「おのれ。吾らの目を盗んで、誰ぞが、いかなる世迷い言を申し上げたのだ! これだから鄙者ひなものは嫌なのだ。礼儀も知らず無礼を平然とし、吾らの下命を無視して愚弄するのだ。世が世ならば、皆まとめて死罪ぞ!」


 ああ、上手くいっておらぬ自覚はあったのじゃな。つまり院の御耳に入ると困ると理解もしておったか。愚かな。尾張を己らで従えて院政でも狙っておったのか?


「世が世ならば……か。主上や院が政をしておった頃ならば左様かもしれぬな。されど、今は違う。今の世は今の世なりに動かねばならぬ。それにの、そなたらは管領が下京を焼いた際にいかがしておった? 黙って口を噤んでおったのであろうが。畏れ多くも主上がおわす都を焼いた者ぞ。世が世ならば、それこそ大罪となろう」


 そう。広橋公の申す通り、慣例だ仕来りだと言うたところで、その通りとはいかぬのじゃ。内裏の中では出来得る限り慣例を守っておるが。


「左様なことと鄙者は話が違う!」


「ああ、かもしれぬ。されど、武衛以下、弾正、内匠頭と皆が朝廷に尽くしておるのも事実。譲位とて尾張が大半の銭をだしたのだぞ。知らぬわけではあるまい」


「穢れた卑しき身分の者らが不浄な銭を主上に献上する。当然であろう!」


 ひとりの蔵人は怒りのあまり取り繕うことも忘れて広橋公に怒鳴っておるわ。かような声を上げれば院まで聞こえてしまうというのに。それと……。


「まて、銭が不浄というのは事実なれど、その銭がなくば朝廷も院も成り立たぬ。さらに言うならば、この国とて銭が余っておるわけではない。にもかかわらず院や主上のためにといずこの者よりも多く献上しておる。それを当然じゃと?」


 こやつは聞き捨てならぬことを口走りおった。銭を集めるのがいかほど苦労をするか知らぬ愚か者が。建前だけで生きてゆけるような世ではないのじゃぞ。


 吾とて主上や院のためと思えばこそ、諸国を巡り僅かでも献金を得るべく歩いておるというのに。こやつらは吾までも愚弄する気か?


「所詮は氏素性の怪しき蛮族の銭であろう」


「もうよい」


 そのお言葉に皆が固まった。襖が開くと院が御自らからこちらに歩み寄られた。


 実は先に院の許しを得る際に、こ奴らが納得せぬかもしれぬと案じて密かに聞いておられたのだ。


「そなたらが役目に熱心なこと、よう存じておる。されど、そなたらが尾張の者らをかように思うておったとは嘆かわしい。朕の願いが聞けぬというのならば、いずこなりとも好きなところに行くがいい」


「お待ちください! 吾らは!!」


「皆、悩み、迷い、祈り、よりよき世を願い生きておる。朕はそれを幾ばくかでも叶えるために尾張へと来たのだ。理解せぬ者を蔵人にはしておけぬ」


 尾張は院と主上を厄介と持て余すようになりつつある。院はそれを察しておられた。さらに尾張の地まで来たというのに、『慣例故なりませぬ』と幾度も諫言されたことで、院は御身の周囲を今のままでよいのかと疑念を持たれた。


 変わるべくは御身が先かもしれぬ。左様な思いがあるとお見受け致す。


「氏素性の怪しき蛮族とも言うたな。日ノ本の外の者を軽々しく罵る者が朕の蔵人だとは。祈りが届かぬわけだな。朕とて、為すべきこともせず祈りを捧げたとて、神仏も聞き届けてくだされるはずがない」


 お怒りだ。院がかようにお怒りを示すのは久しくなかったというのに。御身の蔵人なればこそ、その怒りも大きいと御推察する。


「亜相、黄門。あとは任せる」


 ああ、院を怒らせてしまうとは。蔵人らとて知らぬはずもあるまい。院がいかにこの国と内匠頭を頼りにされておられるかを。それが面白うなかったといえば、そうなのであろうがな。


「何故、何故かようなことに……」


「院は祈る前にするべきことがあるのではとお考えなのじゃ」


 近衛公の話では、これも内匠頭が院に申し上げたこととか。


 それに、院や主上に変われとは誰も言えぬ。院はそれを危惧しておられた。尾張から世が変わりつつあるというのに、今のままで良いのか。


 誰にも打ち明けずに悩まれておられたのであろう。


 変わるべきは尾張だ。蔵人らと都の公家の大半の本音であろう。されど、院は変わるべきは朝廷ではとお考えになりつつある。


 これが良いことなのか、御止めすべきことなのか。吾にも分からぬ。


 とはいえこのままでは誰のためにもならぬ。難しきことよな。この世を生きるとは。




◆◆

 永禄元年十一月。後奈良上皇は自身の側近である蔵人たちを解任して帰京させた。


 後奈良上皇の尾張御幸から、もうすぐ半年となる頃のことであった。尾張の地で花火大会・武芸大会・文化祭などをご覧になられた後奈良上皇だが、肝心の斯波家や織田家との関係は良くなるどころか悪化の兆しすらあった。


 原因は当時朝廷にあった数多の慣例と仕来りであり、蔵人たちは尾張にもそれを遵守させようとしたことで、斯波家や織田家の者たちと距離が広がったようだと幾つかの資料から推測出来る。


 中でも子が生まれた久遠一馬に『赤子は穢れ故、会うのはまかりならぬ。院に召された時にいつでも拝謁出来るようにせよ』と命じたことで、それまでは蔵人たちの行動に理解を示していた一馬をも離れさせる原因となっていた。


 自身の子供ばかりか、孤児ですら猶子として育てていた一馬は、子供はなによりの宝であると公言していたとの逸話もあり、この件が大きな政治問題になる寸前であったと思われる。


 織田家で取り次ぎをしていた姉小路高綱と京極高吉はこの事態を重く見たようで、都の関白近衛晴嗣に急ぎの使者を送っている。


 その結果遣わされた広橋国光と山科言継により、後奈良上皇と尾張の関係悪化こそ避けられたものの、真相を知った後奈良上皇の勅勘を買った蔵人たちは罷免され都に戻されている。




◆◆

官位について

亜相=権大納言の唐名。広橋さん

黄門=権中納言の唐名。山科さん

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