第1527話・武芸大会も終わって・その二

Side:今川氏真


「内匠頭殿の差配、凄まじいものでございましたな」


「わしも用兵は初めて見たが、驚きはないの。あの御仁は戦をよう知っておられる」


 あちらこちらへと酒を注ぎつつ話を聞く。古参の尾張者はもとより、美濃や三河の者らもあまり驚いてはおらぬか。他には『思うたよりも手堅かった』と口にする者もおれば、『なにをやらせても出来る御仁だ』と言う者もおる。


「戦はやってみねば分からぬという者は家中にも多い。されど内匠頭殿は勝てる戦でなくばやらぬと言うであろうな。やらねば分からぬ戦などせぬのだ。商いでも戦えるからな」


「そう考えると今川家はさすがとしか言えんの。大殿と内匠頭殿が戦に踏み切るとは勝つ算段が出来たということだ。その前に降る。一番良い策と理解はするが、因縁もあり家の格も下だ。出来るかと言われると悩むわ」


 こちらの顔色を窺いつつ、左様な本音を口にする者もおる。臣従を歓迎する者もおれば、そうでない者もおるということであろう。不満を抱えておるのではと疑われておるな。


 オレは左様なことはないと笑い飛ばしておく。


 それにしても、尾張ではだいぶ前から今川が脅威とは言えなくなっておったということは確かか。


 尾張にて政を学んで分かったことは、この国は畿内など面倒事としか見ておらぬことだ。朝廷でさえも、銭の無心をするばかりで尾張に利があるのかと口にする者までおる。


 畿内に頼らぬ国をつくる。東国の者らでそれを考えた者は他にもおろう。されど、ここまで形にしたのは頼朝公以来では初めてではなかろうか?


 公卿や院が尾張に連れ立って来るわけだ。


「同じ家中におると人のよい御仁でしかないがの。こちらが困れば共によき策はないかと考えてくれる。当人以外でも熱田の桔梗の方など、近頃は些細な因縁の解消に手を貸しておるくらいじゃ。あちこちから頼まれておるようでな」


 成り上がり者という謗りも今では聞かれぬという。もとより日ノ本の外に所領があることが知れて以降は、大殿や武衛様と同様の立場だと皆が認めておるのだ。


 立身出世を望まず、自らの功もなるべく低く見せておるとか。にもかかわらず久遠家のためなら喜んで戦に行くという者すら多いという。


 隙がない。駿河と遠江の寺社や商人の中には、未だ不満を口にする者がおるが、父上と話して早う諦めさせたほうがいいのかもしれん。


 此度の模擬戦のことが知れると武士は諦めよう。同じ戦なら負けぬ。戦えなんだ者らの最後の足掻きであるが、内匠頭殿はそれを打ち砕いてしまわれたからな。


 強く正道を歩む者となると諦めるしかないのだ。その上で生きる道を探さねばならぬ。




Side:六角義賢


「背中が見えたかと思うたが、また遠のいたな」


 上様のところに酒を注ぎに参ると、左様なことを口にされた。


「まことに。某も同じ思いでございます」


 底が知れぬ。それが見ても分からぬ妖術ならば致し方ないが、我らにでも分かる理のもとであることで、上様であっても己の未熟さを感じずにはおられぬようにお見受けする。


 さらに内匠頭殿は我らの先をゆく。先ほど見せた用兵も学校にて教えておるのだ。己の家臣でなくとも織田の家中の者には惜しみなく教える。信じられぬわ。


 家職とするでもなく一子相伝にするでもない。皆に教えて広める。寺社ならば足利学校などでしておることとはいえ、武家が左様なことをするとはな。こちらは代々の家臣ですら、時には争い戦をすることで疑わねばならぬというのに。


「そろそろ刻限ですね。皆様、今宵はわずかでございますが花火を上げることになっております。よろしければお楽しみください」


 すっかり日も暮れたが、広間は南蛮行燈があり明るい。そんな中、内匠頭殿が皆に声を掛けると障子が開けられた。


 吹き込む秋の夜風は冷たい。されど、皆で縁側に行き空を見上げる。


 耳を澄ませば、民の楽しげな声や笛太鼓の音も聞こえる。院もまた縁側に移られ待ちきれぬと言わんばかりにお見受けする。




 花火が上がる音がした。一筋の光が空に駆け昇る。わしはこの炎の華が駆け昇るのを見るのが好きなのだ。僅か刹那の間であるが、闇夜をべつのものへと変えてしまう。花火が咲く寸前がな。


 この花火は尾張を変え、東国を変え、世を変えてしまうのであろうな。


 ふと周囲を見渡すと、皆が花火を見上げて笑みを見せておるわ。内匠頭殿も同じか。


 ああ、この御仁には同じ戦をしても勝てぬかもしれぬとはな。花火と内匠頭殿の楽しげな顔を見つつ、世というのは時に残酷だと思い知らされる。


 されど、同じことをせずとも新たな世には生きる道がある。それを教えてくれたのもまた彼の者らだ。


 六角家を変えねばならぬ。今よりさらに早う。長々と時を掛けておれば置いていかれてしまうわ。内匠頭殿が生きておる間に日ノ本をまとめ変えねばならぬ。近江程度で手間取るなど許されぬのだ。


 さもなくば、父上にお叱りを受けてしまうわ。


 わしは六角家当主だ。新たな世をこの手で築かねばならぬ。この国の者らと共にな。




◆◆

 永禄元年、秋。第八回武芸大会は後奈良上皇のご臨席を賜った天覧大会であった。


 後奈良上皇が尾張御幸として清洲に滞在していた最中の大会であり、大いに盛り上がったと『織田統一記』にある。


 武芸大会も八回を迎えていたが、年々試行錯誤をしており領地の拡大と共に大会が複雑化していた。


 この年は前年に臣従をした小笠原家が守護を務めていた信濃国にて予選会と信濃武芸大会が行われ遠隔地における武芸大会の在り方を示した大会でもあった。


 信濃は夜の方こと久遠ウルザと、明けの方こと久遠ヒルザの両名が代官として赴任していた時期であり、久遠家の差配により地方大会の開催にこぎつけたようである。


 信濃に続いて領国となった駿河・遠江・甲斐や、少し先に臣従をした飛騨などでは地方大会を開催したという記録がなく、当時の武芸大会開催はまだ難しいものであったことが窺える。


 ただ、武芸大会における書画の展示や地方予選などは、これより先に美濃や三河で行われていたこともあり、久遠家ではいち早く領国が拡大したあとの大会を模索していたと思われる。


 この年は後奈良上皇が観覧されているが、身分にかかわらず大会を楽しむ人々を見て大層喜んだと伝わる。戦をせずに戦に備えて、人々が一体となる祭りをしていることに感銘を受けたのだと側近の日記にある。


 また、同時代には尾張を見ることで太平の世を垣間見たという意見が幾つか残っており、この武芸大会も花火大会や観桜会共々、織田家における新しい世の象徴的な存在へとなっていく。


 なお、後奈良上皇が天皇在位の頃から始めた和歌を贈ることは新たに即位した正親町天皇へと受け継がれて、この年には後奈良上皇と正親町天皇の和歌が並んで展示されている。


 皇室が武芸大会に和歌を贈ることは現代まで続いている。歴代の天皇や上皇の和歌は尾張図書寮にて近代まで保管されていたが、現在は国立武芸博物館へ所管が移され保管・展示されている。


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