第1545話・ようやく交渉が始まる

Side:久遠一馬


 山科さんと広橋さんがウチを訪ねてきた。山科さんなんて五十近いのに、この寒空の中で尾張まで来るとは大変だったろう。少し申し訳なくなるね。


「いろいろと無理を言うておるようで済まぬの」


 幾分疲れた顔をしつつ山科さんが開口一番で謝罪をしてくれた。ただ、疲れた顔を隠さないのはそういう交渉術でもあるんだろうなと思う。公家として諸国を渡り歩いているお二方だ。そのくらいはするだろう。


「構いませんよ。お役目でございますから。ただ、申し訳ないのでございますが、私としては妻や子に会うなというご下命かめいは承諾出来ません」


 お二方の顔を立てたいところもあるけど、こちらの主張はしていかないと、彼らが来た意味もなくなる。


「また、院の御傍でお仕えするのは蔵人様たちのお役目であり、私の役目ではございません。穢れから院をお守りする。大いに結構だと思います。されど、私には私の役目があり守るべき者たちがおります。ご迷惑をお掛けするならば院に拝謁しないほうがよいと愚考いたします」


 こちらの顔色を窺うふたりに、オレは言葉を選びつつ本音をぶちまける。晴具さんとも話したんだ。この程度なら構わないだろう。


「さらに、……無礼を承知で申し上げます。私は院や帝に拝謁したいなどと願い出たことはございません。末代までの誉れではありますが、もう十分だという思いもございます」


 一呼吸、間を空けて続けた言葉にお二方の顔色が真っ青になる。これは演技ではないだろうね。


 下手をすると尾張と畿内は戦になる。ただ、山科さんならばこちらの思いと苦悩を理解してくださるはずだ。


「よう打ち明けてくれたの。吾らはそなたの存念を聞きとうてここまで来たのじゃ。案ずるな。吾らが上手く収める」


「ここだけの話になるが、吾らも武士とのいざこざなど珍しゅうない。荘園を奪った者などと話すこともある。争うのは容易い。されど、それでは何一つ解決せぬ。こうして顔を合わせてひとつずつ解決をしていく。それだけは今後も否と言わんでくれ」


 切り替えが早い。いや、こちらの考えをある程度予想していたというところか。思ったよりも悪くない。そんな反応にも思える。


 山科さんも広橋さんも話がしたいと身分や立場を越えてこうして来てくれた。ある意味、本物の公家というのはお二方のような人たちなのだろう。


「存じております。良しなにお願いいたします」


 珍しくない。広橋さんの言葉の通りなんだろう。本来ならば都にてこういう諸問題を話すはずが、上皇陛下が尾張にいることで尾張にて話す必要が出てきたと。


 まあ、こうして彼らは自分たちの秩序にオレたちを組み込みたいんだろう。その代わり権威を利用してもいいと。ただねぇ。その権威がね。むしろ使わないほうが将来のためにはいい気がしないでもない。


 無論、言えないけどね。まあ、後はお二方にお任せするしかない。




Side:広橋国光


 話せば分かる男だ。それはまことに安堵した。この男が意固地になると朝廷を揺るがす騒動になりかねぬ。


「思うた通りじゃの。間に合ったと言うべきか」


 内匠頭の屋敷を後にすると、山科卿は安堵した顔をした。


「蔵人にも困ったものじゃ。義理以上の務めを果たしておるということを理解しておらぬ」


 義理以上。まさにその一言に尽きるのであろう。これは斯波も織田も同様であるが、久遠は特に己の力で領地を治めて商いをしておる。官位を受け取り臣下として収まっておるのも、あの男の穏やかな気性もあろうな。


 一国の国主としての扱いを求めてもおかしゅうないはず。


「図に乗る前に押さえてしまえ。乱暴な言い方ではあるが、蔵人の本音はそこであろう?」


 山科卿は蔵人を困ったというが、蔵人らは得体の知れぬ者故に懸念しており、正しき行いをさせ、院の下で立場と上下を確固たる形で定めんとした。決して間違いではないな。


「無理じゃの。内匠頭だけではない。もとより東国は畿内とは違う。誰もが分かる権威である官位は求めるが、朝廷に口出しされることを喜ぶ者はおらぬ。義理を果たそうとするだけでも珍しきことよ」


「確かに……」


 武士に尊皇の志がないことを嘆く者は公家にも公卿にも多い。されど古き書を紐解けば、かような世になったのは朝廷と時の帝にも関わりがあること。


 源氏と平氏を争わせて武士と争うた後白河上皇もそのひとり。さらに北朝と南朝に分かれたのも朝廷だ。


 吾らの祖先と先人らの積み重ねによって今がある。武士だけを責められぬ。


「穢れの慣例は緩めるしかあるまい。ここは内裏でも仙洞御所でもないのじゃ。もとより尾張は都よりも病に罹る者が少ないように思える。日頃から身を清め、病の際には罹り始めたら治療をするということで上手くいっておる。院もそれをお望みじゃからの」


 穢れか。今にして思えば、この件がここまで騒動となるとは誰が思うたであろう。吾らにとって当たり前のことなのだ。元は病に罹らぬために穢れを避けるべしとの言い伝えだと聞いたことがある。


 されど、尾張は穢れというものについて真摯に考え、吾ら以上に病と向き合っておる。それを考えもせずに同じことをせよと命じては面白うはずもあるまい。


「山科卿、吾らも新しきことを学ばねばならぬのではあるまいか?」


 以前尾張に来た時にも思うたことだ。吾はあのあと図書寮のために写本をするべく努めており、此度もその話を出来ればと思うておる。


 故に思うのだ。我らの知らぬ学問を知るならば学ばねばならぬのではあるまいかとな。寺社のように吾らの子弟がおるところではないのだ。ここはな。


 このままでは吾らは新しき知恵を知らぬまま置いてゆかれる。


「それはそうであるが、対価がないのじゃ。なにを対価として教わる? 官位はあまり喜んでおらぬぞ。さらなる献上品を求められ、厄介事を招くとな。吾らが官位や知恵に礼金を求めるように尾張にも出さねばならぬ」


 そうか。それがあったか。


「図書寮。あれもそこらを懸念してのことであろう。上手く考えたものよ。広橋公の写本も然り。互いに面目を潰さず双方の利になる。吾らはもっとあれを本気で進めるべきであったな」


「内匠頭はそれを見越したと?」


「内匠頭か奥方のいずれか知らぬが、左様であろう」


 いかんな。敵に回してよい者らではない。蔵人らは官位を上げることを条件としてでも年内に戻さねばならぬ。すでに院の内諾も得ておるのだ。


 あとは吾らが取り持たねばならぬか。



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