第1544話・調停する者

Side:久遠一馬


 十一月も半ばに差し掛かると、山科さんと武家伝奏である広橋さんがやってきた。事前に先触れはあったものの、予定外の訪問だ。少し急いで来たらしいね。


「このままでは良うないと慌てて来たようだな」


 信秀さんは可もなく不可もなく。来たのかという淡白な反応だ。


「蔵人と争うたとて、こちらが得るものなどないからの」


 最近、紅茶の淹れ方に凝っている義統さんが自ら紅茶を淹れてくれた。いい香りのする紅茶だ。シンディが教えたらしいから、淹れ方もいい。


 美味しい紅茶を飲むと落ち着くなぁ。


「意思疎通をする体制がありませんからね。院の侍従である蔵人殿に意見するなど常ならばあり得ぬこと」


 義統さんも信秀さんも大人だ。怒っていると周囲は恐れているけど、実はそうでもない。このまま穏便に都に戻ってほしい。それだけだ。ただ、ありがたいと持ち上げることもしていないからなぁ。


 家中では意思疎通をするようにしているものの、当然言えないこともある。オレを含めて立場が高くなると特にね。


「赤子を穢れとする。本来は赤子を守るためなのであろう?」


「当家の医学と照らし合わせればそう考えると筋が通ります。穢れというか、当家では病のもととなるものを寄せ付けぬために消毒ということを教えておりますので」


 織田家中だとすでに消毒の概念、きちんと知っているからなぁ。信秀さんとか義統さんも赤ちゃんと会うときは、ウチの子に限らず消毒するなどきちんとしているくらいだ。


「よう分からぬ知恵をいつからか使うようになり、本質を見失い、あれもこれも穢れとして高貴なお方に近づけるなと過剰に考えたのであろうな。呆れるが致し方ないとも思える。なにかあれば責めを負わねばならぬ者としてはの」


「そう言われますると、失態こそ学ぶべきという久遠家の教えは理に適っておりますな。今後は失態の際の扱いを明確にしたほうがいいのかもしれませぬ」


 義統さんと信秀さんは最早、感情論とか迷信ではない。現実的な考え方が出来ている。このふたり、ウチと親密だから当然とも思えるけど、価値観が進み過ぎていて家中にも上手く伝わっていない部分がある。


 新参の家臣とかは織田の体制に合わせるのに精いっぱいだから仕方ないけど。


 現状だと蔵人殿たちとは意思疎通をするような体制ではない。そもそも蔵人は自分の判断であれこれと決断出来る立場でもない。ただし、上皇陛下の判断を仰ぐということは出来るはずだがしていない。


 まあ、信秀さんあたりはあの様子を見て、失態を演じた際の扱いをきちんと決めたほうがいいかと考えているあたり、もう次元が違うよね。


「六角と北畠は上手くいっておるのであろう? ならばよいではないか」


「北畠家が若干進んでおりますね。今年も武芸大会への出資もございましたので」


 山科さんと広橋さんはどうするんだろう。こっちとしては大事にはしたくないんだけど。


 義統さんはそれよりも、ついさっき評定で報告した六角家と北畠家のことのほうが気になるらしい。


 どっちも頑張っているけど、北畠家が若干進んでいる。具教さんも晴具さんも個人としても交流を深めているからね。一日の長がある。


 あと今年の武芸大会でも北畠家が資金提供をしている。これ実情は悪銭鐚銭びたせんの回収なんだよね。商人に対してもこの武芸大会への資金提供ならば悪銭鐚銭を良銭と同じ価値で受け取ることをしているから。


 経済規模や力関係で誰が見ても劣る北畠家であるけど、名門でもありこちらに資金提供もしている。そういう形があるだけで北畠家は名実共に確かなものになっている。


 宇治山田も落ち着けば、北畠家はだいぶ楽になるだろう。




Side:山科言継


 広橋公と共に清洲に入った。


 賑わう民と驚く旅人がこの地では風物詩となりつつあるとか。最早、畿内とは別の国となりつつあると改めて実感する。


「こうも上手くいかぬとはの」


 すでに蟹江におられた院に拝謁しており、清洲でも旧知の者らと会うが、広橋公の顔色が優れぬ。


 蔵人らは今までにない機会じゃと頑ななほど院の威光を示すべしと励んでおるが、尾張の者らはむしろ関わりたくないと避けつつある。


「生まれた子と妻に会うなと言うたのはよろしくないの」


 あれこれと命じるばかりの蔵人に嫌気が差したのか、斯波も織田も院と拝謁する機会を減らすという困ったことになっておる。さらに厄介なのは吾らがここまで来た理由にも繋がる内匠頭と蔵人のこと。


 慣例は守らねばならぬが、妻子をなによりも大切にしておる男に会うなと命じるのはよろしくないの。ましてあの男は日ノ本の外に本領がある者でもある。大袈裟にいえば、主上や院と同じ立場を求めてもおかしゅうないというのに。


「されど、正室でもなくすでに子は多かろう?」


「駄目じゃの。内匠頭には正室も側室もない。正室、側室とは日ノ本の仕来り。形式として大智を正室としておるが、久遠の地では妻と子は皆が宝と言うて憚らぬ男じゃ。己が育てておる孤児でさえ先を案じて猶子にしたのだぞ。まだ銭を出せと命じるほうがいい」


 広橋公ですら理解しておらぬ。故に吾が来たのじゃがの。蔵人に落ち度はない。されど、あまりに尾張と内匠頭を理解しておらぬ。


 尾張に取り次ぎを残さなんだことを、近衛公が珍しく失態であったと認めて嘆いておられたほど。


「尊皇の志があればこそ難しきことよな」


 吾の言葉に広橋公の顔色がさらに青ざめる。最早、他人事ではない。吾らの働きいかんで主上や院の意を潰すことになりかねぬ。


 朝廷など関わりとうないと、荘園や税を横領しながらも官位だけは私称する武士ではないのだ。朝廷が困るだろうと自ら献上してくれる者らを無下になど出来ぬ。


「院の御耳に入れぬわけにはいかぬな」


 あまり御心を煩わせたくないのじゃが、左様なことを言うておる場合ではない。院は内匠頭が天の使いであると信じておられる。その内匠頭を近習が怒らせたとなると、このままでは済まなくなる。


 かの者らは都に呼び戻すしかあるまい。失態とならぬ理由でもつけてやれば異を唱える者はおるまいな。後任は都で決めるとして、しばらくは吾らが代わりを務めるか。


 争う気のない者。主上と院を疎かにする気のない者に頑なな態度を示して、いかがなるというのじゃ。


 慣例は慣例。されど、新しき知恵や学問を取り入れることも必要じゃ。かつては大陸に倣いそれをしていたのだ。今それが久遠となることがまかりならぬという先例はない。


 ともかく内匠頭と会わねばならぬ。


 手遅れになる前にな。



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