第1531話・秋深まる
Side:久遠一馬
宇治と山田の報告が届いたけど……。
「まあ、一から町割りを見直すにはちょうどいいんじゃないのかな」
略奪で町が荒れちゃったみたいだ。よくあることなんだけどね。北畠の兵もそうだけど、近隣の村や同じ宇治山田の町人も略奪している。
具教さんは怒っているようだけど、仕方ないね。今の織田でそんなことするなら、徹底的に詮議して厳しい罰を与えることになる。とはいっても北畠では無理だ。
織田が押さえた安濃津や桑名を知るが故に具教さんは怒ったみたいだけど、こっちは地道に指導と教育をしつつきちんと食わせていくように軍制も整えた。
「逃げた者らはいかがいたしまするか?」
「大店は把握したいけど、無理はしなくていいや。ああ、抜け荷を働いた商人たちの顔の似顔絵は作ってもらって」
望月さんに宇治と山田から逃亡した商人の調査について指示を求められるけど、忍び衆の人員を大幅に割り振るほどのことでもないんだよね。
どうせ織田領内には来ないだろうし。こちらとしては手配書を作るくらいでいいだろう。名目としては北畠家の命令に逆らった者として、北畠家から手配書を出してもらうか。
あとは関所と商人組合に手配書をばらまいて、抜け荷の嫌疑により領内での商い禁止を手配するだけだ。
ああ、逃亡先は紀伊や畿内だ。東には来ていない。東はほとんど織田領だしね。来られなかったんだろう。
「神宮がもう少し待てば、町が荒れぬようにすることも出来たのでございますがな」
望月さんの表情が少し渋い。もうちょっと締め上げておけば降伏させるように仕向けることは確かに出来ただろうね。抜け荷の賠償と謝罪、あとは一定期間の罰則。駿河・遠江の商人がそれで妥協しているからね。
とはいってもあちらにはあちらの考えと都合がある。まあ、神宮も町が荒れることなんて想定の範囲内だ。神宮が焼けるとかしない限りは誰も問題視はしないだろう。
「宇治山田の再建について、こちらが出来ることの素案をまとめるように湊屋殿に頼んでおいて」
「はっ、畏まりました」
再建は北畠家が主導することだ。町を掌握するにはそうしないといけない。ただ、北畠家にそこまでノウハウないだろうしね。両町と近い大湊の協力もいる。
町割りから始まり資材の調達に商人たちをどうするか。やることは山ほどある。春たちも動くだろうけど、こちらは早めにバックアップの支度をしておかないと。
「そういえば今日は静かだね」
「子供たちなら市姫様と共に牧場村に行っていますよ。冬支度が進んでいますからね」
一仕事を終えて休憩とするけど、いつもは聞こえる子供たちの声がしない。なんかそれだけで落ち着かないくらいに静かだ。
どうしたのかなと思ったけど、エルが教えてくれた。
大武丸と希美はもうすぐ三歳になる。子供が育つのは早いなとしみじみと感じる。普通の子と変わりなく育っていることにホッとするね。
どんな大人になるんだろうか。やりたいことを見つけて、好きな人と添い遂げてくれたらそれでいいと思う。ちょっと気が早いか。
「リリーと花の出産も近いしなぁ」
牧場村は賑やかだ。孤児院の子供も相変わらず多いしね。みんなオレたちの猶子として扱う。そう決めると安心出来るようになった。
リリーは産休中で冬支度はプリシアが中心に進めてくれている。そういえば、子供たちはプリシアを
大武丸たちが実の母以外を『まーま』と呼んでいることから、『まーま』の語源のひとつである大陸の言葉である
アーシャの教育もあるし、学校に行っている年長さんもいるからね。語源とかそういうのから考えたようなんだ。
「文化祭も近いですからね」
エルがくすっと笑った。今の那古野は祭りを前にした準備もしているので賑やかで楽しげな雰囲気がある。
「大人のほうが楽しんでいるんだよな」
文化祭、那古野神社と職人衆など大人が張り切っている。町と町の対立ではないけど、大きくなった那古野に相応しい祭りにするんだと意気込んでいる。
無論、ウチの関係者もみんな協力していて楽しんでいるね。文化祭が終わると冬が近い。今年はこれ以上、騒動とか起きないといいな。
Side:太原雪斎
「おお、顔色が良いの」
拙僧を見舞いに御屋形様が病院に来てくださったが、久方ぶりに顔を合わせると思わず笑みをこぼされた。
「近頃は体の具合も良うございます。年内には病院を出られるやもしれませぬ」
無理をしておったのだと、ここに来てから理解した。初めの頃は起き上がるのも辛きことがあったが、近頃は具合も良く歩くこともしておる。
「そうか、そうか。それは良かったわ。にしても久遠家の医術は凄いものじゃの」
もっとも病院を出ても駿河には戻らず尾張にはおるようにとも言われておるが。役目にも戻れぬとも言われたな。清洲には屋敷をいただけるとのこと。寺で勤めをしたいと願うならば寺でも良いとは言われておるが。
「はっ、ここにおると己がいかに無知であったか思い知らされまする」
「左様なことは言わずともよい。武芸大会は見たのであろう? 内匠頭殿の用兵、見事であったわ。同じ条件で戦をしても勝てぬやもしれぬ。そう思うと致し方ないと思える」
御屋形様が屈託のない笑みをお見せになられておることに心底安堵する。
「あの御仁は人をよく知っておられまする。賢くもあり愚かでもあること。迷い過ちと理解しても変えられぬこと。故に変えておられるのでしょう。人を」
人を変える。拙僧は考えもせなんだことだ。人を従えることや教え導くことは考えたこともある。されど、変えるということは難しきこと。
悟りを開いたと伝わる僧ですら、その悟りを弟子にも己の教えを伝えきれておらぬ。名のある宗派の開祖の教えが代を重ねるごとに歪められ、いつの間にやら人の欲と世情に染まっておるのだ。
「仏の使いと噂があるだけのことはあるか」
御屋形様の言葉に異を唱えるほどの答えを持ち合わせておらぬ。さすがに仏の使いではあるまいが、未だかつていかなる者も出来なんだことをしておるのは確かなこと。
「駿河遠江は上手くいっておりまするか?」
「懸念は幾つかあるが大事にはなるまい。武衛様と清洲の大殿と内匠頭殿。この御三方がおる限り憂いにはならぬ。争うことも滅ぼすことも容易いというのに、それをせずに治めてしまう。わしなど到底及ばぬわ」
そう、拙僧ですら天意かと思うところはそこかもしれぬ。
ひとりの英傑が現れたとて人が変わらねば世は変わらぬ。頼朝公然り尊氏公然り。
ところが、今の尾張には多くの人がおるのだ。他国が羨むほどの者らが。
「御屋形様、敵は関東かもしれませぬ。お気を引き締めなされ」
北条は争うまい。こちらより先に友誼を深めておるのだ。されど、それが良うない。関東では北条は未だ余所者として疎まれておるのだ。
そう、今川家がするべきは関東を敵に回さぬようにしつつ駿河以西を守ること。
ただ、東国が織田の下に集うのは遠くあるまいな。
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