第1525話・初陣組の模擬戦・その四
Side:斯波義信
静かだ。本陣は口を開く者がおらぬ。矢継ぎ早に入る報告に後詰めを出しており、すでに本陣に残る兵もごく僅か。
打てる手がない。その一言に尽きる。
「もともと、武功は尾張でも一、二を争うほどある御方でございますからな」
諦めにも聞こえる様子で誰かが一言口にすると、皆が同意した。むしろ弱いほうが驚いたかもしれぬ。それにここにおる者は学校で教えを受けた者ばかりだ。一馬の差配はすべてその教えと同じ。ここまで力の差が出たことには驚くしかないがな。
「皆を退かせるのだ。最早、前の陣地は使えぬ。本陣にすべての者を集めよ」
負け戦の差配か。これも学校で教えを受けたことのひとつだ。すでに左備と右備が突破されておる。皆が踏ん張っておることと、追撃が緩いので持ちこたえておるように見えるが、陣地に穴が開いてはいつまでも持ちこたえられまい。
「若武衛様、されど……」
「命を粗末にするような策はならぬ。最後まであきらめずに敵を防ぐのだ」
いっそ皆で討って出てはという献策をしてくれる者もおるが、それは今の尾張の兵法では下策だ。さらに言うならば、一馬が一番好まぬ策であろう。
「まことの戦で使えぬ策などこの場で見せていかがなる? 一馬が何故、かような場に出てきたか。我らに戦の厳しさを教え説くためであろう。見せかけだけの面目など要らぬ」
初陣という意地を見せたいのならば、それも構わぬがの。わしは左様なものより、己の力をひけらかすことを望まぬ一馬が出てきた思いに応えたい。
「畏まりました」
「伝令だ! 皆を退かせろ!」
すでにこちらの兵は半分を切っておるであろうな。これが最後の打てる手だ。逃げ場のない本陣を皆で諦めずに守る。
後詰めもなく籠城するほどの守りもない。とはいえ命を粗末にせず、最後まで諦めず戦う。我らに出来るのはそれだけだ。
Side:久遠一馬
「状況判断がいいね」
右備を突破して左備も一部崩壊したところで、敵がさらに退いた。正面は初陣組も精鋭と人員を集中していたのでギリギリ持ちこたえていたけどね。とはいえ、あと少しで正面も突破出来そうだったんだけど。
「出てこないね。最後の意地だと考えて、討って出てもいいんだけどねぇ。エルどう思う?」
ジャクリーヌの言葉にオレも同意する。初陣なんだ。最後の意地と見せ場をつくることに反対する気はない。もう十分、負け戦の恐ろしさと戦術の
「若武衛様たちはこちらが思う以上に、殿と私たちのことを理解してくださっているということでしょう」
義信君。面目と意地よりも最後まで学ぶことを選んでくれたのか? この模擬戦を限りなくリアルに近い戦だと考えてくれているということか。
「よし、隊を再編する。無傷の兵を中心に敵本陣を攻めよう。無理せず、着実に。こちらの兵は多いんだ。前の兵を常に交代しながら突破口から攻める」
なら、こちらも最後まで本気でいくよ。義信君。
本陣は木柵で囲んでいて、突破口になるところは二か所。木柵を守る兵もいるだろうけど、そこにはあえてふれずに出入りする場所に兵を集中する。実際の攻城戦と考えるなら木柵のところは堀やなにやらあるはずで、突破するのは難しいはずだからね。リアリティある攻め方をしよう。
義信君たち本陣を目視出来るところまでオレ自身も前に出る。さすがに最前線までは出ないけど、こちらの意気込みと本気であることを敵にも知らしめるためにね。
「かかれ!」
最初は益氏さん率いる小隊と太郎左衛門さん率いる小隊だ。今までと同じ、槍での集団戦で敵の陣地入り口を守る者たちと対峙する。
初陣組の子たちもみんな真剣だ。すでに勝敗は決まりつつあるが、諦めないで必死に応戦している。
力量の差はやはり大きい。こちらがひとり離脱する間に初陣組は何人も離脱する。これがリアルの戦なら崩壊するか、無理押しをして切り込み特攻する状況だろうな。
こちらの小隊は入れ代わりながら敵を削っていく。それ故に疲労もなく勢いも維持出来る。まあ、実際の戦でこんな消耗戦術は使わないけどね。
どれほど時間が過ぎただろう。本陣の防衛陣地もすでに突破して残るは義信君と数名だけになっており、こちらの兵で囲んでいる。
「若武衛様、いかが致しますか?」
「降伏する。我らの負けじゃ」
前に出ていき、義信君に声を掛ける。もし望むのならば、一対一の勝負でも受けるつもりだった。
ただ、義信君は最後までオレたちが教えた兵法を守ろうとしてくれた。
「お見事な差配でございました。これだけの差がありながら最後まで諦めずに戦った。お見事でございます」
義信君の言葉に、こちらは全員で片膝をついて臣下の礼を取る。残った数人の初陣組の子たちがオレたちのそんな姿に驚きの顔をした。
「戦とは難しきものよな」
「はい、私たちも常に悩み戦に備えてございます」
義信君自身は晴れ晴れとした顔をしている。
いつの間にか会場は歓声に包まれていた。勝ち戦での初陣を経験させてやれなかったことは少し申し訳ないところもある。
でもね。戦というのは決して望んではいけないものだとオレは思う。義信君と若い子たちにリアルな戦を少しでも感じてもらえたなら、オレはそれで満足だ。
最後にこの場に残る全員で、上皇陛下のおられる貴賓席に臣下の礼を取り、頭を下げて終わりになる。
良かったこと。上手くいかなかったこと。終わってから検証がいるな。さらに今回参加出来なかった子たちもいる。初陣をどうするかは今後も試行錯誤が続くだろう。
ただ、こういう新しい試みは決して無駄じゃないはずだ。
新しい世の中が来ても、武士という者たちが消えてなくなるわけではないのだから。
◆◆
永禄元年、第八回武芸大会において、初陣の洗礼とするには異例の模擬戦が行われた。
同時代までは初陣は実際の戦への参陣であったが、尾張では小競り合いすらもなくなっていたことで初陣を経験出来ない者が増え問題となっていたことが発端にある。
『織田統一記』には数年前から初陣をどうするかという議論があったと書かれており、同時代の織田家の評定を記録したものにも同様の記載がある。
あくまでも実際の戦での初陣にするか、儀礼的なものにするか、様々な議論があった結果の模擬戦での初陣であった。
ただ、初陣の相手を務める者が最後まで難航して決まらず、久遠一馬が守護である斯波義統の命で務めたとある。
しかし、滝川資清の『資清日記』には、この決定が義統や織田信秀たちと一馬の話し合いにより決まったものであり、斯波義信の初陣ということで一馬が自ら志願したというのが実情のようである。
初陣は勝ち戦を
これ以降、織田家を中心に武士の初陣は模擬戦を用いることに変わっていく。その時代の状況により形式や規定が変わるものの、儀式ではなく実際の戦を感じるようにと苦心しつつ続いている。
現代においても織田家を筆頭とした武家では、この伝統を踏襲しており、模擬戦による戦を経験することを続けており、無形文化遺産として当時の人々の思いを受け継いでいる。
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