第1529話・仏罰が来ないままに

Side:久遠一馬


 この数年で織田家は変わったなと改めて思う。


 かつては各々が勝手に領地を治めていたのに、今では目安箱や文官・武官を通してあらゆる報告が清洲城に集まる。


 情報の整理と共有。これがまた大変なことだ。ただ、評定と各奉行の体制を整えたことがこの件で生きている。


 最近では評定の前に各部署の者が事前評定も行なっている。話し合う内容の調整と事前に情報交換をそこでしているんだ。


 今のところ利権やら権限の奪い合いは起きていないので、これでうまく回っている。身分制のいいところかもしれない。


 無論、調整にはウチが関与しているけどね。家老衆も忙しいし、物事の優先順位とか細かい事情とか判断するには相応の人がいるからさ。


「いよいよ北畠が動くようでございますな」


「大御所様も霧山に戻られたからね」


 そんな各地の報告と共に北畠家から知らせが届いた。宇治と山田に公界の解体と商人による自治の停止を命じるとのことだ。当然、伊勢神宮も承諾している。というか伊勢神宮が焦れたというのが実状か。


 これ以上、門前町が廃れて権威が落ちるのは困るということだ。商い禁止にはしていないものの、尾張からすると敵国扱いだからなぁ。


 言い方が悪いかもしれないけど、時世の読めない商人はさっさと叩き出せというのが本音だろう。伊勢と志摩の神宮領だったところの税は寄進という形で納めているので、伊勢神宮の実入りは悪くないはずだけど。


「まあ、春たちもいるし大丈夫だろう」


 ああ、具教さんに頼まれて織田家としても少数の援軍を出している。まあ、百人くらいの人数なので、本当に形だけの援軍だけどね。実は春たちの力を借りたいと内々に頼まれたので織田家からの援軍として処理したんだ。百人もどちらかというと春たちの護衛という意味合いが強い。


 従わないなら兵を挙げるというのが北畠家の動きで、神宮も黙認するというのが表向きの動きになる。たとえ神宮が求めたことでもそういう形にしなくてはならないようだ。


 宇治・山田征伐というより、宇治山田の降伏後に苦労をすると理解してのことだろう。北畠家としては年内に宇治と山田のことを片付けたいようだ。


「大和の柳生家より扱いが悪いと困っておいででしたからなぁ」


 太田さんの言葉に苦笑いが出てしまう。柳生家も大和の実質的な守護職である興福寺も、こちらと争う意思なんてないし。筒井も含めて立てるところは立てている。


「大和柳生家、別にウチの家臣ではないんだけどね」


 家臣ではないものの、大和国では親織田の国人となっている。筒井に臣従をしつつ織田の影響下にあるんだ。両属を認めていないし臣従もしていないけど、影響力が強すぎて周囲が両属と見ているんだよね。


 石舟斎さんと父親の家厳さん。このふたりはよく働いてくれているし。彼らの故郷は守ってやる必要もある。まあ、手を出しても誰も得をしないので平穏なようだけどね。


 家厳さん、彼の評判も結構いい。ウチは年配の武士が多くないこともあるし、石舟斎さんの父親ということで周囲が一目を置く。本人は武芸も含めて大したことがないと言うけど、他家との付き合いとか年配の人が欲しい場面で活躍してくれている。


「殿、村上家との商いの素案が出来ました」


 宇治と山田のことは、オレがこれ以上関わる必要がないので次の仕事に移る。エルが持ってきたのはあれか。この前の砥石城のあとにウルザが求めたやつか。


「いいんじゃないかな」


 友好相手として相応の値段だ。戦好きかと思ったけど、そうでもなかったからなぁ。村上義清さん。清洲城でも報告に驚きの声があったほどだ。まあ、戦う理由もないし冷静な判断だとも言えるけど。


 ウルザたち相手に引いてくれて礼儀も欠かさなかった。もともと官位の高い人で斯波家と血縁があって義統さんとは従兄弟の関係だから粗略にも出来ないんだけどね。


 ともかく物価の価格差で崩壊させることのないように配慮した値段だ。




Side:宇治の商人


 北畠からの使者が来た。公界を放棄せよというものだ。幾ばくかの商人が大御所様に無礼な振る舞いをし、さらに織田をたばかったことで仲介した面目を潰したことが仇となった。


「おのれ!」


 怒りが収まらぬ者が騒いでおるが、すでに逃げ出せる者は逃げておるくらいだ。北畠家を相手に戦う余力などない。


「神宮に仲裁を頼むしか……」


「その神宮が北畠を動かしたとしたら?」


 断固戦うと息巻く者は僅かだ。大湊も安濃津も桑名も、すでに織田や北畠に従う町となりこちらの味方になりそうもない。


 さらに愚か者は知らなんだようだが、我らを疎んでおるのはむしろ神宮なのだ。体裁としては変わらぬものの、門前町が織田と争い爪弾きにされておることに内心で面白うはずがない。


「ありえぬ! 誰が神宮を支えておると思うておるのだ!!」


「すでに神宮への寄進は織田のほうが多い」


 稲刈りもあらかた終わり、北畠はここと山田の征伐のために戦支度までしておるとか。


「悪い知らせがもうひとつある。織田も兵を出すということだ。久遠家の奥方殿が大御所様と共に霧山に入ったという噂もある」


 関家を瞬く間に制してしまい、長野の各城を押さえたという久遠家の曙の方と夜月の方が尾張におられる大御所様と共に霧山に入ったと噂が流れており、すでに逃げ出しておる者すらおるというのに。


 近頃は亀山城におり、霧山御所にも幾度か来ておる者だ。戦のために来たのか分からぬが、関わりがないと決めつけるにはいささか恐ろしい相手になる。


「……久遠が動くのか?」


 あそこが動くと手が付けられぬ。威勢のいい者ですら静まり返るほどだ。


「知らぬ。されど、いずれにしろ手間取れば出てくるであろうな」


 勝てぬ。和睦ならばあり得るのかもしれぬが、懸念は織田を謀った商いをした者は罰を受けるか、堺のように絶縁されかねんということだ。


 わしを含めて多かれ少なかれ織田に降れぬ者しか残っておらぬ。織田は商人も武士と同じく道理に背けば許さぬからな。


 さっさと他に逃げるか、首を差し出す覚悟で降るか。いずれかを選ばねばなるまいな。




Side:北畠具教


 父上がようやく戻られたかと思うたが、宇治と山田のことが片付けばまた尾張に戻るのだという。霧山は窮屈で敵わんと言われたことにはいかんとも言えなんだ。


「春殿、やはり兵は要るか」


「戦になるかならないか分からないけど、素直に従っても兵を挙げて宇治山田を押さえたほうがいいわよ。商人というのは悪知恵が働くから、甘い顔をするとおかしなことをするわ」


 武芸大会が終わり伊勢に戻ったわしは、すぐに宇治と山田の始末をつけるべく動いておる。最早、あの町に振り回されておる場合ではない。それにあそこが勝手をするから家臣らも覚悟が決まらぬという事情もある。


 武衛殿や弾正殿、内匠頭殿に頼んで春殿らを借り受けた。宇治と山田ごときに手こずるわけにはいかぬのだ。


「それに……、断固とした意志を見せたいのでしょう? ならそれが一番ね」


 控える家臣を気にしてか、少し声を落として語る春殿にはすべてお見通しのようだな。


 六角の管領代殿とも話したが、尾張の変わり様は早すぎるのだ。こちらがひとつ変えておる間に向こうはさらに先に行ってしまう。


 追いつくことは難しかろう。されどこれ以上置いてゆかれぬようにせねばならぬ。


「兵など挙げられまい。誰が従うのだ。神宮がせっついておるというのに。それにわしと春殿らが霧山に入った。その覚悟だけで伝わるわ」


 父上の言葉がすべてかもしれぬ。家臣らも父上と春殿らがおるおかげで大人しい。


 わしの力不足を感じるが、左様なことよりも領国をまとめることが先決なのだ。




◆◆

曙の方=春

夜月の方=夏

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