第1538話・苦境の安東家

Side:雪乃


 能代湊と土崎湊がほぼ無傷で手に入りました。両町ともに町衆の半数以上が逃げたようですが、こちらとしてはあまり影響がありませんね。


 一般の武士ならば商いをする商人がいなくば困る。まして能代や土崎のように地域の拠点となる湊や町ならば尚更。ただ、私たちにとっては大きな問題にはならない。商いこそこちらの力の源泉なのですから。


 こちらとしては船の大半を手に入れたことは大きいです。これで海運が使える。


 能代を津軽から南下してきた季代子に任せて、私とリーファは土崎湊の統治をしています。


 こちらが町を荒らさなかったこと、町の者が荒らすほど時間を与えなかったことで、そのまま土崎にある湊城で政務を取っているわ。


「町の者が戻ることお許し願えませぬか」


「戻ることを許しましょう。ただし、今後はこちらのめいに従ってもらうのが条件よ。今までのように勝手気ままに商いは許さない。当家は商いもしているわ。敵となる者との商いを禁じることもあれば、領内と品物の値を変えることもしているの。そこを理解させてほしいわね」


 訪ねてきたのは地元の僧侶。それなりの立場の者になるわ。どうも逃げ出した商人が戻るべきかどうか悩み頼ったのでしょうね。


 冬が来る前に身の処し方を決めたいのだと思うわ。日本海側の湊は北国のこの辺りにとっては生命線と言ってもいい。ここの商いを失うと商人に先などないものね。


「……畏まりました」


 町を支配してその上がりだけ受け取る。従来のやり方をしていては困るの。もっとも土崎の商人は、今年の蝦夷交易で安東家に属する者として交易品の大幅値上げをしており、商いが出来ずに大損した者も多い。すでに抵抗する意思もあまりないようね。


 僧侶は少し渋い表情を隠さなかったものの異を唱えることなく帰った。無論、渋い表情はこちらへのせめてもの抵抗と威嚇ね。あまり勝手をするなら従わないという。


 ただ、彼は分かっていない。こちらは寺社の協力すら要らないということを。むしろ、こちらが配慮をしないと寺社が立ち行かないと気付いてないわね。


 まあ、表情くらいの抵抗は見逃してあげましょう。きちんと交渉をする意思があり、こちらの体裁を潰す気もない。有能な僧侶だもの。


 尾張へ出立するまで半月。なんとか落ち着かせないと駄目ね。




Side:季代子


 檜山城へ進軍をしていた途中で思わぬ人物がやってきた。安東愛季の弟である茂季。湊安東家の当主のはず。肝心の湊城はリーファと雪乃が落として私は檜山城に行ったのだけれど。


「我が殿は斯波家代将である織田殿と争うつもりなどございませぬ」


 安東家から初めて話の分かる使者が来たわね。今までは蝦夷の領地を返せとか恫喝紛いの使者しか来なかったのに。


「そう、こちらも謝罪をするなら受け入れるわ。ただし、こちらで押さえた領地は返せないわよ」


 少し遅かったわね。檜山城は健在だけど、能代湊と土崎湊、それと土崎までの海岸線は押さえた。本音を言えば檜山城も落としたかったんだけどね。


 謝罪を受け入れるのは構わない。ただ、謝罪だけで、こちらが出羽から退くというのはさすがに無理だと理解しているわよね?


「……それはごもっともでございます。なれば、これ以上の戦はせぬと受け取ってよろしゅうございましょうか?」


「ええ、それは構わないわ」


 苦悶の表情ね。水軍の安東家から海を奪った。あり得ないと激怒しないだけ理性的ということかしら。史実でもこの人は兄である愛季に従っていたはず。あまり我の強い人物でないのかもしれないわね。


「ただし、騙し討ちや和睦を反故にするなら、二度目の和睦はないと心しておいて。誰か、なにか意見はある?」


 空気が重苦しい。蠣崎殿と大浦家の者がこの場にいるけど、哀れみの顔をしている。少し厳しいけど、甘い顔をしても褒められないのよね。


 念のため周囲に意見を求めると蠣崎殿が意見を述べ始めた。


「お方様、臣従をお許しになられては……。ここまで所領を失い、海に出られぬとなると、安東家とて困りましょう。かつて仕えていた某が言うのは、おこがましいと存じておりまするが」


 あら、随分と気が利くわね。私から言い出すのは難しいけど、さっさと降ってほしいのは事実なのよね。さすがに蝦夷で倭人とアイヌを束ねようとしていただけはある。こちらの方針と利益と旧主への義理を欠かさない。


「そうね。蠣崎殿とて好き好んで旧主から離れたわけじゃないものね。いいでしょう。蠣崎殿の義理と面目もある。安東殿、臣従を望むならば受け入れましょう。ただし正式な臣従は尾張で行う。女の私に臣従というのは認めてないの。清洲の大殿か我が殿か、誰が主となるかは分からないけど、立場が悪くなるとは思わないで。あと条件だけど、織田はすでに領地を認めていない俸禄になる。これは織田一族であっても同じ条件と心得て」


 俸禄を決める領地の範囲は言わないでおこうかしら。土崎や能代を加えてもいいけど、あまり厚遇すると今後困ることになる。


 茂季殿はこちらの言い分を聞いて返答は一旦戻ってするという。


「しばらくここで野営ね」


 停戦の誓紙を交わすまでは現状維持ね。檜山城までもう少しなんだけど、この場で返答を待つか。


 臣従か停戦か。どちらにしてもこちらとしては主要な湊を押さえたので構わない。安東愛季。彼の決断次第かしらね。




Side:近衛稙家


「そうか、陶隆房が自刃して果てたか。それはよいが、仏罰が当たったと喜ぶとは公家もまた愚かよの」


 大内家を滅ぼした愚か者が消えた。まあ、それはよい。謀叛人には相応しき末路と言えよう。されど、頭の痛いのは公家衆じゃ。


「父上、愚かとは……?」


 倅も理解しておらぬか。先のことを案じてしまうわ。


「あれは亡き大内卿の政を理解せぬ愚か者に国がまとめられなんだだけのこと。それを仏罰とは、公家もまた愚か者と同じではないか」


 かつて、内匠頭が院に拝謁した際に『祈りとは、人々が各々でやれることを尽くさねば通じぬ』と言うたことを思い出す。あの時は驚いたが、もっともなことだ。祈ってなにもかもが治まるならば争いなど起きぬ。


 過ぎ去りし日々を羨み、今の世で力を持つ者を妬む。心情はよう分かる。されど書物を紐解けば、今の世は少なからず朝廷にも責がある。


 神仏がまことに祈りを聞き届けるならば、むしろ吾らではなく尾張の祈りを聞き届けるのではあるまいか?


「まあ、よい。吾らは図書寮の再建を急がねばならぬ」


 周防などに構っておる暇はないわ。吾らは吾らのやるべきことをせねばならぬ。武衛と弾正はまことに朝廷を見限ってもおかしゅうないのだ。


「図書寮でございますか。そういえば、尾張では院の蔵人らとあまり上手くいっておらぬとか」


「困ったものよ。年内に誰ぞ様子を見に行かせねばならぬかもしれぬ。山科卿が適任か。下手をすれば近江以東を失うぞ」


 あ奴らにも困ったものよ。役目として当然のことをしておるとはいえ、武士との話の仕方も知らぬのか。上から命じてばかりでは上手くいくはずもあるまい。


 事細かに先例を話して聞かせ、説き伏せねばならぬのじゃ。あ奴らより織田の者のほうが、己が政を事細かに理解させようとする。武士に劣る蔵人など以ての外よ。


 かようなことを主上のお耳に入れるわけにもいかぬ。


 困ったものよ。



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