第1521話・第八回武芸大会・その十
Side:久遠一馬
さて、団体戦の決勝が行われる前にひとつのイベントがある。初陣待機組の模擬戦だ。
これに関しては、家中でも多くの意見を求めてみんなで議論した。
初陣のために戦をするなんて今の織田ではあり得ないけど、模擬戦を初陣にすること自体が前例のないことだ。どこまで実戦形式としてやるか、かなり議論が白熱し、調整が難航した。
もともと初陣も身分や立場、家の大きさによって千差万別だ。わざわざ初陣のために兵を挙げるのはごく僅かで、あとは小競り合いや元服後にある戦で済ませることもある。
初陣は
初陣という儀式をどうするかということと、若い者たちにいかに戦の経験を積ませて知恵や技術を伝えていくか。これらは織田家の中で何度も議論になっていることだ。
ウチではとにかく文化風習から織田家の体制など、記録に残していることもある。そういうのを見聞きしている織田家の皆さんは、今後の戦と知識や技術継承を自発的に考えてくれている。
結果は二転三転して変わったけどね。
「初陣か。そういえばそなたの初陣はいかがだったのだ?」
模擬戦まで休憩と準備の時間となると貴賓席では雑談タイムとなるが、義輝さんがふと気になったのか声を掛けてきた。
「私は初陣というものは経験しておりませんでしたね。武士ではなかったので。こちらに来て、尾張下四郡を壟断していた逆賊坂井大膳との戦の折が初陣だったと言えるでしょうか」
ウチの風習は本当、皆さん興味津々らしい。視線が集まるものの、武士としての儀式や儀礼は行なっていないと明言しているので、古参の皆さんは知っていることだけどね。
「忌み名を忌み名と思わず、初陣もないか。それでも、そなたのような名も実もある武士となれるのだな」
義輝さんは多くを語らないものの、既存の儀式や伝統に対する疑念を口にした。菊丸としてウチをよく知るからね。当たり前のことに疑問を抱く。完全にウチの価値観だ。
「我らも考えぬといけませぬの。古きものは残さねばなりませぬ。されど、世の移り変わりに応じてより良く変えるべきこともございましょう」
「確かにな」
あえて刺激的な言葉を避けた義輝さんだったけど、それに続いたのは晴具さんだった。
意図的にだろうなぁ。上皇陛下のおられる御前で言うとは。ご本人のお耳に入っているか分からないけど、三関を封じる警固固関の儀のことで朝廷と揉めたことを思い出したのはオレだけじゃないはず。
誰かに変われとは言わないけど、自分たちは変わる。その意思をこの場で示してくれたんだろう。この人と義輝さんがこんな話をすると、異を唱えられる人なんて日ノ本でも多くない。
まあ、実際に初陣は形を変える必要があると誰もが考えていることではある。少なくとも織田家では。
戦をなくして戦に備える。この難しさは誰もが理解していることだしね。
Side:斯波義統
いつの間にやら味方が増えたの。公方様と北畠の大御所殿とは。申し訳ないが、それでわしは少し楽になったところがある。
矢面に立たされることが減り、安堵しておるわ。
もっとも、大御所殿や公方様にはわしの本音が悟られておるようじゃがの。
「乱を望まず乱に備えるか。難儀なことよ」
お二方の話を聞いておられた院は、言葉少なく同意された。大御所殿が狙うたのであろうな。こちらの動きをご理解して頂けるようにと。
我らの国は久遠の手助けもあり変わり過ぎておる。それが懸念になることを察して先手を打ったか。この程度ならば側近も公家衆もなにも言えまい。
「さて、では私は支度を致します」
皆が初陣というものを考え始めた頃、一馬が立ち上がった。初陣の者らの相手をするためだ。
そのことを知らぬ院や塚原殿や六角、北畠の者らの顔があからさまに驚きに変わる。
「そなたが出るのか?」
ああ、公方様もご存知なかったか。このお方も驚かれておるわ。
「誰が相手を務めるか。そこが決まらなかったのですよ。そこで守護様の命で私が務めることに致しました」
初陣は勝たねばという者もおるが、一馬はむしろ負けてこそ意味があると考えておる節がある。そもそも武芸大会の勝ち負けは遺恨なしと決めておるのだがな。
それでも勝つことに拘る者が多く一馬も少々困っておったからの。弾正らと話をして、わしが命じる形で自ら模範を示すために出ると申し出たのだ。
家中もまた一馬が相手では負けても致し方なしと皆が思うこともある。
あまり目立つことを望まず、自らの武功を求めぬものの、今の尾張で誰が一番
名を上げることを望まぬ一馬がいかがするのか。わしもこのことは驚いたが楽しみじゃ。
Side:六角義賢
なんだと? 内匠頭殿が自ら初陣の相手を務めるのか!?
かような立場でもなかろうに。命じられた? 断れるはず。受けたということは納得してのことであろう。負けを恐れぬということか? いや、かような御仁ではないはず。若い者らのために自ら動いたのか?
「管領代様、さっ、一献」
信じられぬ思いで立ち去る内匠頭殿を見ておると、久遠家の八郎殿が酒を注ぎに参った。
「かたじけない」
主が初陣の相手をするというのに、案じる様子もない。信を
この者が甲賀一の出世頭と言うても過言ではあるまい。公の立場は今も高くないとはいえ、日ノ本において唯一無二である久遠家の筆頭家老という大役を卒なくこなす男だ。
「八郎殿を見ておると父上を思い出す。父上はまことにそなたを出したことを惜しいと言うておってな。今にしてみると、それを痛感する」
「世辞であっても生涯の誉れでございまする」
世辞ではない。それは八郎殿も承知のことであろう。とはいえこの男は己を常に謙遜する。わしや六角家の家臣らの面目を慮ってくれておるのだ。
六角家にて新たな政を始めて以降、特に八郎殿の凄さをわしだけではない重臣一同理解した。戻ってきてくれぬかと心底思う。内匠頭殿も決して手放すまいがの。
ただ、八郎殿はわしに教えてくれた。人には向き不向きがあると。身分や家柄では測れぬ才があるのだと。
目安箱を設置して家中ばかりか、領内すべての者の声に耳を傾けることにしたのも八郎殿の活躍があればこそ。
かような男がそこらにおるかもしれぬのだ。無論、それが珍しきことは承知しておるがの。
「わしも負けておらぬぞ」
ようやく近江を変える覚悟が重臣らにも出来た。ここからだ。
新たな世でも六角家は残す。必ずな。
この先、畿内との争いで矢面に立たされることになろうとも守り通してみせる。
出来るはずだ。この場におる者らと共にならばな。
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